第十九話:魔王
言い出せなかったのか、忘れていたのかは分からないが、唐突に切り出された理由、神事によるお勤めに出席するカーリと別れたソルたち旅の一行は、闇夜に煌々と輝く街灯りの中へと紛れていった。
エルネスティーヌはシチートリアへと到着したところで、まずは滞在する宿に行くと言ってソルたちを案内し始める。彼女の中では既に目的の宿が決まっているようだ。シチートリアはシーシア王国第二の規模を誇る都市であり、街灯や店の灯りで明るく照らされた大通りには多くの人や馬車などが行き交っている。ソルは、煌びやかな街の様子に、もっとゆっくりと周りを見て行きたいと考えたが、足早に歩くエルネスティーヌがそれをさせてくれるとは思えなかった。だからソルは素直に彼女の後を追っている。そう、親に続く子供のように。
幸いなことに目的の宿は比較的街の入り口に近い所にあるらしく、案内するエルネスティーヌの足取りも軽やかである。そして彼女の言うとおり、半刻も歩かぬうちに三階建ての比較的大きな宿に到着した。ソルに手綱を預けたエルネスティーヌが「部屋を確保してきますわ」と言って宿屋へ入ってから、さほど待つことなく「二部屋とれましたわ」と言いながら従業員を連れて戻ってくる。一行は引き連れていた馬を宿の従業員に預けると、宿屋へと入り、ロビーにある休憩スペースで今後の予定を話し合うことにした。
「ここでの目的は、以前にお話しましたとおり、この街を統治する大貴族、ヨアクーダ・ペンテ・イカーンガの善悪を見極めること。ヨアクーダには何かと黒い噂が付き纏っておりますから、黒の可能性が高いのですけれども、如何せん彼のガードはきついと聞いておりますの。ですから多少卑怯な手を使ってでも目的を果たそうかと考えていたのですけれども……」
「どうした?」
「いえね、実はカーリの力を借りるつもりでおりましたの」
「卑怯な手とはそういうことか」
「ええ、ですがカーリの神事が終わるまで一月も待つというのは考えたくありませんし」
このときソルには、エルネスティーヌが少々焦っているように見受けられた。ヨアクーダに付き纏う黒い噂とはいうが、たかが噂に何を焦っているのだろうか、と考えたソルは突っ込んだ質問をしてみることにしたのである。
「ヨアクーダに付き纏う黒い噂とはどういうものだ? 焦っているように見えるが、国の沽券に関わるようなことなのか?」
エルネスティーヌは少し考えた後「ここでこの話をするのは少々不用心ですわ」と言って、ソルとルシールが泊まる部屋へと移動して話の続きをすることになった。
「結界を張って下さいまし」
部屋に入るなりそう言ったエルネスティーヌに、結界まで張るほどのことなのか? と不思議がるソルであったが、断る理由もないので、彼女の望むままに神力による結界を張って話を続けることにした。そしてイースティリア世界に存在するあらゆる力を使っても検知不可能な遮音結界を張り、エルネスティーヌに告げた。
「もう喋っていいぞ」
それを聞いたエルネスティーヌが、貴族ヨアクーダに関する情報を語り始める。
「シチートリアを統治している貴族、ヨアクーダ・ペンテ・イカーンガには黒い噂が絶えないと言われておりますが、このことについては既に王宮でも調査を行っておりますの。ですが――」
エルネスティーヌによると、ヨアクーダには彼にまつわる金の動きに不透明な点が多いという。また、未解決事件に関わる行方不明者の多くが、彼に関係があるとも噂されている。さらに、ヨアクーダのガードが異常に固く、王宮が送り込んだ密偵からの有益な情報は、未だにないそうである。しかも、ヨアクーダ自身はほとんど屋敷に籠っており、滅多な事がないかぎり人前に出ることがなく、シチートリアの住民ですら彼の顔を知る者は少ないということであった。
「なるほどな、それでカーリに頼んでそのヨアクーダとかいうやつの調査をしたかったわけか」
「ええ、専門の密偵ですら尻尾を掴めないどころか、日頃ヨアクーダがどういったことをしているのかすら分かっておりませんの。それに、噂ではシチートリア中に監視の目を張り巡らせているとも聞きますし……」
それならばと、ソルは自分の力でヨアクーダの動きを探ってみようかと提案したのであった。エルネスティーヌにヨアクーダの屋敷の位置をイメージしてもらい、それを読み取って屋敷へと意識を伸ばすと言う。エルネスティーヌは、また神気で体中を弄ばれるのかとでも思ったのだろう、一瞬ためらいを見せたが、それ以外に良い方法を思いつくには至らなかったようで、嫌そうな顔をしながらもソルの提案に乗ったのであった。ソルはエルネスティーヌへと神気を通わせ、彼女のイメージを読み込んでいく。そして、ヨアクーダの屋敷へと意識を伸ばしたのだった。
「だめだな、結界が張ってある。しかもこれは魔力と巧妙に隠してあるが僅かな瘴気の膜だ。結界の中に意識を伸ばすと俺の神気を感じ取られる可能性が高いな」
この報告にエルネスティーヌもルシールも、そんな馬鹿なといった表情をしている。
「瘴気ですって!? 漂っているのではなくて結界を瘴気で張るなんて、そんなことができるとは聞いたこともありませんわ。ヨアクーダが優れた魔法士であることは聞き及んでいるのですけれども、魔法士が瘴気を操ることはできませんの」
「ならば、魔物を飼い慣らしているのか?」
「それも考えにくいですわね。一般的に魔物や魔人は人の指示には従いませんの。人や獣が魔物化すると、理性が無くなって生きるための基本的な欲求のみが極端に強くなり、その欲求に支配されますから、魔物でしたら食欲、魔人でしたら食欲に性欲といったところですわね」
しばらく沈黙が続いた後、このままでは打つ手がないと、ソルは他の手を考えることにした。そして、一案を閃いた。のだが、いやだめだと、頭を振ってそこで思いとどまった。しかし、それを見ていたエルネスティーヌが問い詰めてきた。
「何かいい案を思いつきましたの?」
「いやな、瘴気の結界を素通りする方法があるにはあるのだが……」
ソルは言いよどんでしまった。そんなソルを見てエルネスティーヌは「らしくありませんわね、方法があるなら教えてくださいな」と、言葉はきつくないが、眉間にしわを寄せ、目を細めて少し機嫌悪そうに催促したのだった。それでもソルはためらったが、無言で迫る彼女のプレッシャーに根負けしたのだった。
「神界にいる俺の僕を呼び出して探らせればいいんだが、少々性格に難が有ってな」
「ソル、貴方こそそんなことを言える性格をしてまして? たとえ性格破綻者が二人に増えようがもう気にしませんわ。早くお呼び下さいまし」
ずいぶんひどい言われようだが、ソルはそんな彼女の物おじしない言動を気に入っていた。そして、それならばと僕を呼びたすことにした。視線を天井に向けて僕の居場所を特定すると、そのまま僕へと話しかける。
「おいヴィド、聞いているか、魔力を抑えて今すぐここに来い」
そして僕は唐突に現れた。黒いスラックスに白いシャツを着ており、薄い紫色のサラサラとした髪に、整った目鼻立ち、髪と同色の瞳は、どちらかといえば柔らかい印象を受ける美青年だ。
「ソル様、御用でございますか? 私にできることならばなんなりと申し付けくださいませ」
現れたソルの僕を見て、エルネスティーヌは開けた口に手をあてて「まぁまぁ、これはまた」と驚き、ルシールは何故か安堵の表情をしていた。
「この方は何とおっしゃいますの。貴方の僕というからには神族の方でして?」
「いや、神族ではない。これは異世界の言うならば魔王だ」
「ま、魔王様でございますか……」
エルネスティーヌはそう言って驚いてはいたが、すぐに気を取り直したように用件を話しはじめた。
「わたくしはこの国の王女、エルネスティーヌ・エクス・メル・シーシア、貴方にお願いがありますの。聞いて下さいまし」
「ほう、人間の雌ごときが私に一端の口を利くか、思い上がりも甚だしいが、ソル様の命とあらば聞いてやらんでもない」
なんとも驕り高ぶった高圧的な態度をとる僕に、ソルはやれやれと言った顔をして拳骨を落とした。ゴツンという鈍い音からも分かる通り、ソルはあまり力を抜かなかった。しかし、拳骨を落とされた僕はというと、痛がるどころか、なぜか嬉しそうにしている。
「エル、これの言動は気にするな。これは俺に折檻されることを何よりも喜ぶ、そして、そのための手段を選ばん。だから呼びたくなかったんだ」
ソルの説明を聞いたエルネスティーヌは、ぽかんと口を開けて呆れていた。しかし、ルシールはなにやら危機感を覚えたのか、悔しそうに僕を睨んでいる。その役目は私の物だと言わんばかりに。
「ヴィド、ふざけるのは後にしてこの二人にまずは名乗れ」
「私の名はダーヴィド・ナーリスヴァーラ・ル・ソル、ここに居わすソル様の僕にして所有物。ちなみに、私に性別はない」
ダーヴィドはそう言うと、唐突に男だった姿を女のものへと変えたのだった。変わらないのは髪と目の色だけで、ソルと同じくらいあった身長は頭一つ低くなり、伸びた髪がシャツを破らんと自己主張する、豊満な胸にかかっている。そしてダーヴィドは、その豊満な胸をエルネスティーヌとルシールに見せつけるように両腕ではさみ、押し出してみせた。エルネスティーヌとルシールは自分の胸とダーヴィドの胸を交互に見ると、悔しそうにダーヴィドを睨みつけた。しかし、ダーヴィドの魂胆を見抜いているソルは、悔しそうにしている二人に対して気にしないようにアドバイスするのだった。
「ヴィドはこういうやつだ、ここで俺が怒ると喜ぶからお前たちはこれの言動に惑わされるな」
「もう、ソル様ったら、ばらしちゃダメですよ」
女へと姿を変えたダーヴィドは、声と話し言葉まで女になっていた。
「話が進まんからもうお前は大人しくしていろ。エル、用件を話せ」
一旦睨みつけた後、プイと横を向いていたエルネスティーヌは、ダーヴィドに視線を戻すと少々怒気をはらませた声で用件を話しはじめた。ソルに睨みつけられて大人しくエルネスティーヌの要件を聞いていたダーヴィドは、その内容を理解したようだった。
「ソル様ぁ、これくらいのことならぁ、ソル様にも可能ですよぉ」
ダーヴィドが言うには、魔力も神気も察知する結界を素通りするためには、ダーヴィドが使う魔力を用いればいいということであった。ダーヴィドが使う魔力は、イースティリア世界の魔力とは根本的に性質が違うらしい。イースティリア世界の魔力が理を歪める力なのに対して、ダーヴィドが使うそれは、名前こそ魔力と言っているが、その性質は理を創造破壊する力なので、神力に近いものがある。ただし、神力ほどの自由度は無く、根本となる力の発生原理も神力とは異なるため、ヨアクーダの屋敷を覆っている結界を素通りできるとのことであった。さらに、絶対神であるソルは、ダーヴィドが使う魔力も、当然使えるという事であった。
「まったくぅ、ソル様はいつまでたっても私の魔力を理解しようとなさらないんですからぁ」
「それはお前のその性格が原因だ。お前はただ、俺に神気で弄ばれたいだけだろう」
てへっ、と舌を出して可愛いそぶりを見せるダーヴィドに、目を閉じてソルは拳骨を落とし、やはりというか、それに喜びを表すダーヴィドを見て、ルシールはぷくっと頬を膨らませているし、エルネスティーヌはやれやれと首を振っていた。




