まったく、咄嗟に返答できないなんて人間失格ね 3
話し合いはひとまず終わって、解散になった。春日井さんの手際のよさのお陰で教室の中はまだ明るい。文化祭委員・・・というか春日井さんにはまだ仕事が残っているので僕も残っていくことになる。
「春日井さ~ん。及川が僕をいじめるよ~」あ、僕のび○だ。
春日井さんは不機嫌そうに僕を睨んで、やっぱり大きく溜息をついた。
「自業自得ね。・・・いえ、自縄自縛かしら」
多分両方だ。
「まあ、こんなこともあろうかと漆根君用のマニュアルを作っといたのよ」
ドラえ○んいた!こんな身近に!・・・いや、失礼だ。春日井さんは暖かい血の通った人間だぞ。冷静怜悧な人だけど。
春日井さんはバッグの中からプリントの束を取り出した。それこそバッグの中は4次元ポケットなんじゃないかというほどの量だった。確かにそれならタバスコや蜂蜜やレモン汁を入れるのも簡単だろう。
「ここ5年の文化祭のお化け屋敷の構想と事後アンケートの結果。これは先生にもらったもので、これが私の分析結果。そしてここからが文化祭規則。最後のほうが今年の構想と役割。分担はこれから各部門でやってもらうわ。お化け役や受付なんかも割り振らなくちゃいけないわね」
改めて見ると凄い量だ。僕は自分が恥ずかしくなった。この仕事の半分は本来僕がすべきもので、他のクラスでは当然そうなっているはずだ。なのに僕はこの1ヵ月間何をしていたんだろうか。パートナーが春日井さんで本当に僕は幸運だった。・・・春日井さんにとってはものすごく不幸なことなんだろうけど。
「・・・ああ、ありがとう神様」
「神より私に感謝なさい」
その通りだと思った。
思っただけでなく、ちゃんと春日井さんに頭を下げる。
「ありがとう春日井さん」
本当に、心の底から感謝する。それでも全然春日井さんの苦労は割に合わないだろうけど。
「・・・漆根君が委員になるという人類史上もっとも最悪な出来事が起こったときからこれくらいは覚悟していたわっ」及川をはるかに上回る毒舌っぷりだったが、怒る気にはならなかった。今の彼女の口調にはそれほど毒がこもっていなかったからだ。春日井さんは無表情だけど、口調には心理状態が出る。声が上ずっている時は本心ではない、と僕は勝手に解釈している。それが演技だったら僕はもう帽子を脱ぐしかない。
僕はさっそく積まれたプリントの上から目を通していく。春日井さんは僕の向かいに座って、自分の仕事に入る。
「・・・及川君ね」
「ん?」受験勉強以来久々に集中していたので、春日井さんの言葉を聞き逃していた。
春日井さんはペンを走らせながらでも喋れるらしい。僕には無理だ。というわけでプリントから目をはずして春日井さんを見た。
「だから及川君。・・・何で及川が、って言ってたでしょ?」
「あ、うん」まったくもって謎だった。僕と違って協調する気も0のやつなんだ。僕は協調したくても拒まれるタイプだけど。
「特に男子に多いんだけど、高校生ともなるとこういうみんなで何とかするっていうのが恥ずかしいっていうのかしら、そういうのあるじゃない?」
「ああ、あるね」僕もそういうのが分からないでもない。実際文化祭委員じゃなかったら何もやっていないだろう。「なんかクラスでみんな頑張ってるけど僕は隅っこで見てるよ。どうかお気になさらず続けて下さい」っていう感じになるはずだ。このクラスにもそういう雰囲気を持った人が結構いる。とくにここは進学校なので「僕は勉強で忙しいからそういうのパス」みたいのが近隣の学校よりも多いんじゃないだろうか。
「私はそういうのが嫌いなの。温度差があるとお互いやりにくいし、そういう確執って残っていっちゃうじゃない?」
春日井さんは顔を上げない。ずっとシャープペンを走らせたままだ。だから、その言葉をどういう心境で語っているのかは分からなかった。顔を上げたところで表情なんか分からないんだけど。
「まあ、全部漆根君に当てはまることなんだけど」
「そういう事は言わなくていい!」机をバンと叩く僕。痛い。
なんだよ、真剣な話じゃないのか?いいよ、無理して僕をいじめなくても!
「それで及川君に頼んだのよ。ほら、及川君が言えばみんな従うでしょ?」
ああ、成る程そういう事か。だからさっき及川は部門分けで立候補しなかった男子を強制的に大道具にしてたのか。あんなヤクザな男に命令されたら従わざるを得ないだろう。
「まあ、そういうのは漆根君が委員になったときに実証済みだったしね。あれは本当にびっくりしたわ。いえ、感動したのかしら。私もついつい驚愕の表情を呈してしまったもの」
「違う!君は僕が選ばれたことに対して絶望してた!」
忘れるものか!・・・僕のせいだけど。
「はあ、いちいち揚げフットをテイクするわね。こっちはウォーターにフローしてあげようとしているのに」
「ルー語!?」まさか春日井さんにこんな持ちネタがあったなんて!やめてくれ、僕の存在感がまた薄れていく。
・・・あれ?今「水に流す」って言わなかったか?
・・・聞き間違いだよな。そんな都合のいいことはありえない。
「確かに私も及川君があんなあっさり了承してくれるとは思わなかったんだけどね。何でかしら?」
それは僕にも分からない。及川の気まぐれかもしれないし何か理由があるのかもしれない。
「でもあんまり信用しない方がいいよ。飽きっぽいやつなんだ」
「ええ、知ってるわ。本当に良く知ってる」春日井さんはシャープペンをノックしながら呆れた様子で言った。
「あれ?春日井さんって及川とそんなに親しいの?」そういえば僕が告白しなくなったのも「及川君に聞いた」とか言ってたし。
「え?及川君?今って漆根君が飽きっぽいっていう話なんじゃないの?」
「どんな話の流れっ!?」わかれよ!
仮に僕の話だとしたら何で僕は突然「僕のことは信用しないで下さい」とか言ったんだよ!
「でも漆根君は飽きっぽいわっ!」
「怒られた~!!」確かにそうであることはこの2年間で十分すぎるほど証明したけども。もう十分も十二分も通り越して百分過ぎるほど証明してしまったけども。
「・・・それにしても」ようやく春日井さんはペンを動かす手を止めた。
「やっぱり漆根君と及川君の関係は分からないわ。ガキ大将とパシリとか言う関係には見えないし・・・。ダメじゃない、お金で友情を買っちゃ」
「買ってねぇ!」買うんだったらもっと人間できてるやつにするよ。そういえばそいう事を一昨日さつきさんにも言われたなあ。よっぽど異質に見えるのだろうか。筋トレでもしようかな。・・・ダメだ、すぐにやめちゃうだろう。
なんたって飽きっぽいから。
「まあ、2年前なんだけど、いろいろあったんだよ」
いろいろあった。でもそれは全部過去の話だ。それに人に話すにはいささかプライベートすぎることでもある。
「いろいろ・・・というと、女Aは男Bのことが好きなんだけど、男Bは女Cのことが好きで、友達としてしか見ていない女Aにそのことを相談したというようなことかしら?」
「どこの三角関係っ!?」
脱線どころの話じゃない。電車が空飛んじゃった、くらいのまったく違う話である。
・・・月9か?
「それはそれとしてさ、よく及川に頼もうと思ったね。あいつって近寄りがたい雰囲気出してるじゃん」一般的に言ってそうだろう。少なくともあいつが同学年の女生徒に話しかけられているところを僕は見たことがない。僕が見たことないだけかもしれないけど。
そして僕は同学年の女子に半径3メートル近づかれないけど!
「そうかしら・・・?」春日井さんは首をひねる。「人がどうこう言っていようが、私はそうは思わないけど」
「かっこいい!・・・ああ、そういえば『私は自分で見たものしか信じない』とか言ってたよね。・・・でも神様はいるんだよね?」
「ええ、昨日コンビニでバイトしてたわ」
「神様どんだけ就職難なのっ!?」
一昨日はさつきさんが交通整理してたとか言ってたし、もしかしたら本当にいるかもしれない。それにしても世知辛い世の中だ。なるほど、ラーメン屋でボックスラーメン作ってるのも頷ける。
「私の場合はそうね。漆根君で慣れてしまったのかもしれないわね。でも、及川君のほうはひどくはないでしょう?」
「ひどいってのは僕と比べたのか!?」今まで言われた言葉の中で一番深く僕を傷つける単語だった。人間をこんな3文字で形容していいものだろうか。
「まあ、それは僕もそうだと思うけどさ」
それでもあんなヤクザみたいな見た目のやつに「責任者になってくれない?」なんてなかなか言えることじゃないと思う。それはただ春日井さんが素敵な人だという話なのだろう。
「どっかの誰かさんみたいにうじうじしないで二つ返事で了承してくれたわ。ああいうのを男らしいというのでしょうね」
「・・・・・・」
・・・まあ、僕のことなんですけどね!委員にされたときに必死に抵抗したものさ。
・・・・・・無駄だったけど。