第二十八話:集落
夜が明けて朝食を済ませると早速、一行は獣道を辿って森へと入った。森の中は鬱蒼としており、獣道を歩いているのであるが、纏わりつく草木で歩きにくい。傭兵であるロヴィーサはこういった森の中は慣れているらしく、自ら先頭を買って出たのであるが、しきりに剣で草木を払いながら歩く姿はとても歩きにくそうだ。ソルは列の最後尾を歩いているが、前を歩く三人よりも頭二つほど背が高いので、草木が覆いかぶさる獣道が良く見えていた。そしてソルの身長を考えてだろう、ロヴィーサがかなり高い位置まで草木を払っていることが理解でき、感心したのであった。
しばらく森の中を歩いているが、凶悪な獣が多いと聞いていた割には、現れるのは小物ばかりであった。しかも、現れた端から一目散に逃げ出す様は、本当にこの森に凶悪な獣が多いのかと疑いたくなる所であるが、ソルはその理由に気付いていた。それは神気のコントロールにまだ慣れていないエルネスティーヌとロヴィーサが、僅かながらも神気を漏らしていることに他ならない。凶悪な獣が多いこの森にすむ獣たちは、おそらく、身の危険を察知する能力に優れている。小物ばかりが現れるのは、前を歩く二人から漏れ出る神気が僅かなためであり、危機察知能力が低いためであろう。それでも、近づいて彼女らの神気を感じ取ると、脅威を感じ取ってだろうが一目散に逃げ出している。この森で長く生き抜いた大物ほど危機察知能力に優れ、彼女らの強さを理解して近づいてこないのだろう。そう、ソルは考えていた。
森の中を歩くこと数時間、先頭から数メートル先も見えなかった密林が突然開けた。空からは陽の光が照らし、草木は刈り取られていて、しかもかなり広い。一本の道を挟んで木で作られた家々が雑然と並び、中央の道では子供が走り回っていた。
「これは……」
「どう見ても集落ですの」
絶句したように驚いているロヴィーサに、エルネスティーヌが見たままの率直な感想を漏らした。そしてロヴィーサが驚いた理由を話した。
「森の奥には賊どもの隠れ家か何かがあると思っていたのですが、まさか集落があろうとは」
「ええ、賊どもの隠れ家を叩き潰して、賊どもを血祭りに上げようと思っておりましたのに、このままここで思いのままに暴れますと、わたくしたちの方が平和を脅かす侵略者となってしまいますわ」
暴れられないことにだろうが、少しがっかりした口調のエルネスティーヌの言うとおりであるが、逆にソルは面白いことになりそうだと、彼女たちのガッカリ感よりもワクワク感のほうが大きかった。
「ソル様、どういたしましょう。引き返しますか?」
「いや、面白そうだ。この集落をまとめている者に話を聞いてみよう」
「そうですわね。わたくしたちを襲った賊がここに逃げ帰ったのでしょう?」
「ああ、それは間違いない」
「この集落が何なのか、知りたくなりましたわ」
ルシールの問いかけに、ソルは思っていることを率直に返し、エルネスティーヌも興味が湧いたのか、ソルの考えに同調したのであった。そして、彼女の行動は早かった。納得がいかないのか未だに驚いている感じのロヴィーサに構うことなく、集落の中へ早足で歩き始めた。ソルとルシールもそれに続き、取り残されたかに見えたロヴィーサも後を追ってきた。
集落をを駆け回っていた子供たちは、見知らぬソルたちに興味があるのか、少し離れて後を付いてくる。先頭をつかつかと歩くエルネスティーヌと、その後ろに続くルシールにソル、それを追いかけるように歩くロヴィーサ、その一行に気付いた集落の大人たち、若い男もいれば女もいる、老いた年寄りやガラの悪そうな厳つい男もいた。彼、彼女らはソルたちを見て一様に驚き、そしてある者は探るように睨みを利かせ、ある者はそそくさと逃げるように家の中へと消えていった。
エルネスティーヌは家の軒先にもたれかかり、腕を組んで訝しそうにこちらを睨んでいる屈強そうな男の所へつかつかと歩み寄る。
「貴方に聞きたいことがありますの。この集落の長に話があります。案内してくださいませんこと」
「ハァ? よそ者が何言ってやがる。ここはお前らのようなお上品な奴が来ていい所じゃねぇ。俺の女になりたいなら話は別だがな、そうじゃねぇなら失せろ。まぁ、無事にここから出られるとも思えんがな」
そう言ってニタリと嫌らしい笑みを浮かべた男は、視線でエルネスティーヌに後ろを見るように促した。そこには、ソルたちを後ろから半円形に取り囲むように十名程度の男たちがニヤニヤと笑っている。エルネスティーヌは、振り返って取り囲んでいる男たちを一瞥すると、眼前で壁に寄りかかる男に不敵な笑みを投げかけた。
「おやまぁ、弱い男ほど群れたがるといいますが、あの程度の男どもでわたくしをどうにか出来ると考えておいでなら、痛い思いをすることになりましてよ。貴方を含めてですが」
「ふん、威勢のいいネェちゃんだ。が、この村では強いものしか認められない。腕に自信があるようだが、この村で揉まれて育った俺たちを嘗めてかかると、痛い目に合うのはお前の方だぞ。後ろにいる三人も含めてな」
「そこまで仰るのでしたらお試しになってみればよろしいですわ。わたくし一人でお相手して差し上げますから」
エルネスティーヌは口の端を吊り上げた表情を変えることなく、未だに眼前で壁に寄りかかっている男を見据えている。男はそんな彼女を見ているうちに、浮かべていた嫌らしい笑みを消して寄りかかっていた壁から離れた。
「口で言っても分からねぇなら直接体に言い聞かせるか、まぁ、その後は違う意味でお前の体に俺の凄さを味わってもらう事になるがな」
「ご託は十分ですの。できるものならやってみればよろしいですわ」
賊どもを問答無用で血祭りに上げようと思っていたところに、そうはいかなくなって、この集落の長に話を聞いてみようということだったが、エルネスティーヌにとっては良い大義名分ができたようだ。イライラしながら先頭を歩いているように見えたエルネスティーヌから受ける感じが、既に嬉々としたものへと変わっていることにソルは気付いた。
壁に寄りかかっていたせいで、少しだけ見上げる程度だったエルネスティーヌの視線が、男が壁から離れたせいで、ずいぶん上へと変わっている。向かい合う二人の体格差はまるで大人と子供のようであり、事情を知らない者が見れば、明らかにその勝敗は明白なものであろう。当然、神気によって強化されているエルネスティーヌの実力を知らない、彼女と向かい合う男は、自分が負けることなど毛ほども思っていないだろう。
「どうしたのです。来ないのならわたくしから行きますわよ」
男はその挑発にためらうことなく拳を振り上げ、エルネスティーヌの顔面めがけて殴り掛かってきた。しかし、彼女はその拳を左手で容易く掴み、受け止めると、圧し掛かるように殴り掛かってきた男の動きがピタリと停止する。嘗めていたのだろうが、それほど強烈なパンチではなかった。そかし、その拳は人一人を殴り飛ばすには十分な威力があるように見受けられた。だが、拳を受け止めたエルネスティーヌは、微動だにすることなく、右手はだらりと下げて自然体でその場に立ち尽くしている。
「わたくしを嘗めているからこうなるのです。次は本気で来なさいな」
掴んでいた拳を離したエルネスティーヌに、男はとっさに拳を引くと、驚きの表情をもって答えた。
「口だけじゃねぇようだな。だがこれまでだ」
すぅと息を吸い込み、真剣味のある表情で男は息を整えると、先ほどとは比べ物にならない速度で右回し蹴りをエルネスティーヌの顔面に放ってきた。しかし、その蹴りはいとも容易く先ほどと同じく左手のみで受け止められてしまう。エルネスティーヌは未だにその場から動いてはいない。蹴りを受け止められた男は、とっさに右足を引いて左の拳で彼女の顔面を狙ったが、今度は右手で簡単に受け止められてしまった。驚愕の表情を見せて男は掴まれた左拳を何度も引こうとするが、それは叶わない。エルネスティーヌが掴んだ男の左拳を離そうとはしなかったからだ。男の表情は驚愕から焦りへと変わったように見える。そして、エルネスティーヌは、必死に掴まれた左拳を引き離そうとする男の右わき腹に、軽い左フックを放った。事実、エルネスティーヌの神気をこっそりと探っていたソルには、彼女が全く力を入れずに左フックを放ったのが分かっている。それでも、男は脇腹を右手で抑えると、苦悶の表情を浮かべてうずくまったのである。
「うぐっ――!」
エルネスティーヌは掴んでいた拳を離すと、つまらないものでも見るような表情で、うずくまる男を見下ろしていた。男の顔には脂汗が浮かび、そして嘔吐しはじめている。
「口ほどにもないとは、まさにこういう事ですわね。これでは運動にもなりませんの」
うずくまり嘔吐している男を見下ろしていたエルネスティーヌは、クルリと振り返ってソルたちの後ろで、二人の戦い、というよりは一方的な虐めに近いものを眺めていた男たちの方へと歩き出した。ソルたちの脇を抜け、ゆっくりと歩を進めたエルネスティーヌは、取り囲むように並んでいる男たちをぐるりと見渡す。男たちは仲間が手も足も出ずエルネスティーヌに倒されたというのに、嫌らしい笑みを浮かべたままであった。中には腹を抱えて声を上げ、笑っている者さえいる。
「ギャハハハハハッ! ジータの野郎油断しすぎだ。こんな女に伸されるたぁ、いい笑い話のネタになるぜ」
「そう思うのなら貴方がやってごらんなさい」
エルネスティーヌは声をあげて笑う男を、ツンと澄ました表情で実際には見上げているのだが、見下したように言った。そしてソルはその男を見て、今さっき伸された男よりも若干強いようだが、アレを見て彼女の実力が分からないとは救いようがないバカだな、と思ったのである。
「言われるまでもねぇ。てめぇみたいな気の強い女は、力ずくで言うこと聞かせるしかねぇしな」
そう言ってエルネスティーヌに殴り掛かってきた男の運命は、つい今しがた伸された男と、何ら変わりは無かった。たったの一発、殴り掛かってきた男の拳を避けようともせずに、彼女は男の脇腹に右フックを叩き込んだ。男の拳はエルネスティーヌに届くことなく停止し、そのまま腹を押さえてうずくまり、胃の中の物を地べたにまき散らしたのだった。
それを見て男たちの表情が変わった。先に伸した男よりも今伸した男の方が強いからだろうか、それとも一人ならともかく二人も倒されたことでエルネスティーヌの実力を把握したためだろうか、彼女の動きをまじかに見て彼女の強さを理解したためだろうか、理由はいろいろと考えられるが、表情を変えた男たちは、腰の剣を抜いて構えたのだった。
「剣を抜いたということは、その命、散らす覚悟はおありということですわね」
剣を抜いた男たちを見て、エルネスティーヌは再度不敵な笑みを浮かべる。そして、男たちへと向けてゆっくりと歩き始めた時だった。
「そこまでだ。お前たち、剣を納めろ」
唐突に後ろから聞こえてきた声に振り返ると、そこにはいかにも屈強そうではあるが、整った顔立ちの背の高い黒髪の男が立っていた。




