第三十三話:地竜
シチートリアを出発して二日目の夕方、一行はサヤンデの街へと近づいていた。サヤンデの街で食道楽を楽しみにしているソルは、街が見え始めるとその目を輝かせる。しかし、その時だった。
「あ、あれはどういう事ですの?」
前方に見えるサヤンデの街から煙が立ち上っている。ソルは視覚に神経を注ぎ遠視を試みた。
「街の入り口、そこに人と魔獣の死体がごろごろ転がっている。街中もかなり荒れているな」
「なんですって! 急ぎますわよ」
街の惨状を聞いたエルネスティーヌがあぶみを合わせ、馬が全力で走り出す。三人もそれに続き、馬の速度を上げた。この時ソルは、旨いものが食えなくなるかもしれない。その思いが強かったようで、苦虫をかみつぶしたような表情だった。
サヤンデの街に近づくにつれ、大量の魔獣の躯と、傭兵やハンターであったと思しき躯が転がっている。量的には魔獣の方が多いが、人の躯はひどい有様だった。
ここで踏ん張ったのだろう街の入り口には、より大量の躯が、もう人も魔獣も区別がつかないほどに散乱し、折り重なっていた。
「なんてひどい。森から魔獣が消えたのはサヤンデの街を襲うためだったのですね」
そう言って、馬上で口に手を当てたロヴィーサが瞳に涙を浮かべている。傭兵として悲惨な死体を見慣れているはずの彼女でさえ涙を流さずにはおれない惨状が、そこには広がっていた。
「ロヴィーサ、涙はまだ後になさい。街中の様子を調べるのが先です」
掛けられたエルネスティーヌの声にロヴィーサは涙をぬぐう。入り口から見える街の様子は人一人見受けられず静まりかえっていた。家の中には避難した住民がいるかもしれないが物音一つしない。しかし、研ぎ澄まされたソルの聴覚が微かな物音を捕える。
「だいぶ距離があるが街の中から音が聞こえる。何者かが戦っているぞ」
その声を聴いて、エルネスティーヌがはっと後ろを振り向いた。
「ソル、それはどちらの方角ですの?」
「この道の左奥だ」
「行きますわよ」
そう言ったエルネスティーヌにソルとルシールが無言でうなずき、やや遅れてロヴィーサが顔を上げる。そして、駆け出したエルネスティーヌの乗馬を追って三人は馬を走らせた。中央の大通りには所々に魔獣や傭兵の躯が転がっており、道沿いの商店や民家などは所々破壊され、街中からは幾筋かの煙がたちのぼっている。しかし、四人はそんな事には見向きもせず、ソルが告げた方向へと馬を走らせた。そして、街に中央をやや過ぎたあたりでソルが合図を出した。
「あの道を左だ」
一行は大通りから左に逸れ住宅街に入ってしばらく馬を走らせると、右手に見える大きな屋敷の手前に、岩や建材等で組まれたどう見ても急ごしらえのバリケードを挟んで、巨大な走竜一頭に数十名の傭兵が槍や弓、それに魔法で応戦していた。傭兵の後ろでは魔術師数名が必死の形相で障壁を張っている。巨大な地竜の周りには小型の走竜やクマのような魔獣の死骸が数体横たわっていた。
「あれは地竜ですわね。なんて大きいのでしょう。ですが、良く守っています。が、このままでは時間の問題でしょうか」
エルネスティーヌにそう言わしめた地竜の大きさは以前ソルが倒した個体より二回りほど大きく見える。目算で体長十五メートルほどあろうか。
地竜から五十メートルほど離れた所で馬を止めたエルネスティーヌが、馬から降りて馬上のルシールに問いかける。
「馬が怯えてこれ以上は近づけないようですわ。ところでシー、貴女ならアレを倒せまして?」
見上げるエルネスティーヌにルシールは悔しそうに首を振った。
「今の私の力では良くて相打ちでしょう。ソル様に授けていただいた力、未だ使いこなすには至っていません」
「シー、そう落ち込むな。お前に加護を与えてまだひと月ほどだ。使いこなすには少なくとも十年はかかる」
優しくソルに慰められたルシールであったが、その表情には手が出せない悔しさと、ソルに慰められた少しの喜びが同居しているようだ。
「お前たちは後ろで見ていろ。食い物の恨みは怖いのだという事をあの魔獣に知らしめてやる」
馬から降りたソルは女たち三人にそう言うと、手綱をルシールに預けて安心しろとばかりに微笑する。そして振り向き地竜を見据えると、その視線を外すことなくゆっくりと歩き出した。ソルの言いがかりとも取れるセリフを聞いたエルネスティーヌとロヴィーサは、憑き物が取れたかのように表情話和らげたのだった。
右手には市販で安物の長剣を持ちながらも、構えることはせずに自然体で巨大な地竜へと歩み寄る。地竜の分厚い鱗とソルが持つ長剣を比べれば、切りつけたところでポキリと折れそうなのであるが、ソルの持つ長剣は、その内側からソルの神力によって極限まで強化されていた。尤も、ソルにとっては眼前の地竜を倒すのに、剣を使う必要など無い。が、前回のように素手で地竜を引き裂くなどという、人外なことをするわけにはいかなかった。長剣を神力によって強化したのは、地竜を切る為ではなく、振ったときにソルの腕力に負けて折れないようにしたのである。そんなことなど知るはずもない地竜が、後ろから近づくソルに気付いたようだ。この時ソルは神力が己の体からは漏れ出ないようにしていた。それにもかかわらず何か予感めいたものでもあったのであろうか、それともソルの内に秘める力を感じ取ったのであろうか、傭兵や魔術師からの攻撃を気にするそぶりも見せずに地竜はソルへと正対するようにその向きを変える。
地竜が何かに気をとられて後ろを向いたこを好機と思ったのだろうか、地竜の背に向けて放たれる攻撃が苛烈さを増した。ソルが地竜の真後ろからゆっくりと近寄ってきたことと、地竜があまりにも巨体過ぎたことからだろうが、攻撃を加えている傭兵や魔術師はソルの事に気付いていないようだ。しかし、当の地竜からしてみれば、そんな攻撃はまるでダメージになっていないらしく、気にする様子もなくソルを威嚇してくる。
ソルは威嚇してくる地竜を気にとめるでもなく、自然体で地竜の眼下まで歩み寄ると、躊躇すら見せずに右手に持つ長剣を斜め上に振りぬいた。あまりに体格差があるため、剣は地竜に届いていないように見える。が、一泊の間をおいて地竜の首から上がズルリと滑り、やがてドチャリと地に落ちた。そして間をおかず、その首から大量の血しぶきをあげながら巨体は崩れ落ちるように横倒しになった。
唐突に眼前いる地竜の首が落ち、そして横倒しになった巨体越しにソルと目を合わせた傭兵たちは、何が起こったのか分からないといった感じで唖然としている。しかし、ソルはそんな傭兵達になど興味が無いとばかりに倒れた地竜を背にすると、仕事は終わったとばかりに剣を鞘に戻して、エルネスティーヌたち三人の方へと歩き始めた。それを確認した三人もソルの方へと馬を引き連れ歩を進める。しばらくして、ソルの後方から地鳴りのような歓声が上がるが、ソルは気にとめることもなく歩を進めた。
「まったく、何度見ても呆れた強さですわね。わたくしたちと比べようとするのがバカらしく思えますわ」
「ソル様のお力を考えれば地竜など物の数ではないのです。でも、凛凛しゅうございました」
驚くことなく、それぞれの反応をしめすエルネスティーヌとルシールであったが、ソルの強さを初めて目の当たりにしたロヴィーサだけは驚愕しつつも、尊敬に満ちた表情でソルを見つめている。
「お強いとは思っていましたが、手練れの傭兵が大人数で挑んでも倒せるかどうかわからない魔獣化した地竜を、それも聞いたことが無いような大物を、ああも容易く倒されるとは、さすがはソル様です」
三人三様の賛辞を聞いたソルであったが、大したことは無いと、何事もなかったかのように気になっていたことを口にした。
「そんな事より、俺は旨いものを食いにここまで足を運んだのだ。エル、この街のお勧めはなんだ? どこに行けば食える?」
その問いかけに、エルネスティーヌは大いに呆れ顔を作る。
「この状況でよくもそんなことを口にできますわね。住民がどれだけ生き残ったかも分かりませんし、どの店も当分は営業できない可能性すらありますわね」
しかし、がっくりと項垂れたソルの向こうから、一人の男が駆け出した。それを見たエルネスティーヌの発言と誘うような視線に、ソルはガバッと面を上げると期待に満ちた表情で後ろへ振り返る。
「もしかしたら褒美としてご馳走に有り付けるかもしれませんわね」
黒地にえんじと金糸で装飾された、如何にもなスーツに身を包んだ中年であるが、程よく引き締まった体格の黒髪の男が走り寄ってくる。その男はソルの前まで来ると、息を整えてから姿勢を但し、軽く頭を垂れた。エルネスティーヌはその顔を見てパチクリと大きく瞬きをしている。
「どなたか存じませぬが、ご助勢有り難く、感謝致しまする。出来れば貴殿の名をお聞かせ願いたいのですが」
丁寧に名を聞かれたソルは、身分を隠していることを思いだす。そしてファーストネームだけを答えることにした。
「俺の名はソルだ」
「ではソル殿、改めて礼を申し上げる。此度は我々の窮地をお救い頂き、誠に有り難く感謝致しまする。何分ごたごたしておりますが改めて礼を差し上げたい。ご都合はよろしいか?」
確認するような視線を送ったソルに、エルネスティーヌたちは黙って肯き返した。
「俺たちは今の所時間には縛られていない。その申し出受けよう」
「あぁ、申し訳ない。忘れるところでした。私は国王陛下よりサヤンデの街を預かるターナムと申すもの。何かお望みの物があれば当家にてお言いつけ下され」
ターナムは、ソルたちを引き連れて巨竜の死体が横たわるバリケードの所まで来ると、走り寄ってきた傭兵よりも上等な装備を身につけた衛兵らしき男と執事らしき男に、死んだ魔獣の処理や街の調査の指示を出している。その後ろに集まっている傭兵や魔術師は、ソルたちを見てやんやの喝さいを送っていた。
そして、ソルたちはターナムの屋敷へと案内される。その屋敷は城壁とまではいかないが、分厚く高い石造りの塀に囲まれた二階建ての豪勢なもので、庭も広く周りの家々とは明らかに格調が違っていた。しかし、広い庭には負傷した多くの住民が運び込まれており、メイドや神官と思しき者たちから手当てを受けているようだ。それを見たエルネスティーヌが感心したように頷いている。
屋敷の中は豪華な調度品や絵画も見受けられるが、派手すぎるということは無く、格調は高いが清潔で、ある程度ではあるが合理的な印象を与えるものであった。ソルたち四人は二十人は座れる大きな白い長円のテーブルの上座へと案内された。
「こちらになります。お茶をお持ちしますのでしばらくお待ちください」
ターナムはそう言うと部屋を出て行ったのだった。




