第十七話:悶絶
まんまとクレマン男爵を巻き込むことに成功したエルネスティーヌは、ソルとルシールに次の行動計画を打ち明けた。ソルとルシールはその計画を実行するためにエルネスティーヌたちと別れて劇場前の広場に向かっている。エルネスティーヌはカーリと共になにやら画策しているようで、スコーア捕縛のための準備をすると言っていた。
劇場が開く時間には、まだだいぶ余裕があるというか、今はちょうど正午の鐘が鳴ったばかりである。それまでの時間をどう過ごそうかと考えたソルであったが、まだ昼食をとっていないので、劇場に向かって歩きながら食事ができる店を探しているところである。
「シー、このあたりで美味いものを食わせてくれる店を知っているか?」
「この街は私の生まれ故郷ですよ。ソル様は何をお召し上がりになりたいですか?」
ソルは何を食べたいかしばらく考えたが、これといって食べたいものを思いつくには至らなかった。なにせ、イースティリア世界に来たばかりのソルにとって、今までの食事は殆どが王城でのものである。ソルとしてはこの街ならではの庶民が食している美味しいものが食べたかったのだ。ここまで考えて「そうだ、そうだったのか」と思い出したように納得した。
「俺はこの街ならではの庶民が食べている料理が食べたい」
そもそも何を食べたいのかと聞かれて、分からない料理の名前を答えなくてもいいと、思っていることをそのまま伝えればいいと、じつに当たり前の事に気付いたソルなのであった。
「そのようなご要望でしたら、この先にある郷土料理お出す店に入りましょう。私のお勧めの料理が食べられますよ」
ルシールお勧めの郷土料理店に入ったソルは、これから訪れる未知の味わいへの興味と期待に、心を躍らせた。出てきた料理は、鉱山の横を流れる川で捕れた魚とキノコを使った煮込み料理であった。ルシールが勧めるだけあってなかなかの美味で、ソルはまた新しい味を覚えたと十分に満足したのである。
ゆっくりとサハレムの郷土料理を味わったソルとルシールは、店を出ると夕方になるまで街の散策を楽しんだ。ルシールはヘイゼルを苦しめているスコーアを捕縛できることを確信しているのであろう、ソルと散策を楽しむ間、穏やかな笑みを浮かべていた。
陽が傾き西の空が朱に染まるころ、ソルとルシールは劇場前の広場に到着した。劇場の入り口の前には「本日上演します」と書かれた看板が立てられている。その前では俳優だろうか一組の男女が芝居の衣装を着て呼び込みをしていた。ソルとルシールは劇場入り口の横の方にあるベンチに腰かけて、広場を歩く人々を眺めている。クレマンの屋敷を出る前にソルはカーリから、嫌がらせをしていた男たちのイメージを映像として直接受け取っていた。ソルが探しているのはその映像に出てきた男たちである。
完全に陽が沈み、呼び込みをしていた俳優たちはすでに劇場の中へと戻っていた。街灯が照らす広場には未だに多くの人々が行きかい、劇場へ入場する観客もちらほらと見受けられる。そんな時にソルの視線が目的の男たちを捕えたのだった。小汚い恰好をしたいかにも乱暴そうな男が七人、劇場の方へと歩いてくる。カーリが言った通りその内の数名が帯剣していた。
ルシールに目配せして合図したソルは、ひとりベンチから立ち上がるとルシールを残して男たちの方へと歩き出す。そして、男たちのリーダーと思しき者の前へ出ると、予定通りに芝居を始めたのであった。
「劇場に用があるなら金を置いていきな。今日の俺は気分がいいんだ、安くしといてやるぜ」
ソルは男たちにだけ聞こえる声で挑発する。見下ろすソルに対して、見上げる形で首を斜めに傾けた小汚いが っしりとした男が、にやけ顔でソルの挑発に応えた。
「面白いことを言いやがる。何様のつもりだぁ」
「臭い息を吐きかけるな。鼻がもげそうだ」
互いに顔を近づけ、恐ろしい形相で睨み合う時間が続く。が、ソルは男の襟首を掴むとそのまま頭上へと持 ち上げてしまった。元々身長差がある上に、人では太刀打ちできるはずが無いソルの腕力により、高々と持ち 上げられた男は、必死になって抵抗を試みるもじたばたとするだけで何もできない。ソルは一旦男を地上 に降ろすと、今度は中指で軽いデコピンを見舞った。はじけ飛ぶように頭を仰け反らせ、数歩下がった男は頭を振っている。そして、ソルを睨みつけると腰の剣を抜き放った。
「剣を抜くか、粋がっている割には貧弱なやつだな。どうした、俺が怖いのか?」
ソルの挑発にまんまと乗せられて、男はぷるぷると震える顔を紅潮させ、怒り心頭のようだ。あと一押しと考えたソルは、わざと挑発を兼ねた隙を作ることにした。一度振り返り、まだベンチに座っているルシールを呼んだのだ。
「シー、今から面白いものを見せてやる。こっちに来い」
完全に嘗められたと思ったのだろう、ついに男は切りかかってきた。それでもソルは動かない。男の剣を肩口で受けると、やおら男の方に振り向き、肩にめり込んでいる剣を素手で掴んで奪い取り、投げ捨てたのだった。切りつけられたソルの肩口からは赤い血のようなものが滲んでいる。もちろんそれは本物ではなく見せ掛けだけのまやかしなのであるが、公衆の面前で切られたという事実をやじ馬たちや、既に到着して物陰に隠れている騎士隊の騎士たちに見せつける結果となった。
「なんだ、痛いじゃないか。見てみろ、血が出ている」
切りつけて血を流しているのに、さほど気にも留めないソルを見て、それが信じられないのだろうか、男は呆然としていたが、気を取り直したように後ろを振り向き仲間たちに声をかける。
「殺っちまえ」
後ろで控えていた男たちは、その言葉を聞いて一斉に動いた。ある者は剣で、ある者はナイフで、ソルとその横に歩いてきたルシールを取り囲むように分散して切り掛かってくる。しかし、次の瞬間その男たちは一斉に崩れ落ち、地に伏せたのだった。常人には視認することも難しい速度で動いたルシールに、ある者は腹部を、ある者は顔面を殴りつけられたのだ。そして、それを物陰で見ていた騎士隊が駆けつけてきた。地に伏し、気絶している者や悶絶している者たちを縛り上げていく。
「無抵抗な者への街中での剣による傷害および殺人未遂で拘束する」
騎士隊が縛り上げた男たちにそう告げると、取り囲むように経緯を見ていたやじ馬たちからやんやの喝采が上がった。おそらく、この街の厄介者たちが現行犯で逮捕拘束されたことを喜んでいるのだろう。ざわめきが収まらないなか男たちは騎士隊に連れられて広場から退場し、ソルとルシールもそれに続いた。
「聞いているだろうが、俺たちはこれからスコーアの屋敷に向かう。そいつらの処分は頼んだぞ」
ソルはそう言って騎士隊と別れ、ルシールと共にスコーアの屋敷へと向かった。広場から西へと街灯が照らす大通りをしばらく歩き、南へと進路を変えると、街灯の下で春売りの女たちが客を引く通りに出る。赤や紫、それに黒などの胸元が大きく開いた、薄いひらひらとしたドレスを着た艶美な女たちが通りかかる男に媚を売り、誘っている。
「このあたりはソル様に相応しくありません」
ルシールはきょろきょろと視線を彷徨わせているソルの手を引き、足早に春売り通りを過ぎ去ろうとしているが、ソルはそんな彼女の肩に手を回すと、耳元で囁いたのだった。
「容姿でいくら誘っても無駄なことだ。俺は女に関しては相性のいい魂にしか興味がない」
「ですがソル様は春売りの女たちを見ておられました」
「女がいればその魂を探る。そうやってお前を見つけたのだぞ。それにここの女たちではお前には到底及ばなかった。安心しろ」
臆面もなくそう言い放つソルに、ルシールは不安と喜びが同居したような複雑な表情をしていた。自分勝手な言い訳でルシールを言いくるめたソルは、その後も春売りの女たちの魂を探りながら夜道を歩いたのだった。春売り通りを抜け、左に曲がってしばらく人通りの少ない道を歩くと、比較的立派な家々が立ち並ぶ住宅街に出た。そしてソルが歩く道の前方にエルネスティーヌとカーリがいるのを確認する。どうやらスコーアの屋敷に到着したようだ。
「ならず者たちの処分は上手くいきましたでしょうか?」
「ああ、全部で七人、騎士隊に引き渡してきたぞ」
「そうですか、まぁ、貴方たちが失敗するはずありませんものね。もうすぐクレマン男爵と騎士隊がスコーアの屋敷に踏み込みますの。わたくしたちも後に続きますわよ」
右前方に見える一際大きな邸宅の門前には、クレマンと騎士隊が陣取っていた。一度クレマンがこちらの方に振り向くと、エルネスティーヌが頷いた。それを確認したクレマンは騎士隊へと突入の指示を出す。静かに門を開けてスコーア邸へと侵入した騎士隊にクレマンも続いた。
「わたくしたちも行きますわよ」
エルネスティーヌはクレマンの姿がスコーア邸へと消えたのを確認すると、仲間たちを連れてスコーア邸へと踏み込んだのだった。玄関をくぐると、高価そうな陶器やガラス細工が陳列された広間となっており、壁には高そうな絵画が飾られていた。いかにも成金を地で行ったように、それらの陳列物には統一性がない。それらを見ていたソルが前方に視線を移すと、広間の奥に見える廊下の最奥の扉を開け放ち、突入する騎士隊の姿が飛び込んできた。怒声が響き渡る中、クレマンに続いて、エルネスティーヌを先頭にソルたちもその部屋へと突入する。
広く奥行きがある部屋のなかには、鉢植えの植物や獣のはく製、煌びやかな装飾が施された全身鎧など、様々な物が置かれており、部屋の中央にある大きめの豪華なテーブルに置かれた、つやのある乳白色の銅像を撫で回している趣味の悪い金の装飾が施された服に身を包んだぶよぶよの禿げ頭と、その仲間だろうか人相の悪い大男が二人、突入してきた騎士隊とクレマンの姿に驚いていた。
「カジノ経営者スコーア・クートゥル、貴殿を詐欺、横領、人身売買、殺人ほう助、恐喝の罪で拘束する」
クレマンに罪状を並べられ、身柄を拘束する旨を伝えられたスコーアであったが、驚いていた表情を緩めると、いやらしい笑みを浮かべてパチリと指を鳴らす。すると部屋の奥から剣を持った厳つい男たちが五名ほど現れた。
「これはこれはクレマン男爵殿ではありませんか。そのような言いがかり、聞く耳持ちませんぞ」
「惚けるのも大概にするんだな。証拠は出そろっている。抵抗しても無駄だ」
そう言ってクレマンは騎士隊に合図を送った。抜剣した騎士隊一〇名がスコーアの方へとにじり寄っていく。ところが、スコーアは焦りの表情を見せるどころか、笑みを浮かべたまま「残念だったな」と呟くと、騎士隊がくるりとスコーアに背を向け、クレマンへと剣を向けたのだった。一〇名の騎士隊のうち振り向かなかった三名がそれに気付くと、すかさず騎士隊の列からクレマンの方へ後ろ向きで飛び退りクレマンを守る体制をとった。クレマンを守る騎士が無念の表情で裏切った者たちを侮蔑する。
「ダンベル隊長、それに副隊長まで…… 貴様らスコーアの手先だったのか。この恥知らずが」
クレマンが連れてきた騎士隊一〇名のうち七名までもが裏切り、スコーアへと付いた。これで人数的にはソルたちを含めてクレマン側八名、スコーア側一三名となった。優位を確信したのだろう、スコーアは高らかに笑い、そしてクレマンに告げた。
「お前たちにはこの場で死んでもらおう。わしにたてついたことを後悔するんだな」
「くっ、卑怯者め。スコーア、全てがお前の思い通りになるとは思うなよ」
クレマンは悔し紛れに言ったつもりだったのであろうが、ここまで静観していたエルネスティーヌがしめたとばかりに口を開いた。その表情はおかしくてたまらないといった感じで、笑い出すのを必死に抑え込んでいる。
「やっと本性を現しましたね。ダンベル・ボーア、貴方の本来の姿をどうやって引きずり出そうかと、思案しておりましたの。まさかご自分から裏切って頂けるなんて、楽しくてしょうがありませんわ」
「なんだお前は、どこの馬の骨かしらんが身の程知らずを思い知らせてやる。まぁ、お前とそこの女は薬漬けにして売り飛ばしてやるから、ありがたく思うんだな」
いやらしい笑いを発したスコーアは、裏切った騎士隊と手下たちに「殺れ」と一言だけ発して後ろに下がった。今までエルネスティーヌの後ろで成り行きを楽しんでいたソルが、前に出ようとするルシールを制して短い詠唱を発する。
「命ずるは重、戒めを持って地へと縛り付けよ」
その瞬間、剣を振りかざし、今にもクレマンに襲いかからんとしていた者たちが潰れるように這いつくばった。スコーアに至っては仰向けに倒れ、顔を横に向けて舌を出し、たるんだ頬と腹の肉が薄く地に広がるように潰れている。その姿は、あたかもひっくり返って気絶しているヒキガエルのようで、それを見たエルネスティーヌは、とうとう笑いをこらえることができなくなり、悶絶するようにに笑いだした。カーリに至っては我慢するそぶりも見せずに、腹を抱えて大笑いしている。
「す、スコーア、お前はわたくしを笑い死にさせる気か。くっ、くくく」
「エルネスティーヌ様、もうその辺になされた方がよろしいかと」
「くっ、くくくっ、そうですわね。クレマン男爵、この者どもを縛り上げてくださいまし」
必死になって笑いをこらえるエルネスティーヌを横目に、事の成り行きに付いていけていない感があった三人の騎士は、我に返ると床に這いつくばり、苦しんでいる者たちを手際よく縛り上げて行った。
「クレマン男爵、後の処置はお任せします。わたくしたちはこれにて引き揚げることにしますわ」
目標を達成したエルネスティーヌはそう告げると、ソルたちを引き連れてスコーアの屋敷を後にした。そのまま宿屋へと戻ると遅い夕食を楽しみ、明日はめいっぱい楽しみまますわよとエルネスティーヌはカーリを連れて自分の泊まる部屋へと引き上げていった。ソルもルシールと共に部屋へと戻り、今日は面白いものを見ることができたとルシールを抱き寄せ、熱い一夜を過ごしたのだった。




