第十八話:別れ
エルネスティーヌたちと共にカジノ経営者スコーア・クートゥルをサハレムの街を統治する貴族に逮捕拘束させたソルは翌日、再開した芝居を彼女らとと共に見たり、名所を巡ったりして一日を終え、翌々日はゆっくりと休んで旅の疲れを癒し、そのあくる早朝、次の目的地シチートリアに向けて陽が昇る前に街を出たのだった。
都市シチートリアはサハレムの南に位置する峠を一つ越え、その麓に広がる広大な草原を南下して抜けたところに位置している。一日かけて峠を越えたソルたち旅の一行は、麓に広がる草原の入り口で一夜を明かし、地平線が見える草原にまっすぐ伸びる起伏の少ない道を、峠越えで疲れた馬を労わるようにゆっくりと歩かせていた。陽が頭上正面に昇り正午を迎えたころ、ソルは視線の先に見える小屋のそばに数台の馬車と人がいることを認識した。
「あれは休憩小屋か何かか? 馬車が停まっているが」
「ああ、あれはたぶんハンターの人たちの馬車ですわ」
エルネスティーヌによると、この草原はハンターを生業とする者たちにとって絶好の狩場らしく、目前に見える小屋は狩った獲物を買い取る商人やハンターが利用するためのものらしい。停まっている馬車はたぶん商人のもので、規模の大きい狩りが行われているのだろうということだった。
「なるほどな、だが、やけに慌ててないか?」
「何かあったようですわね」
小屋の前に人が集まり、その近くでは馬車や小屋の間を慌ただしく走り回る者が見受けられ、大声というよりは怒号に近いものが聞こえてくる。好奇心に駆られたソルが馬を走らせ、それにエルネスティーヌとルシールが続いた。
「怪我人のようだな」
駆け寄ってみると、左の脇腹辺りから大量の血を流している怪我人の周りを取り囲むように、ハンターたちであろう装備を身に着けた者たちが、心配そうに様子を見ていた。怪我人の顔色は既に青白くなっており、意識は無いようであるが、まだ絶命には至っていないようである。
「退いて下さい。治療を始めます」
その人垣をかき分けるように、濃い藍色の肩口まで伸びた髪をさらさらと揺らした少女が怪我人の前へと出てきた。濃紺のワンピースを着ており、手には水が入った桶と包帯であろうか白い布を抱えている。
「手伝ってください」
そう言った少女の指示により、周りで見ていた男が怪我人の破れた皮鎧や衣服を脱がせていく。そして怪我人の上半身が露わになると、手伝っていた者や周りで見ていた者が、怪我人から顔を背けたのだった。怪我人の脇腹は大きく欠損しており、そこからは内臓がはみ出していた。それを見た少女は一瞬顔を背け目を瞑ったが、意を決したように怪我人の欠損した脇腹を直視すると、跪いて両手を怪我人にかざして詠唱を始めたのだった。
「我は願う、大気に満ちる癒しの水よ、損なわれし血肉となりて彼の者を癒し賜へ」
詠唱が終わり少女が目を瞑ると、少女のかざす両手の周りに白い靄が現れ、血があふれ出す傷口を覆っていった。
「彼女の魔力ではあの怪我を癒すには足りないようですわ」
治療の様子を見ていたエルネスティーヌが言うには、少女の魔力はよくてディオ級で、おそらくエイス級の上位程度とのことらしい。ソルは、しばらく治療を続けている少女を見ていたが、魔力を使い果たしたのか少女の両手に集まる白い靄が霧散したのを見ると、カーリに目配せをしたのだった。
「ごめんなさい。私の力ではこれで精一杯」
「おねーちゃん、そのひとはカーリがなおすよ」
少女は突然治療の続きを申し出たカーリを力ない目で見上げると、カーリから溢れ出る魔力を感じたのだろうか、安心したように場所を譲った。カーリは少女が跪いていた怪我人の横に立つと、両手を天にかざし詠唱を始める。
「すでにつどいしいやしの水よ、風とともに、まざりて回れ、めぐりていやせ」
少女が詠唱によって集めた癒しの水と思われる白い靄が怪我人の患部に再び集まると、その周囲に光をはらんだ風がきらきらと回り始めた。時間にして数十秒であったが、風がやみ、白い靄が霧散すると怪我人の患部は既に癒えていた。怪我人の男は気を失ったままであるが、青白かった体や顔に血色が戻り、呼吸も落ち着いており、仲間たちであろう取り囲んでいた者たちは歓声を上げている。そんな中、カーリの治療の様子を後ろで見ていた少女は、その碧眼を見開いていた。
「属性が違う二重詠唱、それに、なんという魔力……」
少女はカーリの行った詠唱と放出された魔力に驚いているようだ。治療の様子を見ていたエルネスティーヌは、カーリが放出した魔力がトゥレイス級の枠内に入っていた、と前置きした上でソルに二属性の二重詠唱について説明していいた。彼女自身も以前峠で山賊の死体を焼き払ったときに、ソルの目前で二属性の二重詠唱を使ったことがある。
「本来、二属性の二重詠唱はテッタレス級以上の魔法士が使えますの。ですが、今カーリが行った詠唱は、あの少女が放った魔法を引き継いだものですから、トゥレイス級の魔法士でもかろうじて使用可能といったところでしょうか、よく覚えておいて下さいな」
歓声が上がる中、信じられないといった表情でカーリを見ていた魔法士の少女は、歓声が収まり、ハンターたちによって治療された男が運び出されると、恐る恐るといった感じでカーリに問いかける。
「あの、貴方様はトゥレイス級の魔法士様で」
そう言った少女は、癒した怪我人を後ろに得意そうにしているカーリの前で跪くと、胸の前で手を組んで祈るように頭を下げた。カーリは少女の問いかけにどう答えたらたら良いか分からなかったのだろう、困り顔でエルネスティーヌを見つめている。
「わたくしがお教えしますわ。彼女はカーリといって貴方が仰るとおり、トゥレイス級の魔法士ですの」
「ああ、こんな所でトゥレイス級の魔法士様にお会いできるとは、何と有り難いことでしょう」
エルネスティーヌの言葉に、魔法士の少女は再びカーリを拝むように頭を下げた。そんな少女に、エルネスティーヌはしめたとばかりに要望を伝えたのだった。
「わたくしたちは四人で旅をしておりまして、時間も時間ですし昼食を頂こうかと思っておりましたの。よろしければあちらの建物を使わせてもらいたいのですけど」
「ええ、ええ、構いませんとも。あの小屋はシチートリアの商業ギルドが管理しているのですが、恩人の方たちの願い。是非ともご利用くださいませ」
魔法士の少女は、そう言ってエルネスティーヌを小屋というには少し大きな建屋へと案内した。ソルとルシール、それにカーリもその後に続く。小屋の中はちょっとした食堂のようになっており、六人がけのテーブルが四つと、奥にはカウンター付きの厨房があった。厨房には料理人がおり、空腹を刺激する香ばしい肉の焼ける匂いが充満している。
「治療して下さったお礼と言っては何ですが、昼食を用意させますのでお掛けになってお待ちください」
少女はそう言って有無を言わさず厨房へと駆け込んだのだった。料理を注文してきたのだろう、厨房から戻った魔法士の少女はミルカと名乗り、自己紹介を済ませた旅の一行はミルカと共に昼食に舌鼓を打った。シチートリアの商業ギルドに、治療魔法士として所属しているというミルカは、ソルたちがどこのギルドにも所属していないことを知ると、たいそう驚いていたが、ギルドに勧誘してくるといったことは無かった。
エルネスティーヌとミルカが会話をしている間、ソルは食事をとりながらも、気になっていたミルカの魂をこっそりと探っていた。ミルカは久しぶりに見つけた魂の波動がしっくり来る相手だったのだが、嫁とするには今一つ物足りないことが分かり、顔には出さないように残念がっていると、なぜかルシールには感付かれてしまったようで、プクっと頬を膨らませてソルを睨んできたのだ。ソルは最近、嫁探しをしているときに限っては、ルシールの感がかなり鋭くなってきているなと感じ始めたのであった。
そんなこんなで昼食を終えて表へと出てみれば、数名のハンターが獲物を抱えて戻ってきていた。ミルカによると先ほどの怪我人が所属するグループの者達らしい。ミルカは戻ってきたハンター達の所に駆け寄り、耳打ちを入ていたかと思えば、そのハンター達を連れてソルたちのところへと戻ってきた。
「貴方達がヴェルネリを助けてくれたと聞いたのだが、改めて礼を言わせてくれ。ありがとう。正直言って諦めていたんだ」
礼を言ってきた男はグループのリーダーだそうで、怪我をしたときの状況を聞いてみると、数頭の獲物を仕留めて帰る準備をしている所に、突然狼に似た魔物が現れたそうである。逃げることは不可能だと判断したハンター達はその魔物と戦って、なんとか倒すことに成功したのだが、その際にメンバーの一人が脇腹を食いちぎられたということらしい。まだ息があったので急いで馬を走らせて怪我人を先に運び、残ったメンバーで獲物を持ち帰ったということであった。経緯を語ったハンターグループのリーダーはミルカにヴェルネリの居場所を聞くと、ソルたちに再度礼をして走り去った。
「鉱山の件といい、ここ最近魔物の被害が続いていますわね。なにか良くないことが起こっているのでしょうか」
そう言ったエルネスティーヌであったが、ソルもまた、瘴気がらみの魔物のことを思い出し、何か関連性があるのかもしれないと考えていた。
「ですが、今はそんなことを考えている時ではありませんわね。食事も済んだことですし出発しますわよ」
ソルたち旅の一行はミルカに別れを告げると、シチートリアへ向けて旅を再開した。エルネスティーヌによると、このまま馬を走らせれば、陽が沈むころにはシチートリアに着くそうである。野宿するよりは宿に泊まるほうが良いということで意見を一致させた一行は、エルネスティーヌを先頭に馬を走らせたのだった。途中数度の休憩を挟んで馬を走らせ、陽が沈み、辺りが闇に包まれたころ、ようやく前方に街明かりが見え始めた。そんな時だった。ソルの腕の中で大人しくしていたカーリが、突然ソルに呟いた。
「帰らなくちゃいけないのです」
それを聞いたソルが手綱を引く。馬は嘶いて停止し、それに気づいたエルネスティーヌとルシールが戻ってきた。
「あしたから風の月になるのです。カーリは風のしんでんにもどらないといけないのです」
悲しそうにそう話したカーリがソルの腕から空へと浮かび上がった。事情を理解したソルは空中に浮かぶカーリを見上げると、優しく微笑む。
「カーリ、たった一月の間だけだ。御勤めを果たしたらまた戻って来い。待っているからな」
「カーリはがんばってくるのです。おつとめがおわったらもどってくるのです」
ソルに励まされたカーリは、そう言って笑顔を作ると、ソルたちの周りを数周回って東の空へと弾丸のような速度で飛び去って行った。ソルはエルネスティーヌとルシールと共に飛び去るカーリを、手を振って見送ったのだった。




