第二話:嫁候補
ソルが創造主の息子であり、どうしよもない理由でシーシア王国に来ていることは確かであるが、黒竜を討伐したこともまた確かである。
「ソル様がこの地にご光臨あそばした理由は理解いたしました。さらに、ソル様によって黒竜が討伐されたことは、シーシア王国にとって喜ぶべき事実であり、峠が利用できずに不便を強いられてきた国民へと、大々的に公表せねばならぬのですが、ソル様のことを公にいたしますと大きな混乱を招きかねません。ここはどう動くべきか、実に悩ましいのでございますが、いかがいたしましょうか」
黒竜が討伐されたことにより国民にもたらされる益は決して小さいものではない。しかし、ソルの名を公表することによって生じる混乱も無視できるものではない。カーネルはそう考えたのだろう。
「俺の名を出すことはまずいことなのか? ならばエルが討伐したことにすればよかろう」
「人と竜種とでは格が違いすぎます。幾度と無く討伐隊を向かわせ、失敗しておりますゆえ、それこそ国を挙げての討伐隊を編成しなければ、対抗できるような相手ではないのです。エルネスティーヌ様お一人で黒竜を討伐したなどということを公にいたしましても、竜種の実力を知る者は誰も信じぬでしょう。ソル様の名を公表いたしますと、信じぬものもおるでしょうが、恐らくソル様は英雄として持てはやされましょう。さすれば、ソル様の名にあやかろうと有象無象が押しかけ、身動きがとり辛くなるやと考える次第でございます」
カーネルの言は尤もである。英雄に祭り上げられることに否は無いが、自由に動き回りたいソルとしては、名にあやかろうと付きまとってくる人間は、邪魔者でしかない。別に蹴散らしてしまえばとも考えたが、それよりは名を知られないまま、自由に動き回ることを選ぶのであった。
「では、なかったことにするか?」
「なかったこととは?」
「黒竜を復活させるか、黒竜に関する記憶をすべての国民から消し去ってしまえばいい」
この提案は、ソルにとって造作も無いことではあるが、人が成し得る対策の範疇を飛び越えたものであった。当然、カーネルは疑問を抱いたようだ。
「せっかく討伐できた黒竜を復活させるのは遠慮願いたいものですな。真に国民の記憶を消すことが可能なので?」
「容易いことだ」
「ソル様がそれでよい、と仰られるならばありがたいことでございますが、本当にそれでよろしいので?」
「ああ、構わんぞ。今すぐやってやろう」
即座に行動を起こそうとするソルに対して、カーネルは待ったをかける。
「少しお待ちくだされ、私めとエルネスティーヌ様、それに国王陛下の記憶はそのままにしておいてほしいのですが」
「何故だ?」
「ソル様に対して誰も感謝する者がいなくなるというのは、私の気持ちが許しません。これは国王陛下やエルネスティーヌ様もおなじ気持ちでありましょう。さらに、褒賞と言っては失礼にあたるでしょうが、なにも差し上げられなくというのもまた、国としての矜持が許しません」
「そういうものなのか、俺には良く分からんが、そう望むのならばその通りにしよう」
いままで人との関わりを持ったことが無いソルに、人が持つ「感謝」とか「矜持」とかいう感情を理解するにはまだ時が、人との関わりが必要なのであろが、そんな感情をもつ人についてもっと知りたいという思いが、このとき芽生えつつあるのを自覚していた。
ソルが天に向かって手をかざすと、一条の光が部屋の天井を突き抜け、主塔の屋根から天空へと伸びた。やがてその光は空一面に広がり、霧散していった。
「どうだ、黒竜のことは覚えているか?」
「はい、確かに覚えております。ですが、本当に国民は黒竜のことを忘れたのでしょうか」
「ああ、だれか捕まえて聞いてみればすぐに分かることだ」
「追々確認すると致しましょう」
小難しいことはカーネルに任せるといった感じだったエルネスティーヌであったが、会話が途切れたタイミングで黒竜についての話題を終わらせる。どうやら彼女は結論が出ていることについては、あまり引きずらない、さっぱりとした性格のようだ。
「カーネル、黒竜のことについてはそのあたりでよろしいでしょうか?」
カーネルは黙って肯いた。
「では、ソル様の在り方についてですが、当面はこの城に滞在して頂きとうございますの」
「別に構わんが、何故だ?」
「少々申し上げにくいのですが、人としての常識とでもいいましょうか、ソル様の場合は特にエチケットですとか世間体を気になさるとかしていただきませんと」
「ククッ! なんだか親父に説教されてるみたいだが、まぁいいだろう。当分この城を拠点にするとしよう」
物おじせず、ずけずけと小言を垂れるエルネスティーヌと、父親の説教する姿が重なったことがおかしかったようで、ソルは笑いながら彼女の申し出を了承するのだった。
ソルの機嫌がいいことに安心したのだろうか、カーネルは思いついたように「そういう事ならば」と切り出す。
「エルネスティーヌ様、城に出入りする者、いや、上層部の者だけで構いませんか、ソル様をお披露目しておく必要がありますな」
「そうですわね、ソル様のこと、城の中を自由に歩き回られることでしょうから」
シーシア王国に来てから、分からないことは何でも聞きたがる好奇心旺盛な状態のソルであったが、さすがに、自分のことを城に勤める上層部に知らしめる必要性は、聞かずとも分かったようである。
しかし、ソルのことを城に勤める者たちに知らしめるとしても、ソルが世界の創造主と同格、すなわち絶対神であることは秘匿されることになった。理由は黒竜討伐を無かったことにしたことと同じで、ソルに煩わしい思いをさせないためである。ただし神格持ちには、ソルの神格が一目で分かってしまうので、どうすべきかということになったが「心配するな、俺の方で対処する」というソルの一言で、あっさりとかたづけられた。
「準備も必要ですからお披露目は明日、ということでよろしいですかな?」
「俺は構わん。が、今夜は一旦外に出るぞ。夜の街を見てみたいからな」
あれだけ目立つようなことは慎むような類のことを言ってきたにも拘らず、夜の街に出るというソルに対して、エルネスティーヌは呆れたように忠告する。
「くれぐれも、騒ぎを起こさないように約束してくださいますか?」
「心配するな、人には見えぬように行動するのでな」
そう言われても、今までのソルの言動からだろう、信用できないといったジト目でソルを見るエルネスティーヌであった。
「そろそろ夕食の時間となりますのですが、ソル様はどうなさいすか?」
「いただくとしようか、食っても食わぬでも体に影響はないのだがな。人の食事には興味がある」
そもそも、神であるソルにとって、生きていくというよりは存在するためといった表現が適切であろうが、食事をとる必要はない。しかしながら、味覚は備えているので食事を楽しむこともできるのである。
「わたくしがご一緒さしあげましょう。お父様やお母様にもソル様を紹介しておきたいですし」
カーネルは食事に先立ち、ソルの正体を国王一家とその護衛に伝えてくると言って出ていった。
「お父様、お母様、ご紹介しますわ。この方がソル様です」
エルネスティーヌに案内されて国王一家の夕食に招かれる形となったソルは、白いクロスが掛けられた楕円形のテーブルの乗る食器やフルーツ、煌びやかな照明に一瞬目を奪われたが、紹介された四〇代前半であろう黒髪の国王へ歩み寄ったかと思いきや、国王には一瞥をくれただけで、横に控えていた二〇代前半に見える、きりりと鋭い視線をソルに向けていた護衛の女騎士を、突然抱き寄せ、自分の胸のあたりにに顔がくるような形で抱擁した。
エルネスティーヌはじめ、国王、王妃はソルのあまりにも突飛な行動についていけず、あんぐりと口を開けて固まっている。
女騎士はといえば、ソルの行動に逆らうことができず、されるがままになっている。やがて彼女は、透きとおるような長い銀髪のすきまから覗く顔が上気し、ハァハァと喘ぎを漏らし始めた。逆に、喘いでいる女騎士の旋毛辺りを、じっと見つめるソルの視線は真剣そのものである。
エルネスティーヌは額に手を当て、首を振って呆れ顔でソルに問いかけた。
「ソル様は何をなさっておいででしょうか?」
「いい魂を持っているからな、相性を調べているところだ」
ソルは女騎士の魂に神気を通わせ、嫁としての適合性を見ているだけなのだが、一般的に見て、ソルがとった行動は、簡単には理解できないどころか、許容できかねるものであろう。
「相性といいますと、嫁についてのことでしょうか」
「その通りだ。うむ、相性もよさそうだ。この女は俺の嫁候補にする。誰にも渡さんからな」
あまりに明け透けないソルの言動に、あっけらかんとしたしていたエルネスティーヌであったが、すぐにその眼は座り、額に井型を作った。
「左様でございますか。それはそれは、ようございました」
「どうした? なにか気に障ることでもあったか?」
「いえね、今はお父様やお母様にソル様をご紹介差し上げているところですの。そのようなことは食事の後にでもごゆっくりとなさいませんこと」
エルネスティーヌに嫌味を言われて、女騎士を渋々解放したソルに国王が語りかける。
解放された女騎士は乱れた髪を直そうともせず、ぺたんと床に座り込んで、うつろにソルを見上げていた。
「いやいや、まっこと自由なお方だ。私はシーシア王国の国王を務めるマクシム・ペンテ・ティル・シーシアと申します。娘の窮地を救ってくださったこと心よりお礼申し上げる」
「あら、何のお話ですの? 私は妻のエリアーヌ・ペンテ・メル・シーシアですわ」
「ソル・ニート・フィリア・ラ・フィナールだ。ソルと呼んでくれ」
ソルに黒竜の記憶を消されている王妃エリアーヌは、国王マクシムが礼を言った内容について、よく理解できないのであろう、名のりながらも心配そうにエルネスティーヌを見ていた。
「それにしても、勇猛果敢で名をはせた男嫌いで有名なルシール近衛副隊長を、こうも容易く籠絡してしまわれるとは。いやはや」
マクシムの言に、未だ床に座り込み、うつろな目でソルを見上げているルシールを見たエリアーヌが、誘うような、経験を積み三十路越えした熟女ならではの、しっとりとした妖艶な目つきでソルを見上げる。
「そうですわねぇ、私はどうでございますか?」
じっとエリアーヌを見つめたソルは、ストレートに結論を出す。
「うむ、いいものを持っているが、お前の魂では俺の子をなすには耐えられんだろう」
「あら、残念ですわね」
「そう気落ちするな、側仕えになら召し抱えてやらんでもない。どれ、神界へ行っても魂が潰れんようにしてやろう。行くも行かぬも自由だ。好きにするがいい」
「まぁ、嬉しいですわ」
ソルが喜色を浮かべているエリアーヌに手をかざすと、淡い光が彼女を包み、そして消えて行った。
マクシムは心配そうな視線を妻エリアーヌに送っていたが、それを見たソルは豪快に笑う。
「ははははッ、王よ気にすることはない。すべては人としての寿命が尽きた後の話だ。生あるうちは二人仲良く暮らすがいいさ」
ひと波乱あった夕食前の顔合わせであったが、いざ夕食が始まると、上座でマナーなど気にする様子もなく、豪快に料理を食い漁るソルに、微笑ましくも驚きの顔を見せる国王一家であった。なにせ「これは何という料理だ」と聞いたが最後「美味い美味い」と瞬く間に完食しては、次の料理に手を付けるのだから、ソルの前に出された料理はあっという間に食い尽くされてしまったのだ。
目の前にあった料理を完食して、物足りなそうにしているソルを見かねたエリアーヌが「お代わりを召し上がりますか?」と言った途端、子供のように目を輝かせていたソルに、国王一家の夕食は和やかなものとなった。
夕食の間、立ち直ったルシール近衛副隊長はマクシムの後方に控えていたが、ソルから視線を外すことはなかった。その視線は柔らかく、愛おしいものを愛でるようなものであった。
食事を終え、エルネスティーヌの私室の隣室で休むように言われたソルは、一人になると部屋の窓から飛び降り、姿を消して夜の街へと歩き出した。
夕食時を過ぎ、街路の明かりもすでに消え、月明かりに照らされた貴族街の道を歩くソルの髪が、一陣の風にふわりと巻き上がる。それとともに、前方から一人の少女が、まさにすっ飛んできた。一〇歳位に見える半袖の白いワンピースを身に纏った少女は、ソルの前に立つとぺこりと頭を下げる。さらさらとした純白の長い少女の髪が風に揺れていた。