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第九話:組合

 星明りが消え、白んできた遠方の空を眺めているソルの腕には、今、ルシールが幸せそうに寝息を立てている。


「あああぁ、ソル様。もっと激しく、もっと……」


 彼女がどんな夢を見ているのか、想像するには及ばないが、ソルはその幸せそうな寝顔を優しい眼差しで見つめなおした。そして、前髪をそっと指で()いて整える。


「んっ、ソル様。私ったらいつの間に」

「ああ、気持ちよさそうに寝ていたのでな。こうしていると、気が休まるんだ」

「まぁ、ソル様はお優しいのですね。私は幸せ者です」


 まだ陽も昇らぬ早朝から、二人だけの甘い世界を作り出しているソルとルシールであったが、そんな二人を、腰に手をあてジト目で見ていたエルネスティーヌが現実に引き戻した。


「まぁまぁ、朝も早くからお盛んですこと。朝食の準備を始めますから、シーは手伝ってくださいな」


 エルネスティーヌにせかされる形で軽い朝食を済ませた一行が、旅を再開したころには既に陽が昇り、それによって映し出される乗馬したソルたちの影が、荒地に長くたなびいていた。

 荒地を縫う道を走ること半日、陽が頂上に達する少し前、一行の遥か前方を数頭の獣の影が横切った。


「あれは…… 急ぎますわよ」


 そう言って全速力で馬を走らせたのは、エルネスティーヌだった。ルシールも遅れることなくそれに続く。二人に置いていかれる形となったソルであったが、カーリの「いっけぇー、ソルお兄ちゃん」という掛け声とともに加速し、先行する二人に追いついた。


「どうしたんだ?」

「あれを仕留めますわよ」

「あれを仕留めるとは、捕まえればいいのか?」

「ええ、あれはガゼールといって異様に足が速く、仕留めるのが難しいので高く売れますし、味も美味ですの。旅の資金と今日の昼食をかけて、なんとしても仕留めなければ」


 ソルはエルネスティーヌの言った美味という言葉にすぐさま反応した。一行は道から逸れて、猛スピードで鹿に似た体長三m強の中型獣ガゼールめがけて突進していく。


「よし、そういうことなら俺が仕留めてやる」

「殺しても構いませんが、できるだけ傷つかないようにお願いしますわ」


 できるだけ傷つけない。神力はできるだけ使うなと言われている。ならば、時空魔法を使えばいい。即座にそう判断したソルは、馬上で詠唱を始めた。魔法などに頼るつもりは無かったのだが、目の前を走る美味しいものを捕まえるには、使った方が手っ取り早い。そう判断したソルに、虚栄心などは存在しない。


「俺が望むのは空間。切り離し、閉じ込めろ」


 突然、透明な膜のような物にぶつかって、包まれたガゼールの群れは、それぞれ空中に持ち上げられ、じたばたと足掻きながらしばらく空を走ろうとしていたが、やがてピクピクと痙攣(けいれん)して動かなくなった。

 ソルが使った時空魔法は、ガゼールを一頭ずつ小さな空間に隔離し、酸欠状態に陥いらせるものであった。


「今の魔法は見事でしたわ。全部で七頭ですか、これで当面の資金は安泰と言う所ですが、さてどうやって運びましょうか……」


 それならば、いい考えがあると、ソルはガゼールを包んでいる空間魔法に時空魔法を重ね掛けしたのだった。


「欲するは亜空。収納せよ」


 捕らえられ、空中で窒息死したガゼールは、一頭を残してソルが作った亜空間に収納されたのだった。


「素晴らしいですわ。それにしても時空魔法とは便利なものですわね。時空魔法士が重宝される理由が分かりましたわ」


 なぜか納得気味にソルの時空魔法を賞賛したエルネスティーヌ。カーリは狩の成果と魔法を見てソルの腕のなかで大はしゃぎしている。ルシールはと言えば、うっとりとソルを見つめていた。


「さて、時間もちょうどお昼ですし、今日は豪華にガゼールの串焼きを頂きましょう。早速準備たしますわよ」


 エルネスティーヌの号令によって昼食の準備が始まった。ソルとカーリで枯れた潅木を集め、ルシールがその見事な剣さばきで解体を担当した。エルネスティーヌは細い潅木を鋭利に削って串を作り、ルシールによって切り分けられた肉を串に刺していく。火が起こされ、肉に塩を振って遠火で焼き上げていった。肉から滴り落ちた油が火の中でジュウジュウと焼け、香ばしい肉と油の焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。


「なんだ、この美味そうな匂いは。もう食ってもいいか?」

「ええ、もうそろそろですわね。いい感じで焼けてきましたわ」


 その言葉を聞くが早いか、ソルは一本の串を取ると豪快にかぶりついた。残る三人もソルに負けず劣らず、肉にかぶりついている。


「これは美味いな、難なく噛み切れるがしっかりと歯ごたえがある。程よく入った油の甘みと、まぶした塩味絶妙にが混ざり合っている」

「ええ、わたくしもこうした食べ方をするのは二度目ですが、以前にも増して美味しいですわ」

「カーリのお肉もおいしいのです。おいしいものを食べるとみんなしあわせになるから、カーリは嬉しいのです」

「私は始めてこういった形でガゼールを食べましたが、これほど美味しいとは」


 四人が四人ともガゼールの串焼きの美味さに圧倒され、舌鼓(したつづみ)を打ち、焼かれた肉は瞬く間に(たい)らげられた。しかも、あまりの美味さに、全員がもう一本づつ追加で焼いて食したのだった。


「ふう、もう食べられませんわ」


 ソルとカーリは、量的にまだまだ余裕で食べ続けられたのだが、エルネスティーヌとルシールが限界を迎えたため、というよりは、まだまだ食べたかったので追加で焼こうと、肉を切り分けようとしたところで「我慢なさい」というエルネスティーヌのお叱りを受けたので、昼食はこれで終わりとなった。解体した一頭のガゼールはまだまだ沢山残っていたので、ソルとしては何故我慢しなければならないのか、よく分からなかったのだが、エルネスティーヌがあまりにも怖い顔をするので、(あきら)めたのだった。


 残った肉はソルが亜空に収納して、十分な休息を取った後、一行は旅を再開した。延々と続く荒野の道を駆け足で進んでいく。途中何度か旅人や商人の駆る馬車とすれ違いながらも、陽が傾き始めたころには、辺りの景色が岩と短い草だけの茶色い荒地から、草原に木々が所々に生える緑の大地へと変わっていった。そして、進んできた道は唐突に終りを告げる。木製の低い簡素な塀に囲まれた、消して小さくは無いが街とまでは言い難い、モニコポス村へと到着したのだ。一行は中央の大通りをゆっくりと乗馬のまま進んでいく。そして、割と大きい三階建ての建物の前で馬を止めると、入り口の脇にある大きな杭に馬をつないだのだった。


「今からガゼールを換金してきますの。シーとカーリはここで馬を見ていてくださいな」

「ここは何だ?」

「ここはですね、ギルドといいまして――」


 エルネスティーヌの説明によれば、この建物はギルドつまりは組合のもので、何の組合かといえば基は商業組合から転じて、今では商業、傭兵、ハンター、それに冒険者が登録する組合だそうである。つまるところは斡旋、買取、流通を一手に請け負う巨大組織であるという。これとは別に工業ギルドも存在するらしいが、それは都市部か大きな街にしかないらしい。


 商業、傭兵、ハンターは分かりやすい職業であるが、冒険者とはなんぞやというのが、ソルの抱いた疑問であった。彼女の説明によれば、冒険者とは読んで字の如く冒険を生業(なりわい)とする者、要するに、未開の土地や険しい山岳、河川などに分け入り、貴金属の鉱脈や宝石、輝石や魔石を探したり、珍しい動物や植物を捕獲したり、未開の土地を開拓する際に、尖兵(せんぺい)となる者たちであるという。冒険者は、その職業柄、動植物や貴金属、宝石輝石、魔石などに関する知識とサバイバル能力、戦闘能力、隠密行動などに優れるが、危険性と専門性が高すぎて、非常に希少性の高い職業であると言う。希少性が高いゆえに、その収入は群を抜いており、冒険者を目指す若者は多いが、そのほとんどは道半ばにして諦めるか、帰らぬ人となるそうだ。


「――と、まぁ、こういうことですわ」

「なるほど、ギルドについては理解した。獲物を売るということは、俺たちもそのギルドに加盟するということだな」

「いいえ、ギルドに加盟はしませんわ。加盟してしまいますと、身動きが取りにくくなりますし、優秀だと分かれば、徹底的にその素性を調べられてしまいますもの。商売をして生計を立てるわけではないわたくしたちは、加盟していない分安くなりますが、物品を買い取ってもらえればそれで十分ですの。ソルが時空魔法を使えることは、獲物を買い取ってもらうときに知れましょうけれども、それで注目されることは、この先のことを考えると致し方ないことだと諦めるしかありませんわね」

「そういう訳ならば仕方が無いな。俺も、縛られることは遠慮したいしな」


 エルネスティーヌによる、ギルドについての長い講義を終えた二人はその門をくぐったのだった。中に入ると、広いスペースに椅子とテーブルが幾つも置かれており、そこには食事をする者や、話をしている者で賑わっていた。奥のカウンターには幾つもの受付があり、その一つには買い取りであろうか、小型の動物や何が入っているのか分からないが、膨らんだ麻袋を持つ者が列を成している。エルネスティーヌはソルを引っ張ってその列の最後尾に並んだのだった。


「どのようなご用件でしょうか?」


 しばらく並んで、ようやく順番が回ってきたエルネスティーヌに、受付に座る二〇過ぎくらいの割と愛らしい女性が問いかけた。彼女はエルネスティーヌが何も持っていない事にであろうか、不思議そうな顔をしている。


「ガゼールを仕留めましたので、その買取をお願いしようかと思いまして」

「ガゼールですか? 見当たりませんが、何処に?」


 受付の女性が不思議がっているのも当然だろう。なにせ、買い取って欲しいと言う獲物が何処にも見えないのだから。


「ああ、この男は時空魔法が使えますの。さぁ、獲物を出してくださいな」


 時空魔法の一言で、カウンターの女性や、周りにいた者達がソルに注目した。ソルはそんなことに構うことなく、エルネスティーヌに言われた通りに、仕留めた無傷のガゼールを六頭、亜空開放の詠唱とともに、空いているカウンター前のスペースに積み上げる。


「獲物を収納せし亜空よ、これに開放せよ」


 騒がしい雰囲気が一瞬で水を打ったように静まり返り、亜空から突然出現した六頭のガゼールにだろうか、時空魔法を使ったソルに対してであろうか、皆一様に驚きの表情をしていたが、それを歯牙にもかけないような態度で、エルネスティーヌが驚き固まっている受付の女性に催促の視線を向けると、彼女は立ち上がってこう言ったのだった。


「担当の者を呼んでまいります。しばらくお待ちください」


 少しして受付の女性が呼んできたのは、黒髪を短く刈り込んだ三〇過ぎであろうか、厳つい顔をした大男であった。その男は、積み上げられたガゼールを見るなり、驚きとともに喜色を浮かべる。


「ほう、ガゼールが六頭か、しかも無傷で状態がいい。お前達凄腕のハンターと見たが、どうやって仕留めた?」


 男の質問に答えようとしたソルであったが、エルネスティーヌがそれを目で制した。正直すぎるソルでは何を話してしまうか心配だったのであろう。


「わたくしが説明してさしあげますわ。貴方は見ていなかったでしょうけど彼は時空魔法の使い手ですの。彼がその時空魔法で一網打尽にしたというわけですの」

「なるほど時空魔法か、時空魔法を使えるハンターは少ないからな。お前達は何処の所属だ?」

「いえね、私たちは旅人でして、ギルドには加盟しておりませんの。エタニアから峠を抜けてここに来る途中で、幸運にもガゼールの群れをたまたま見かけましてね、それで、捕獲したという訳ですのよ」

「そうだったのか、だがそうなると買い取りは七掛けになるがそれでもいいのか?」

「ええ構いませんわ――」


 その後はエルネスティーヌとギルドの大男が商談を進めていった。なにせ、めったに入荷されないガゼールの取引と言うことで、熱の入った商談になったが、エルネスティーヌの頑張りのおかげか、かなりいい値段で買い取ってもらえたようだった。


 ホクホク顔でソルを引き連れ、ギルドを出ようとしたエルネスティーヌであったが、そんな彼女に声をかける者がいた。

 

「待ってくれんかのう、少し話しを聞いてもらいたいのじゃが」

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