第二十四話:急襲
サーバッドと思われる人物が魔人化してオニコポス村のギルド支部を襲撃した事件を知り、それを対処することにしたソルは、翌朝、エルネスティーヌとルシールと共に潜伏している南東の森へと向かった。昨日、三人の男を侍らせていたダーヴィドは今もシチートリアのどこかで遊んでいるはずである。
シチートリアの街を南へと走り、街を出て辺り一面が青々とした草原に変わったところでソルは馬を止め、森の外れへと馬もろとも三人で転移した。突然景色が変わったことでだろう、馬が嘶きを上げる。
「ここからは歩くぞ」
馬を解き放ち、さっそうと森へ入ろうとしたソルをエルネスティーヌが止めた。そう焦るなと言わんばかりに。
「森に入る前に知っておいてほしいことがありますの」
それは、今まさに入らんとするこの森が、魔物の森と呼ばれていることであった。彼女曰く、魔物の森とはつまり魔物の巣窟であるという事、それは即ち瘴気の温床であり、普通の人間では入って運悪く瘴気に襲われれば、まともに生きていられないことを指している。
「ということなので、わたくしとシーを結界か何かで守って下さると助かりますの。常に瘴気が漂っているわけではありませんが、何時瘴気に襲われるか分からないですし」
「ならば仕方あるまい、神気の結界を張る。俺のそばから離れるな」
神気による不可視も兼ねた瘴気から身を守る結界を張り、森の中へと歩を進める。鬱蒼と木々が茂り、覆いかぶる木の葉で陽の光が届かない森の中は、下草があまり生えていない。そのおかげで歩き易いのはいいが、薄暗く陰鬱とした空気が気味の悪さを助長していた。
「静かですわね」
「ああ、だが魔物の気配がそこらじゅうにある」
魔物以外があまり生息していない森だけあって、静まり返った森の中にはソルたちの話し声と、踏みしめる枯葉の音だけがカサッ、カサッと響いている。途中何度か小型の魔物が、ソルの張った強力な結界に触れて霧散していった。
「ひとつ疑問があるんだが、エル、魔物は食欲に支配されていると言っていたよな。だがここには食料となるよな動物の気配がない。何故だか分かるか?」
「魔物は瘴気のあるところに集まる傾向がありますの。食料は魔物同士で共食いしていると言われていますが、正確には解明されていませんわ」
そんなことを話しながらも周囲から漂ってくる魔物や瘴気の気配に気を配りながら、歩を進めていった。そして、どれくらい歩いただろうか、標的が発する濃厚な瘴気を、ソルは察知したのだった。
「標的はあの洞穴の中だ」
その穴は森の奥、背の高い木々が生い茂り陽の光がほとんど射さない薄暗い地に突如として現れた。明るい場所であれば遠くから見えたであろうその穴は、森に覆われた山の斜面にパックリと大きな口を開けてひっそりとあいていた。中は周囲よりも暗く、真っ暗で何も見えない。
「不気味なくらい静かで、暗いですわね。本当にあの中にサーバッドは居りますの?」
「間違いない。あの洞穴からは濃い瘴気が漂ってきている。中の濃度はさらに高そうだ」
瘴気の濃度が高いことから、結界の強度を上げて洞穴の中へと入って行く。中は完全な暗闇で何も見えないが、神気を使って物を見ている今のソルには、中の様子を鮮明に捉えることができた。そして、そのイメージは同行している二人の脳に直接送られている。
「薄気味の悪いところではありますが、貴方が見えるようにして下さっているおかげで、中の様子は良く分かりますわ」
洞穴の入り口近くは岩がむき出しになった内壁と、落ち葉が腐った黒い土で覆われた柔らかい足元であったが、奥へと進んで行くうちに洞穴は狭くなり、複雑に曲がりくねっていった。そして、乾いたむき出しのゴツゴツした岩肌が、次第にぬれたつるつるとしたものへと変わり、天井から垂れ下がる鍾乳石でできた大小のつららが行く手を邪魔している。
「幻想的な様子ですが、足元は滑りやすいし、歩きにくいことこの上ないですわね」
「だがもうすぐだ、結界の中にいるとはいえ油断するなよ」
そう言った矢先だった。正面にある鍾乳石の巨大なつららを回り込んだ先、壁に空いた亀裂を潜った先に大きな広間が姿を現し、そこには、おぞましい光景が待ち受けていた。サーバッドであろう男がある物をむさぼるように喰らっている。それは人型をした物だった。一糸まとわぬ丸みを帯びた曲線的な肢体、膨らんだ胸、金色の長い髪のかつて女であった物、その破れた腹の中に顔を突っ込み、くちゃくちゃと内臓をむさぼり喰っている。その男は上半身に皮鎧を着ているが、下半身には何も身に着けていない。そしてその男と食料となっている女の横には、同じく全裸の物言わぬ女の死体と思しき物体が転がっていた。その股間はおびただしい量の血で濡れている。
「魔人が満たそうとするもの、性欲に食欲か……」
「なんとおぞましい。話には聞いておりましたが、これが魔人の本性というわけですわね」
「お前たちはここで大人しく見ていろ」
ソルはエルネスティーヌとルシールを残し、結界の外へと歩み出た。そしてその瞬間、ソルの体から垂れ流される神気が広間に満たされていた濃い瘴気を打ち消していった。広間に満たされていた瘴気は魔人から放出されたものではなく、この場所に溜まっていたものであるということはすぐに感じ取れた。眼前の魔人は広間に満たされた濃い瘴気を取り込んでいるようだ。
そして、食欲の赴くままに女の内臓をむさぼり喰っていた魔人が、のっそりと顔を上げる。その体からは神気を打ち消さんとする瘴気があふれ出していた。魔人はソルを見上げると唸り声をあげて立ち上がる。女のものであろう血に濡れ、いきり立つ股間。ドロドロの血肉にまみれた顔。それはまさに本能のままに欲望を満たさんとする魔人を地でいくような姿であり、そして、この魔人は明らかにサーバッドであった。
「お楽しみのところ悪いんだが、お前にはここで消滅してもらおう」
「グルルルルル……」
「なるほど、もう知性は残っていないというわけか」
そう言ったソルは、身構えて唸っているサーバッドに神気の炎を放った。それは先日ヨアクーダを消滅せしめたものと同じだった。サーバッドは炎に包まれると喉をかきむしるように一瞬もがき苦しんだが、やがて炎と同化し、炎の消失と共に霧散していった。そして、飲み込んでいたのであろう、その体内にあった瘴気石がパチリとはじけた。
サーバッドと彼が持ち去った瘴気石の消滅を確認したソルは結界で広間全体を覆うと、彼に犯され、内臓を食い荒らされた女と、同じく犯されて転がされている女のそばに歩み寄る。そして、あることに気が付いた。
「この女、まだ息がある。が、このままではまずいな」
その言葉に、エルネスティーヌが駆け寄って確かめようとしたが、それをソルが制止した。
「近づかない方がいい、魔人化しかけている」
「助けることはできませんの?」
「今調べている」
魔人化しかけている女の体に神気を送り込み、瘴気に侵された部分を調べていくと、体組織の一部と魂が瘴気に侵され、その浸食は今も続いていた。ソルは送り込む新規の量を増やして瘴気を打消し、その浸食を止める。
「この女を蝕んでいる瘴気は打ち消した。が、魂が変質してしまっている」
「では、彼女はもう……」
「いや、探ってみて分かったんだが、魂の核となる部分は無事だ。おそらく、もともとはよほど強い魂だったのだろう。瘴気に侵され変質した部分を取り払って、新たに再構築すれば大丈夫だ」
かざした手から出た光の霧が横たわる女を包み込む。これは濃い神気が視覚化したものであり、その神気が蝕まれた魂を洗い流すように浄化していく。神気で物を見ているソルの眼には、ドロドロに汚れた魂の外殻が神気によって洗い流され、果実の皮をむいたように魂の核が姿を現していく様子が見て取れた。そしてその魂の核を光の粒が包み込んでいき、外殻を形成していった。
「とりあえず、治療は終わった。蝕まれた魂と体組織は元に戻した。が、後はこの女次第だ」
「そうですか、目的も果たしたことですし、もう一人の彼女を弔ってここを出ましょう」
全裸であるがために、血色が戻ったことがより強調され、それを見たエルネスティーヌが、労わるように股間に残された血をハンカチでぬぐうと、着ていたローブを脱ぎ、女を包む。
無残に内臓を喰われ、躯を晒している女を神気の炎で焼いたソルは、治療が終わり、ローブに包まれた女を肩へと担ぎ上げ、広間を後にした。地上へと戻る道すがら、神気による結界は維持したまま周囲の瘴気を払っていく。そして、地上へと戻ると薄暗いまでも、自然の光が飛び込んできた。それでも、光の射すことがない洞穴の奥と比べれば明るく感じられる。
「どうする、このまま引き上げるか?」
「このままと言いますと、まだ何かありますの?」
「この山を回った森の奥に異常に濃い瘴気が感じ取れる」
「今は余計なことに首を突っ込むより、一旦街に戻ってその娘を寝かせるほうが先決だと思いますの」
「ソル様、私も早くこの森を出た方がいいと思います。何かは分かりませんが、先ほどから嫌な感じがしてなりません……」
何かを感じ取ったルシールが、森の木々に阻まれて見ることができない山の頂に視線を固定した。そして、時折吹く風で、木々の葉が擦れ合う音だけが聞こえる静かな薄暗い森の山裾に、強大な何かが突如として舞い降りてきた。
「エル、シー! 俺の後背に隠れろッ!!」
それは紫炎を纏った巨大な竜であった。強烈な風と共に一瞬にして周囲の木々がなぎ倒され、山裾が白日の下にさらされる。ソルの発した警告にいち早く反応したルシールが、ソルの後背に滑り込む。しかし、エルネスティーヌはその警告に反応することができなかった。
巨竜が纏う紫炎と思われたものは、炎などではなく、可視化されるほどに濃密で、強烈な圧力を持った瘴気であった。以前水の神殿奥の森で遭遇した瘴気の塊より桁違いに強烈な瘴気。それを直感したソルは、警告を発するとともに結界の強度を上昇させたのだが、瘴気の圧力と濃度がソルの予測を超えて結界の中に侵入してきたのだ。結界の中に満たされた神気と打ち消しあって濃度が低下した瘴気であったが、それはまさに神気の中を吹きすさぶ瘴気の風だった。
ソルの体から放出されている濃度の高い神気の中に入り込めなかったエルネスティーヌが、その瘴気の風をまともに浴びてしまう。
「ケホッ!」
喉をかきむしるようにして苦しみ、吐血したエルネスティーヌの血しぶきが舞い、彼女は白目を剥いて糸が切れたように崩れ落ちたのだった。そして、木々をなぎ倒して着陸した巨竜がその光景を見下ろしていた。




