第一話:神の子
「しいていえば将来の嫁を探しにきた」
「よ、嫁でございますか……」
光と共に出現した男、ソルがこの地に来た目的を聞いたエルネスティーヌは、予想だにしていなかった答えだったのだろう、拍子抜けした感じで呆れていた。
山道を駆け下り、青々しい木々の生い茂る林道を抜けると、そこは一面の麦畑であった。収穫期が近いのであろう、たわわに実った金色の穂が風に泳いでいる。前方には大きな川が流れ、そのはるか向こう、地平線の彼方まで黄金色に染まっている。
麦畑が続く道でソルは一旦馬を止め、周囲を見渡した。
「こんな所でどうなさいましたの?」
「なかなかいい景色だと思ってな」
「あらあら、そうでございましたか。わたくしには見慣れた風景ですけれども、初めての方にはそうなのかもしれませんね。そうそう、川ぞいの道を右に進んでくださいませ」
ひとしきり景色を堪能したソルは再び馬を走らせる。エルネスティーヌの言葉をうわの空で聞いていたにもかかわらず、進む方向は間違えなかったようで、川ぞいの道を右に曲がり、川上に向かって進んでいく。しばらく走ると道のわきには木々や民家が見え始め、やがて、景色はオレンジ色の屋根に白い壁の家々が立ち並ぶ街へと変わっていった。街に入るとエルネスティーヌに走る速度を落とすように言われ、ソルはそれに従う。馬車や人々が行きかう石畳の道をカッポカッポとゆっくり馬を歩かせた。
「これが人々が住む街か。ずいぶんと小さい家に住んでいるのだな」
「庶民の家といえばこんなものでしょう」
街の人々がエルネスティーヌに気付いたのだろう、あちこちから「エル様」とういう声が聞こえてくる。「エル様が男の方と、しかもなんてワイルドな――」とか「ついにエル様に春が――」とか「エルさまー、そのひとだーれ――」とか。エルは気恥ずかしいのだろうか、うつむき、ソルの腕の中で頬を上気させている。
「ずいぶんと人気があるのだな」
「恥ずかしゅうございます。少々スピードを上げてもらえませんでしょうか」
ソルはそんなエルの心境の変化がよく理解できない。スピードを落とせと言ったり、上げろと言ったり。それでもソルはエルネスティーヌの希望に沿うように、少しだけ馬を歩かせる速度を上げるのだった。
街の中を進んでいくと唐突に景色が切り替わった。オレンジ屋根の家々が、行きかう人々が消え、眼前には高い石積みの壁に馬車が行き違えるほどの巨大な門が鎮座している。門の両脇には二人の槍を持った兵士が立ち、睨みを利かしていた。しかし、エルネスティーヌに焦りは見えない。
「そのまま真すぐ進んでくださいな」
エルネスティーヌはそう言って、兵士に向かって軽く手を振った。兵士は彼女を確認すると敬礼で返す。その兵士の眼は少し驚いているように見えたのだった。
門を潜ったソルが目にした光景は、先ほどまでのごちゃごちゃしたものとはまるで違う景色だった。でこぼこの少ない広い石畳の通りに面した家々は柵や壁に囲まれ、それらが建ち並ぶ間隔も先ほどまでとはまるで異なっている。その家々は一言で言えば豪華絢爛、なのだが、ソルの興味は別の所にあった。
「先ほどまでとは家の大きさが違うな」
「ここは貴族街ですの。庶民とは違って貴族は裕福でございますから」
その応えになるほどと納得するソルではない。さらに疑問を投げかける。
「貴族とはなんだ? 裕福だと家が大きくなるのか?」
エルネスティーヌはソルに常識が通用しないことをあらためて思い出し、投げやりぎみにではあるが、できるだけ平易な言葉を選んで答えた。
「貴族ですか、簡単に言うと家柄や身分が高い人々のことですが、シーシア王国では魔力が高くて実力を認められた者たちです。まぁ、家の大きさについては一般的にそういう傾向にありますわ」
ここまで説明されてようやく納得し、フムフムと頷く。
通りに人が少なくなったこともあって、ソルは速度を駆け足に変えた。カッポカッポと聞こえていた蹄の音がカポカポカポカポと変わり、眼前に見える巨城とその城門がみるみる大きくなっていった。
城壁は二重になっており、手前に五mほどの石積みの壁が見え、その後ろには距離を置いて、漆喰で塗り固められた高さ十mを超える屋根付きの白い壁が確認できる。さらにその奥には藍色で円錐形の屋根が特徴的な白い塔が、幾つも寄り集まった城がそびえていた。
城門に到着すると甲冑姿の門衛がガシャガシャと駆け寄ってくる。
「エルネスティーヌ様、後ろの方はいったいどのような……」
「この方はわたくしの客人ですの。失礼の無いようにしてくださいな」
エルネスティーヌの言葉を聞いた門衛は、ガシャガシャと閉まっている奥の城門へと走っていくと、門のわきにある小窓に向かって何か叫んでいる。
しばらく待っているとギギギギと大きな音を立てて奥の城門が開いた。
「ソル様、ここで馬から下りてくださいな」
馬を門衛に預け、エルネスティーヌを先頭に城門を潜って、城の中へと二人は消えて行った。
エルネスティーヌが足早にツカツカと硬質の靴音を響かせているのに対し、後ろに続くソルは、城の中を興味津々に眺めながら、ぺたぺたとゆっくり歩いている。途中、エルネスティーヌの後ろを歩くソルの姿を目にした者たちが、足を止めて視線を送ってくる。その表情は一様に驚きと怪訝さを併せ持っていた。さも当然であろう、王女の後ろを腰に布を巻いただけで殆ど全裸の男が、裸足で歩いているのだから。ソルはそんな視線を気にとめることなく、大理石の壁に飾られた絵画や、壺や陶器などの美術品に気を取られていた。
赤い絨毯に飾られた階段を上がり、城の上部へと登っていく。やがて階段が尽き、廊下の奥にある部屋の前まで来るとエルネスティーヌが振り返った。
「ここがわたくしの私室ですの。殿方をご案内するのは初めてですのよ」
エルネスティーヌに案内されて、彼女の私室に入ったソルは、決して豪華ではないが質のいい白い天蓋付きのベッドや、家具類が置かれた部屋の中を見回すと、光が差し込む窓の方へ歩いて行った。窓からは背の高い針葉樹が眼前にそびえ、その合間の先には深い森に囲まれた大きな湖から川が流れ出ている。
「なかなか良い景色ではないか」
「ええ、ここからの眺めは絶景ですのよ。お茶など用意いたしますのでお寛ぎ下さいな」
そういうとエルネスティーヌは部屋を出て行ってしまった。ソルは窓際の椅子に腰かけて外の景色を眺めている。
「親父に蹴落とされてここまで来たが人の世も意外と面白そうではないか、エルネスティーヌといったか、しばらくは彼女のそばで見極めて見るか」
などとソルが独りごちていると、服を抱えた侍女らしき女が三人入ってきた。
「お召し物をご用意いたしました。ご自分でお召しになられますか?」
侍女らしき女の問いかけに、ソルは椅子から立ち上がり、腰のローブをはらりと落とす。
「着せてくれるのか?」
全裸になったソルの問いかけに、侍女は一瞬目を見開いて驚いていたが、すぐに表情を取り繕いプロ根性を見せる。赤面しながらも何事もなかったようにささっと歩み寄ると、三人がかりでソルに服を着せていった。
ソルが案山子のように突っ立って両手を広げ、侍女に服を着せられているところに、エルネスティーヌが帰ってきた。清楚なれど高級感漂よう白いシルクのドレスに着替えたエルネスティーヌの後ろには、黒いスーツをピシリと着こなした白髪頭の老人が立っている。
「なかなかお似合いですわよ」
ゆったりした白いスーツを着せられたソルに、エルネスティーヌが声を掛けると、ティーセットを持った侍女が、部屋の中央にある白いテーブルにお茶の用意をしていく。ティーカップにお茶を注ぎ終えると、エルネスティーヌに目配せされた侍女たちは全員部屋を出て行った。
「どうぞ、お掛けになって。お茶でも楽しみながらお話をいたしましょう。ああ、これはわたくしの教育係を務めております、カーネルという者です」
「お初にお目にかかる。カーネル・ペンテ・アントニウスと申します。エルネスティーヌ王女をご助命頂いたと聞き感謝いたしまする」
「ソル・ニート・フィリア・ラ・フィナールだ」
カーネルはソルのフルネームを聞いたとき、一瞬なにか引っかかるような顔ををしていたが、ソルにお茶を勧めてテーブルに着くよう促した。
「では、俺から質問させてもらう。なぜお前は黒竜といったか、あれを討伐する必要があったのだ?」
この質問に、エルネスティーヌは所在無さげにカーネルのほうを見た。
「私から説明いたしましょう」
そう言って説明し始めたカーネルによると、あの峠に黒竜が現れるようになったのは数ヶ月前からで、峠を通る行商人や旅行者が頻繁に襲われるようになり、何度か討伐隊を組んで出向いたものの、ことごとく返り討ちにあい、討伐は失敗。それに業を煮やしたエルネスティーヌが、こっそりと単独で討伐に向かったとの事であった。
本来竜種は神の使いとも言われ、賢くおとなしい性格であり、人に害をなすことは無いそうである。エルネスティーヌとしてはその調査も兼ねていたと言い張っていた。
「まったく、エルネスティーヌ様の無謀な行動には、ほとほと困らせられております。今回たまたま、ソル様が助けてくださったから良かったものの――」
カーネルの小言にエルネスティーヌはますます小さくなって、なにやらぶつぶつと呟いていたが、ソルとしては、エルネスティーヌの性格が分かったことと、黒竜討伐の理由を知ることが出来たことに満足していた。
しばらくして、小さくなっていたエルネスティーヌが、堪りかねたようにカーネルのお小言を遮った。
「そろそろわたくしの質問をきいていただきたいのですが?」
「ああ、何でも聞いてくれていいぞ」
「まず、ソル様が黒竜を消し潰したと仰られたあの魔法、あれはどういった系統のものでしょうか?」
「ああ、あれは魔法などではない。神気で押し潰して消し去っただけだ」
これに驚いたのはカーネルだった。
「神気ですと! ソル様は神力をお使いになられるか。しかも竜種を消し潰すほどの……」
そしてカーネルは、引っかかっていたソルの名前にピンときたようだった。その瞬間、顔からは血の気が引き、腫れ物に触るかの如く恐る恐るソルに問いかける。
「あ、貴方様はもしや、創造神様で……」
「俺は創造神ではない。が、この世界の創造主は俺の父親だ」
あっけなく答えたソルにエルネスティーヌもカーネルも椅子からずり落ち、顎を外して驚愕している。
「おいおい、そんなに驚くようなことか?」
ソルは暢気にそんなことを言っているが、創造主といえばこの世の神ですら抗えない存在であり、たとえ息子といえどその神格は創造主と同等。このことはソルのフルネーム、ソル・ニート・フィリア・ラ・フィナールの「ラ」の部分が表している。カーネルはこれに気付いたのであろう。
詳しくは「ソル」が神名、「ニート」が父親の名前、「フィリア」が母親の名前、「ラ」が神格、「フィナール」が神族名である。
神格は「ラ」が創造主格(絶対神)「リ」が世界神(イースティリア世界を治める神々)「ル」が創造主に加護を与えられた者、又は世界神が創造した者、「レ」及び「ロ」が世界神に加護を与えられた者、となっている。
神格持ちには神気が宿り、神力の行使が可能である。ちなみに、竜種は神格「ル」に相当し、また、魔力にも階位があるが、そのことについては後述する。
ソルの暢気な言動に、なんとか気を取り戻したエルネスティーヌが、新たに湧き出たのであろう疑問を口にした。
「ソル様は、嫁を探しに来たと仰いました。無礼は承知の上でお伺いいたしますが、ご光臨あそばした目的は本当にそれだけにございましょうか?」
その疑問にソルは一考して答える。
「ああ、口喧嘩になってな。親父は人の世について学んでこいなどとぬかしやがったが、俺は俺のやりたいようにやる。嫁探しはその一環だ」
威厳を全く感じさせない、神とも思えぬソルの出鱈目な回答に、エルネスティーヌとカーネルは、ただただ呆れ、絶句するのみであった。