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大阪バンビ  作者: 都築優
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夕暮れ時、西の空が赤くなり始める時間帯、25号線は決まって渋滞している。

鉄郎はこの道を、いつも東に向かって車を走らせていた。

「何やねんこれ、ババ混みやんけ、ワシ今日早く帰りたいねんけど」

「こんなの、いつもの事や。これでも半には会社につくんや」

「ほんまやなぁ? ワレ、今日ワシおデートやねんぞ、かなんわー」

京子は南河内の出身で、事務で雇われた高卒の女の子だ。市内で働くようになって日が浅く、河内弁がまだ強烈なままだ。市内と言っても彼らの務める工場は、外れも外れの生野であったが。

天王寺動物園の少し前、新今宮のあたりには阪堺電車の踏切があり、電車が近づくといつ迄たっても信号が青にならない。

「コレもう、右曲がってそこでUターンぶちかました方が早いんとちゃうけ」

ただ、右折信号だけが点くのだ。

「前それしたらな、ポリ公がすぐそこに待ち構えてたんや。Uターン禁止やってん」

「今日もおるかは分かれへんやろ、いてまえ、いてまえ」

「せやな、このままこっちにおってもラチがあかんし、しゃあなしやで。おっ、おっ、消えてまう」

ウィンカーをだして右レーンに出ると、鉄郎は消えかけた右折信号を、フル加速で曲がった。

子鹿を轢いた。

「何しとんねん! ダボ!」

京子の罵声が響く。

二車線の、後ろから来た車が速度を落としてクラクションを鳴らし、車線変更で鉄郎の営業バンを追い抜いてゆく。

ハザードを焚いて脇に寄せ、二人は車を降りた。

「良かったなあ、首輪はついとらへん。こんなとこで飼い犬なんか轢いた日にゃあ、えらいこっちゃで」

京子が他人事のように言うのは、飼い主だと主張するホームレスや日雇いの酔っ払いがわらわらと寄って来て、高額な賠償を請求されるという話についてだ。

「犬、猫と違うんやから、鹿なんかそうそう飼われへんやろ。しっかし、何やねんこいつ。動物園から逃げ出してきたんやろか」

「そらアンタまさか奈良公園からテクテク歩いてはけぇへんやろし、串カツ屋がヘマして逃げられよったんちゃうけ」

「そんなわけないやろ。第一、そんな新鮮なお肉つこてたらそうそう食中毒なんかおこさへんて。

あーあ、バンパーちょっと傷いってるやん。社長になんて言おう」

道路脇に、子鹿は倒れ、細い足を震わせている。その目は充血し、口元から泡を吹いている。

「そない言うて、めっさ可哀想やんけコレ。動かしたらな後ろから来たのんに潰されてまうで。ちょっと、手伝ってえな」

京子は前脚を持って引きずろうと、無用心に子鹿に近付いた。

すると、起き上がった瀕死の子鹿は、首をもたげ、あろう事か京子の伸ばした腕に噛み付いたのだ。

あまりの事に、京子は濁点のついた低い悲鳴をあげる。

「痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ」

「あっ、オイこら、離さんかい!」

慌てて鉄郎は子鹿の頭をはたき、顎と鼻面を持って開いた。犬歯のない草食系動物とは言え、野生の力は強い。

奮闘して何とか離すと、京子の薄いブラウスの袖からは、血が滲み出していた。

「痛ってぇ、なにしくさっとんねん、こんのボケナス 」

京子はヒールの先で、子鹿を思いきり蹴飛ばした。

目に涙を滲ませている。

子鹿は、鹿特有の軽快さのない緩慢な動きで、ズルズルと体を引きずりながら、這うように逃げて行った。

「何や、生きとったんや」

「ケッタクソ悪いわぁ。どないしてくれんねんコレ。痛ッたア」

制服を汚さぬ様にと、捲り上げた京子の左腕にははっきりと歯型が付き、血が滴っている。

とりあえず傷口をハンカチで押えた京子を車に残し、鉄郎は近くに薬局を探した。一番安い消毒液と包帯を買うと、応急処置に戻る。

ペットボトルの水で傷口を洗い、マキロンのジェネリック消毒液を滝のように掛ける。

少し滲みるようで、京子は顔をしかめた。

包帯を巻いて、後で医者に見せた方がいいと鉄郎は言ったのだが、京子はこの期に及んでデートの時間を気にしていた。

「そんな事言ってる場合ちゃうやろ? 菌が入ったらヤバイやん」

「あかんねん。前もケンカしてんか、今日だけはあかんねん。ホンマ頼むわ。

今でもうギリギリやねんか。

せや、送ってってーや」

口裏を合わせ、事故の事は黙っているから、と半分脅迫のように。

その上、街のど真ん中で鹿を轢いたなどと言っても、誰も信じはしないだろうと、京子は言葉巧みに鉄郎を説得した。

帰社すると、京子はロッカールームで私服に着替える。

鉄郎は日報を書くと、明日、朝一のアポイントメントがあるので直行すると嘘をついて社用車を借りた。

平野から乗って、阪神高速を飛ばす。隣で京子は化粧道具を広げている。左腕を庇って、痛々しい。

「そない好きなんや、高校の同級生?」

「ちゃうねん。学生さんやねん。ちょっと黙っとってんか? 揺れるし、こっち手え動けへんねん。邪魔や」

「そうか? 高速おりたら外環はもっと道悪いで」

着替えた京子は短いスカートで、車が阪高のオレンジ色の電灯の下を通る度に素足が照らされて見える。

「あのへんで大学言うたら、あれか? アホの、いうか精神病院…」

「そんなん言わんとってぇや。ゆうても、ちょっと変わってんなあとは、しょっちゅう思うねんけども」



続く

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