第三話:加護
突風の如く現れた少女は、どうやらソルの知り合いだったようである。
「誰かと思えばカーリか、どうした?」
ソルは人に見えないように姿を消して歩いていた。にもかかわらず、少女にはソルが見えたようである。
カーリと呼ばれたその少女はぺこりと下げた頭を上げると、悲しげな表情を見せた。しかし、その表情は作っているようにしか見えない。
「ソルさま、カーリは悲しいのです。こちらへいらしたのなら連絡くらい欲しかったのです。まッ、まさか…… カーリのことが嫌いになったとか? ちがいますよね、ねッ」
「そう慌てるな。可愛いカーリを嫌いになんかなったりしないさ」
まんまとソルの気を引くことに成功したカーリは、溢れんばかりの笑顔でソルに抱きついた。ソルは抱きついたまま頬ずりしているカーリの頭を良し良しと撫でる。
「えへッ、ソルさまだーい好き」
「で、どうした?」
「ぶぅー、ソルさまはせっかちなのです。カーリはソルさまにお会いしたかっただけなのです」
用件を聞こうとしたソルに、まだしばらく優しくしてもらいたかったのだろうか、カーリは頬を膨らませ、ぽかぽかと両手でソルを叩いて抗議していたが、ふと何かを思い出したようだった。
「あッ、そういえばフリスがソルさまとお話ししたいって言ってたのです」
「フリスティナか、で、何か言ってなかったか?」
この問いかけに、カーリは顎に人差し指を当てて、うんうんと考え込んでいる。
「えーと、えーと、しょう気がどうとか、魔物がどうとか言ってたかな?」
「瘴気に魔物か…… 一度会いに行ってみるとしよう」
瘴気という聞きなれない言葉に興味を抱いたソルは、フリスティナに会うことを即断した。
「フリス喜ぶです。フリスが喜ぶとカーリも嬉しいのです。水の神殿に行けば会えるのです」
「水の神殿か、明日にでも行くとフリスティナに伝えてくれるか?」
「りょーかいなのです。すぐに伝えに行くのです。ソルさまにお会いできてカーリは嬉しかったのです」
カーリはそう言うと、夜空へと弾丸のような速度で消えて行った。ソルはカーリを見送ると、闇夜の散策を再開したのだった。
明けて翌朝。
目覚めたソルが部屋を出ると、女騎士ルシールが部屋の前を警護していた。ルシールは起き出してきたソルの顔を確認すると、表情を引き締め直す。
「そこで何をしている?」
「はッ、国王陛下よりソル様警護の任を拝命いたしました」
直立不動で、ソルを若干見上げぎみにルシールは返答したのだった。
「俺に警護が必要だと思うか?」
「はッ、ソル様に警護が必要だとは考えておりません」
「では何故そこにいる?」
「はッ、警護は必要なくとも露払いは必要かと考える次第であります。そッ、それに私はソル様の物でございます。常にお側におりますので存分にお使いください」
今まで引き締まっていたルシールの表情が、急に和らいだかと思うと、赤みを帯びてきたのがソルには分かった。
「確かにお前は俺の女だ、誰にも渡すつもりはない。だが、物として使うつもりもない」
「はッ、物として酷使して頂きたいのは私の願望であります。出過ぎた発言でした」
どうやら、ルシールはかなり危ない性癖の持ち主ではないのか、と考えるソルであったが、それはそれで受け入れてしまうのがソルのソルらしい所以でもある。
「まあいい、だがその固い喋り方を何とかしろ。将来、といっても死んだ後だが、お前は俺の妻となって子をもうけるかもしれんのだからな」
「し、死んだ後と申されますと、それまで私は必要ないということでございますか」
ルシールはソルの言った「死んだ後」という言葉に反応したのだろうか、恥ずかしくとも安心したような表情が急に不安げなものへと変わった。
「そうは言っていない。今でもお前は俺の女の一人だ。生きている内も存分に可愛がってやるから安心しろ」
「はッ、私は幸せ者にございます」
今度は幸せいっぱいの笑顔を振りまくルシール。そんな彼女に、ソルはとっておきの贈り物をすることにした。
「そういえば、まだ正式な名を聞いていなかったな。もう知っていると思うが、俺の名はソル・ニート・フィリア・ラ・フィナールだ」
「はッ、私の名はルシール・トゥレイス・ベクレルであります」
「ではルシール、今からお前に俺の嫁候補の証として加護を与える」
ソルはそう言ってルシールを抱き寄せた。魂の交感を行いルシールの魂を昇華させる。そうすることによって加護を与えるのである。加護を与える方法はこれに限らないのであるが、ソルの性格がそうさせているのだ。魂の交感を行ったルシールは、ソルの腕の中で絶頂を迎えたようだった。顔は上気し、虚ろな瞳は焦点が定まっておらず、熱い息を漏らしている。
「我が妻と成り得し者よ、今より汝、ルシール・トゥレイス・ル・ベクレルと名乗るがよい」
そんな二人の様子を、腕を組み、呆れ顔で眺めていたエルネスティーヌが茶々を入れる。
「まぁまぁ、朝からお盛んですこと。ソル様、朝食の準備ができておりますのでこちらへお越しくださいな」
エルネスティーヌに案内されて朝食へ行こうとしたソルであったが、ルシールがとても歩ける状態ではなかったので、俗に言うお姫様抱っこで彼女を朝食の場へと連れて行った。途中すれ違った城勤めの侍女などは、ソルに抱かれて幸せそうにしているルシールを見て、驚きながらもうらやましそうな顔をしていた。
国王一家と軽い朝食を済ませたソルは今、謁見の間に国王夫妻とエルネスティーヌと共に立っていた。一段下がった眼前には、国の重鎮であろう者たちが雑然と並んでいる。
「このお方はソル様というお方で、他国の高貴な身分にある私の客人である。この城へはお忍びで来られておるので無礼の無いように」
マクシムの言葉に殆どの者は頷いていたが、一人だけ納得していない者がいた。脂ぎった黒髪を丁寧に撫で付け、クルリと巻いた口ひげの男だ。歳は三〇を過ぎた辺りだろうか。
「お言葉ですがマクシム陛下、その者からは魔力の波動をほとんど感じませんな? 魔力と実績によって身分が決まるイースティリア世界において、その者は真に高貴な身分をお持ちなので?」
「出過ぎるな、ギュスターヴ候。私の言が信じられぬと申すか」
「いえいえ、そんなことを申しているのではありません。ただ、実力のない者がこの城で大きな顔をするのはいかがなものかと――」
ルシールは鬼のような形相でギュスターヴを睨みつけている。その視線だけで射殺してしまうのではなかろうかと思えるほどだ。
ソルは横に立っているエルネスティーヌに耳打ちする。
『なんだ、あの男は』
『ああ、ギュスターヴ侯爵ですわ。自尊心が高く、自分の魔力が高いことを鼻にかけて、威張り散らしているどうしようもない男ですの』
『うっとおしいな、消し潰してしまうか?』
『お止めになって頂けますか。騒ぎが大きくなりますわ』
『ならば、喋れんように口を封じるか』
『その程度ならよろしいでしょう』
エルネスティーヌが頷いて、ソルがニヤリと笑うと、持論を展開していたギュスターヴ侯爵の口が突然閉じ、動かなくなった。
「――であるから、実力を重んずるイースッ!?」
しきりに口を開こうとするギュスターヴであったが、どうにもならないようで、もごもごと言葉にならない。そのうち顔を真っ赤にして鼻を膨らました。どうやら、口で息が出来ず苦しいようだ。
「ギュスターヴ候は体の調子がすぐれぬ様子、誰か医務室まで連れて行ってくれ」
マクシムのこの言葉で、ソルのお披露目はお開きとなった。後味の悪いお披露目であったが、全く気にしていないソルは置いておくとして、ギュスターヴをよく思っていない者が多いのであろう。集まった者の多くが笑いをかみ殺すような仕草を見せていた。
「ソル様、あの者に制裁を加える際は是非とも私にお命じ下さい。ソル様を侮辱した罪、万死に値します。私の剣で細切れに切り刻んでやりましょう」
「そう怒るな、ルシール。他の男など気にせず、お前は俺だけを見ていればいい」
ソルはいまだに怒りが収まらない様子のルシールを見つめ、優しく諌めた。ルシールはソルに見つめられたからであろう、頬を赤らめて見つめ返している。
「あらあら、お熱いことで。そういうことは人目を避けて下さいませんと、ねぇ……」
「俺はやりたいようにやるだけだ。人目など気にして何になる?」
エルネスティーヌはやれやれといった感じで首を振った。
ソルとルシールのやり取りを見ていた城の重鎮達は、ルシールのあまりの変わり様に言葉を失っているようだった。何せ、ルシールといえば無く子も黙る剣の鬼、というイメージが定着していたのだから、とはソルが後に聞いた言葉である。
「そういえばエル、昼飯を食ったら水の神殿に行くぞ」
「食事だけはおとりになりますのね。水の神殿に何の御用で?」
「フリスティナが会いたいと言っているからな」
「水の女神様がねえ、ご光臨なさるのですか?」
「ああ、たぶん直接会って話すことになるだろう。瘴気とか魔物について話したい事があるらしい」
「それは聞き捨てなりませんわね。ですが、わたくしは今日、城を出ることができませんの」
「ルシールに案内してもらうから気にするな」
エルネスティーヌによると、水の女神が降臨すると分かれば、水の神殿がその準備で大騒ぎになるとの事なので、すぐにでも連絡を入れる必要があるとの事だった。連絡は自分が入れておくから、ソルはゆっくりとその道中を楽しんでくださいましとエルネスティーヌは告げるのだった。
豪勢でかつ豪快な昼食の後、ソルは手漕ぎの小さな小舟に乗り込み、ルシールの案内で水の神殿へと向かっている。
ルシールによると水の神殿は、城から見える湖の最奥に位置するそうである。
「ソル様、少々揺れますのでお気を付け下さい」
ソルの後方でオールを操るルシールは、小舟を湖に浮かぶ水の神殿へと向かわせたのだった。
滑らかな湖面を静かに進む小船の遥か先には白い神殿が微かに浮かび、小船が去った船着場では、湖面が映す森の木々が小波にゆらゆらと揺れていた。