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第二十話:老婆

 ソルにじゃれついていたたダーヴィドであったが、「早くやれ」とせっつかれて、ようやくヨアクーダの屋敷へと意識を飛ばした。そして、あっけなく結界を素通りすることに成功したようだ。


「みーつけた。フムフム、うふふっ、へぇー、なるほどぉ……」

「ヴィド、お前の魂胆は分かっている。その手はもう通じんぞ」

「チッ、バレバレですか、しょうがないわね。見ておくんなまし」


 それはどこの方言だ、と突っ込もうとしかけたソルであったが、ヤバいヤバい、とダーヴィドの手に乗りかけてしまった事にすんでのところで気付いて、なんとかスルーする事ができた。ソルに突っ込まれるために、二重の罠を仕掛けてきたダーヴィドは、ソルにスルーされたことを気にとめることもなく、部屋の中央に人一人ほどの大きさの、透明な球体状スクリーンを出現させると、そこにヨアクーダの屋敷内部を映し出した。


 スクリーンにはヨアクーダと思われる気難しそうな顔をした男と、一五、六に見える全裸の少女二人が映し出された。少女は二人とも鎖が付いた首輪をされており、その鎖は石積みの壁に繋がっている。そのうちの一人、青い髪の少女は手にワイングラスを乗せたトレーを持って立っており、目は虚ろで精気が感じられない。その前には椅子に座った男が、床に四つん這いになった茶髪の少女に組んだ片足を乗せている。


「あれは間違いなくヨアクーダですわ。それに、あの娘たちは奴隷…… ですわね。彼を今の地位から追い落とすにはこれだけで十分ですわ」


 エルネスティーヌによると、ここシーシア王国において、奴隷の所有は認められておらず、所有すればそれだけで重罪になるそうである。この映像はダーヴィドによっていつでも再生できるらしいので、ヨアクーダを罪に問う証拠としてはこれで十分である。しかし、まだ噂の確認は終わっていない。ということで、このまましばらくヨアクーダの行動を観察することになった。


「長丁場になるかもしれませんわね。飲み物と食料が欲しいところですわ」

「それもそうだな、エル、お前はここで見ていろ。俺が買ってきてやる」

「ソル様、食料の調達には私が行きます」


 ヨアクーダの読書がまだ続きそうだと考えたソルは、買い出しの役目を買って出たのだが、それはルシールによって止められる。代わりに彼女が買い出しへと部屋を出て行ったのだった。結局、ソルの予想通りルシールが買い出しから帰ってくるまで、映像に変化は無かったのだが、ルシールが帰ってくると、ダーヴィドが予想だにしないことを言い出したのだった。


「あの男、ヨアクーダと言いましたか、あれは人に(あら)ざるもの。この世界で言う魔人ですわよ」


 これに驚いたのがエルネスティーヌだった。ソルと帰ってきたばかりのルシールはキョトンとしている。エルネスティーヌはルシールから水筒を受け取ると、水を一口飲んで息を整え、魔人について語りだした。


「ダーヴィドさん、貴方が言うことが真実ならば、一刻も早くヨアクーダを亡き者にする必要がありますの。ですが、一般的に魔人とは人が瘴気に侵された結果変質した存在で、変質と同時に理性を失うのが常。奴隷を侍らせ、静かに本を読み(ふけ)るなど、理性無き魔人には考えられぬ所業ですわ」

「貴女が何と言おうとヨアクーダが魔人であることは事実、ソル様、どうなさいますか?」

 

 ダーヴィドは下を向いて考え込むエルネスティーヌを一瞥すると、ソルに判断を仰いだ。


「どうするもなにも、今のままでは何も分からん。しばらく奴の行動を観察するしかないだろう。それとも乗り込んで始末するか?」

「何も対策をせずに乗り込んで瘴気を振り撒かれでもしたら、耐性の無い一般の民に大きな被害が出ますわ。しばらく様子を見ましょう」

「瘴気とはそれほどの物なのか?」

「ええ、魔人が全力で瘴気を放出すれば、屋敷から漏れ出す瘴気で近隣にいる一般人は即死しますわ。一般的な魔物と魔人とでは保有している瘴気の量が桁違いですから」


 こうして、しばらく様子を見ることになったのだが、結局この日は何も起こらなかった。読書を終えたヨアクーダは食事をとることもなく寝室へと移動すると、そのままベッドに潜り込んでしまう。そして翌日、何も起こらないまま、退屈な監視に嫌気を感じ始めていた正午過ぎにヨアクーダへの来客があった。昨日と変わらぬ感じで読書に耽るヨアクーダのもとへ歩み寄った執事が耳打ちをすると、応接室らしき豪華な部屋に移動し、ソファにどっかりと座って足を組んでいる。そしてしばらくすると、執事に案内された男がヨアクーダの対面へと来て、ソファに座り、緊張した様子で何かを話しはじめた。


「あの男、見覚えがありますわね」

「ああ、しかし何を話しているか分からんな。ヴィド、音を拾えるか?」


 確かにソルはヨアクーダを訪ねてきた男に見覚えはあった。しかし、何を話しているか分からないので、ダーヴィドに音を拾えと命じたのだった。ダーヴィドはその要望にいとも容易(たやす)く応え、ヨアクーダの様子を映し出す球形のスクリーンからは、唐突に話し声が聞こえ始めた。


『そんなことはどうでもい、セシリアは始末できたかと聞いている』

『いえ、残念ながらセシリアはまだ生きております』

『渡した物は役に立たなかったのか?』

『いえ、魔物を呼ぶことには成功しましたが……』

『どうした、はっきり言え』

『はい、魔物の群れをおびき寄せることができたのですが、調査と称して確認に行かせた者たちにあっけなく全滅させらてしまいまして、セシリアは命を拾いました』

『何故そんな余計な事をした。私はセシリアを処分しろと命じたのだぞ』

『も、申し訳ありません。我々にも体面が……』

『言い訳など聞きたくない。最後通告だ、今日中にセシリアを処分しろ』


 青ざめた顔でぶるぶると震えながら、必死に言い訳をする男の襟首を掴んで宙に持ち上げたヨアクーダは、そう言って男を解放し、男は逃げるように応接室から退出したのだった。


「セシリアを処分すると言っていたな、どうするのだ?」

「どうするもなにも、人殺しを見過ごすことはできませんの、阻止しますわよ。あの男を追跡できまして?」

「容易いことだ、ヴィドお前はここでヨアクーダの監視を続けろ」

「時間がありませんの、行きますわよ。ソル、案内をお願いしますわ」


 そう言って部屋を飛び出したエルネスティーヌにソルとルシールも続いた。そして、宿を出たところでソルはエルネスティーヌを追い抜くと、ヨアクーダの屋敷を出た男をに意識を飛ばしつつ、シチートリアの街中を駆け抜けるのだった。時には行きかう人々を掻き分けるようにして大通りを南へと向けて走り、そこから進路を西へととった。ヨアクーダの屋敷はシチートリアの中央部からやや東にあり、男はそこから真直ぐ西へと進んでいる。ソルはその進行方向と交わるように進路を選んでいった。一旦西へととった進路を再び南へと変える、そしてまた西へと進む。道幅は曲がるたびに細くなってゆき、すれ違ったり追い抜いたりする人の数も減っていった。そして、東西に走る大通りへと出たかと思えば、そのまま突っ切って南へと少し走り、また西へと曲がる。どうにか馬車がすれ違えるほどの道を西に向かって走り続けると、ソルは一軒の邸宅の前で唐突に停止したのだった。道沿いには割と裕福な庭付きの家々が並んでいる。


「奴は今しがたこの家に入った。どうする?」

「突入しますわよ」


 エルネスティーヌは迷いなくそう言い放つと、玄関めがけて足りだした。そして、扉に手を掛けようとした時だった。家の中からつんざくような女の悲鳴が聞こえてきた。一瞬、間に合わなかったかと、ソルは思ったが、死んでさえいなければどうとでもなると思い直して、扉を開け放ち、家の中へと突入したエルネスティーヌの後へと続いた。そして、年若い女を庇うようにして覆いかぶさり、背中にナイフを突き刺された老婆と、床に両膝をつき、放心したように自分の両手を見ている男が、ソルの視界に飛び込んでくる。そして、ソルの後ろから駆け込んできたルシールが、すかさず放心している男を取り押さえたのだった。


 ソルは、ナイフが突き刺さった背中から血を流す老婆に神気を通わせた。老婆が気を失ってはいるが、まだ息絶えていないことを確認すると、傍に駆け寄り、突き刺さるナイフをどこかへとかき消した。そして、そのまま老婆を抱き上げたのだった。ソルは、抱きかかえた老婆に通わせる神気をさらに強いものへと変える。それは、今にも息絶えようとしている老婆の血のめぐりを活性化させ、傷ついた切り口を繋ぎとめて行った。血の気が引いて土気色をしていた老婆の頬に若干の赤みが差し、すぅすぅと寝息が戻る。


「何とか間に合ったようだな。もう大丈夫だ」


 老婆に守られるように覆いかぶされていた少女はソルの言葉を聞いて立ち上がり、抱き抱えられて安らかな顔で寝息を立てている老婆を見ると、安心したのか微笑みながらも目に涙を浮かべ「ありがとうございます。ありがとうございます」と礼を言っていた。しかし、その様子を見ていたエルネスティーヌが腕を組み、怪訝そうな表情でソルに問いかける。


「その方が助かったのは確かに良かったのですが…… ソル、貴方はいったい何をしていらっしゃいますの?」


 エルネスティーヌは、抱きかかえている老婆の額に、真剣な顔をして自分の額を当てているソルに向かってそう言ったのだった。ソルに抱かれた老婆の頬は、先ほどまでは若干の赤みを帯びていただけで、その表情は安らかなものであったのだが、今は上気したように顔全体が火照っている。そして、すぅすぅと立てていた寝息は、いつのまにか喘ぎにも似た荒いものへと変わっていたのだ。


「神気を通わせてみて分かったのだが、この女の魂は素晴らしく良くてな。シーには若干及ばないが、神界に行く素質は十分だ」

「まぁまぁ、そうでございましたか、その老婆も貴方の嫁候補だと。老いも若きも貴方には関係ございませんのね。ついでに言わせてもらえば状況さえも」


 ソルは、眉間を親指と人差し指で軽くつまみながら下を向き、呆れているエルネスティーヌのことなど構いもせず、老婆の魂を堪能していた。魂だけを見ている今のソルには、抱いている老婆の肉体ではなく、最も瑞々(みずみず)しく美しかっただろう頃の魂の姿が映っている。傍から見ればソルに抱きかかえられているのは、染みとシワだらけの顔に、寂しくなった白髪頭の老婆であるが、ソルが見ている魂の姿は、薄い水色のサラサラとした長髪に、少し切れ長の目をした瑞々しく美しい顔立ちの女性であった。


 そう、ソルにとって嫁にする相手の年齢など関係ないのである。生ある間、肉体は歳と共に老いていくのが常であるが、魂はそうではない。人の世での醜美などソルにとってはどうでもいいことであり、その者が持つ魂が自分に合っているかいないか、それこそが重要なのである。


 そして、そうこうしている内に、老婆が意識を取り戻した。ゆっくりと開けられた瞳は、とろけるようにうっとりとしており、驚いた様子もなくソルのことを見つめていた。


「気が付いたようだな。安心するがいい、お前の傷は治しておいた」

「貴方様は…… あぁ、何と神々しい」


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