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閑話二:魔族

 漆黒の球体から現れた長躯な男は、しばらくソルを見下ろしていたかと思えば、身を(かが)めてソルを抱き寄せ、顔に頬ずりをしてきた。


「まぁまぁ、ソル坊ちゃま。やーっと、わたくしめをお呼び下さいました。マティー、嬉しゅうございます」

「分かった分かった、気持ち悪いからやめてくれよマティアス」

「ソル坊ちゃまぁ、わたくしのことはマティーとお呼び下さいとあれほど……」


 明らかに芝居がかった仕草で悲しみを表現するマティアスであったが、彼のことを少し苦手にしているソルは、突っ込もうとは考えなかった。ここで突っ込むと、喜んだマティアスの行動がますますエスカレートしかねない。


「そ、そうだったな。以後気を付けよう。それとだな、俺のことはもう”坊ちゃま”と呼ばないでくれよ」

「あらぁ、時は残酷でございますねぇ。分かりました、これからはソル様とお呼びしますわぁ」


 このやり取りを見ていたアレクシスは、しばらく呆気(あっけ)にとられていたが、ふと我に返ったかと思えば、(ひざまず)き、(こうべ)を垂れたのだった。椅子に腰かけていた男たちもこれに倣い、マティアスとソルを取り囲むように集まると、跪き、頭を垂れた。


「魔神、マティアス・ムスタ・リ・ニート様、その神々しいお姿を拝見できましたこと、至福の境地にございます」


 マティアスはソルを放して立ち上がると、表情をきりりと引き締め、頭を垂れているアレクシスに身も凍るような冷たい声色(こわいろ)で言い放った。


「魔族ごときがソル様を”お前”呼ばわりするとは、この場で消し炭にしてしまいたいところですが…… ソル様はそれをご所望ではないご様子。アレクシスと言いましたか、貴方は今よりソル様の手足となって働きなさい。本来ならばわたくしがその御役目を果たしたいところですが、今回に限ってニート様より、ソル様に直接手を貸すなと申しつけられていますから」

「はっ、マティアス様より(たまわ)りし御役目、この身果てようとも(まっと)うさせていただきます」


 跪いていたアレクシスは両手両膝を床につく形で身を伏せると、額を床にこすりつけながらマティアスの命を受けたのだった。


「ソル様ぁ、そういう事ですから頑張ってくださぁい」

「ああ、分かっているさ。早いとこ終わらせて帰りたいしな」


 マティアスは嫌がるソルをしばらく抱擁すると、その場から忽然(こつぜん)と消えたのだった。マティアスから解放されたソルは、乱れた襟元を正すと、未だに伏せて額を床につけているアレクシスに語りかけた。


「アレクシス、これで俺の正体は分かっただろう、話しにくいから顔を上げろ。周りにいるお前らもだ」


 アレクシスとその側近たちが恐る恐る顔を上げ、そして、ソルを見上げる。澄ました視線をアレクシスに投じたソルは、やおら上座にあたるアレクシスが座っていた椅子へと歩み寄ると、背筋を伸ばして腰を下ろした。のであったが、不釣合いに大きい椅子に座りながらも、高いテーブルのせいで首から下が隠れてしまった。


「俺には大きすぎるな」


 というソルの呟きの直後、忽然とテーブルが消え、そこには囲んでいた椅子だけが残っている。椅子が大きすぎるせいで足を宙に浮かせたまま、ソルはアレクシスとその側近たちに「椅子に座れ」と命じた。アレクシスが、ソルの正面、無くなったテーブルがあった場所に椅子を移動し着席すると、側近たちはその後ろに椅子を並べなおして着席する。


「俺はさっき話したように、増長甚だしいダーヴィド・ナーリスヴァーラ・イマトラを処分しに来たが、お前たちはここで何を話していたんだ?」

「申し上げます。我々はダーヴィドが支配するイマトラ王国と戦争状態にあり、残念ではありますが連戦連敗によって国家存亡の危機に陥っております。先ほどまでは今後どう戦っていくか議論していた所であります」


 アレクシスの右後ろに座っている年老いてはいるが、武骨で傷痕が目立つ顔の男がソルの問いに答えた。


「なるほど、俺の目的とお前たちの目的は一致していると考えていいわけだな」

「は、左様にございます」

「お前、名は何という」

「は、オルランド・バハルド・エンリケスにございます」

「ではオルランドに聞こう。なぜそこまで追い込まれている? 親父にはダーヴィドが丁度いい俺の相手だと言われたが、奴は強いのか?」


 先ほどソルの問いに答えた老将によると、ダーヴィドはイリオスタント世界において、かつてない強大な魔力を有しており、隣接する二国に単身で攻め込み、イマトラ王国に併合してしまったそうである。その勢いをかってか、ここトゥルク王国にイマトラ王国軍が攻め込んできたが、どういうわけかダーヴィドは高みの見物を決め込んでいるらしく、戦場で彼を見た者はいないという。それでも、二国を併合したイマトラ王国軍の兵力は大きく、苦境に立たされているということであった。


「このままではトゥルク王国の滅亡も時間の問題というわけか」

「先ほどまで、降伏して民の助命を乞うか、あくまでも抗戦するか話し合っておりました」


 アレクシスは無念の表情でそう語ると、顔を伏せ押し黙ってしまった。側近たちも同様に黙している。このときソルはこの先自分がどう行動するか考えていた。わざわざ、トゥルク王国の王城まで足を運んだ理由は、手駒となる味方を手に入れるためであるが、トゥルク王国が滅びてしまうのもこのゲームの敗北条件に近づいてしまう。ならばトゥルク王国を守りつつ、ダーヴィド攻略についての方策を立てる必要があるという結論に至るのは自明なことであった。


「トゥルク王国軍とイマトラ王国軍の規模はどうなっている」


 静かに発せられたソルの問いかけに、押し黙っていたアレクシスが顔を上げた。


「現在のトゥルク王国軍で戦える者は二万名弱、イマトラ王国軍は併合した二国の兵力を合わせれば十万を超えていると考えられます」

「二万対十万か……」


 アレクシスから兵力の差を聞いたソルは、どうやって二万の兵力で十万の軍勢を打ち破るかということを考えはしたが、そもそも軍略などに明るくないこともあって、結局のところ良い戦略を思いつくに至らなかった。ならば、ダーヴィドがやったように自分が十万の軍勢を相手にすればいい。そう考えたソルは、ダーヴィド攻略に向けての考えをアレクシスとその側近たちに披露したのだった。


「ダーヴィドが出てくるまで、十万のイマトラ王国軍は俺が単独で相手してやる。お前たちはその間自己防衛だけに専念しろ。決して力を浪費するな。そしてダーヴィドが出てきたら俺の手足となって働け。お前たちの相手はダヴィードの側近だ」


 聞きようによっては無茶苦茶な作戦であるが、発案者のソルにしてみれば最も理に適っていると考えた作戦である。ダーヴィドが出てくるまでアレクシスたちに自己防衛させるのは、いるかどうかは分からないが、ダーヴィドが側近と共に出張(でば)ってきたときのことを考えてのことである。ダーヴィドの力量がソルに匹敵しているのならば、ソルとダーヴィドがやりあっている最中に、彼の側近に加勢されてはたまらない。ならばダーヴィドの側近にはアレクシスとその側近をあてがおうと、ソルは考えたのである。


「ソル様のお考えは理解いたしました。しかし、どうやってソル様単身で十万もの軍勢とまみえるのでございますか?」


 アレクシスはソルの力量をまだ十分に理解していないのであろう、十万もの大軍を単身で打ち破るというイメージが湧かないようである。


「ダーヴィドにできて俺にできないことはないだろう?」

「ダヴィードは単身で軍勢を相手にしたわけではありません」


 ソルは率直に思ったことを答えたのであったが、アレクシスはそうではないと言う。ダヴィードは一人で軍勢を相手にしたのではなく、単身城に乗り込んで王を倒したというのだ。ソルはダヴィードが「単身隣国に攻め込んだ」というのを聞いて、単身で軍勢を相手にしたと早とちりしたわけであるが、一度やると言ったことを引っ込めるほどの器量を、このときはまだ持ち合わせていなかった。


「俺を誰だと思っている。たとえ雑兵が十万集まろうと俺の敵ではない」


 イリオスタントは魔族の世界である。魔力を持たない人間など存在すらせず、彼らイリオスタント人が持つ魔力は、理を歪める力などではなく、創造破壊する力であり、神力ほどの万能性はないが、その性質は神力に近い。そんな魔力をもつ兵たちを、このときソルは雑兵と見下していた。しかし、アレクシスたちには、ソルがそう言うのならば、それを信じるしか(すべ)はないのである。


「はっ! ソル様がそう仰るのならば我々は全身全霊を()って己の責務を全うしましょう」

「いい返事だ。ところで、敵はいつ攻めてくるのだ?」


 強がって言ったセリフがアレクシスの決意めいた発言を引き出してしまったこともあり、引くに引けなくなってしまったソルは、表には出さないが、なかば自棄(やけ)気味に敵の動きを聞いたのだった。


「申し上げます。我々が掴んでいる情報によりますと、敵本軍五万は既に次の出撃に向けて準備を進めております。併合した二国の軍勢に関しては今のところ動きはありません。よって、本軍だけで攻めてくるならば、おそらく三日後か四日後には国境を越えてくると考えられます」


 オルランドの報告によると、少なくとも五万の軍勢をソルは相手にすることになる。一口に五万の敵軍といっても、魔族の力量を詳しくは知らないソルには、いまいちピンとこない。オルランドの報告を受けてしばし黙考したソルは、それならば実際に計ってみようという考えに至ったのであった。


「五万の軍勢の攻撃力を知りたい。そこでだ、お前たちの中で一番攻撃力が有る者の攻撃を受けてみようと思う。お前たちの中で最も強いものは誰だ?」


 この発言を受けてざわめくアレクシスの側近たちであったが、オルランドが「静まれ」とそれを制した。


「申し上げます。我々の中で最も強いのはアレクシス様になります。アレクシス様なれば一般兵百名程度でしたら一撃で(ほふ)ることができましょう」


 オルランドはソルの真意を汲み取ったようだ。具体的な数字をあげてアレクシスの力量を示して見せた。それを聞いたソルは、こいつできるなと思い、ニヤリと口の端を吊り上げる。


「よし、アレクシス、俺に向けて全力の一撃を放ってみろ」

「ソル様、ここで私が全力を出せば、下手をするとこの部屋ごと吹き飛んでしまいます。城の裏手に練武場がありますから、そこで致しましょう」


 そうかと納得したソルは、アレクシスの申し出に了承したのだった。アレクシスに案内される形で部屋を出たソルは、一階の大広間から城の裏手に回り、練武場へと足を運んだ。練武場は、魔族が鍛練する場所だけあって、学校の運動場程度であろうか、かなり広い。その中央まで進んだソルとアレクシスは、距離を開けて対峙したのだった。

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