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ミミズを喉に押し込められている気分だ

電車を降りて、家路に着く。漆根家は駅から歩いて10分ほどの距離だ。正反対だが高校と同じくらい。ただ、中学だけは結構遠い。20分くらいだろうか。僕は去年まで大変だったし、つむぎは今大変だろう。

僕を出迎えてくれるはずの僕の家は明かりが灯っていなかった。家の前の車もない。母さんが買い物にでも行ったのだろうか。でも父さんがいてリビングに明かりが灯っていないというのはどういう事だろうか。それにつむぎはまだ帰っていないのだろうか。

「漆根先輩」

突然、僕の目の前に少年Aが現れた。少年Aは中学の時から帰宅部だった僕が今まで呼ばれたこと無い呼称で僕を呼んだ。僕は驚き戸惑った。

―――シュウ君だった。りりしい顔だが、伏し目がちに申し訳無さそうに僕を見ている。その自信なさげな表情がどことなく僕みたいだな、と思った。

「あの、はじめまして」と、最初に挨拶から入る。ふむ、思ったよりも礼儀正しい子らしい。驚き戸惑ったままの僕はここでようやく自分のターンが来たことに気がついた。

「おお、耕太。コマンド選択はどうした。たたかうか?まほうか?ぼうぎょか?・・・それともにげるか?」

さつきさんの言葉を聞いて、僕は言葉を唱えた。

「シュウ君、だよね?始めまして。・・・つむぎは?」

シュウ君は大ダメージを受けたらしい。伏し目がちだった目線を更に下げてアスファルトを見た。

「すいませんでした」がっくりと肩を落とし、シュウ君は目線を下げた勢いのまま頭を下げる。茶色がかった髪が揺れた。ああ、髪の毛がサラサラだと寝癖の手入れが大変そうだな、と僕は思った。ちなみに僕も髪質としてはそっちに近い。

「・・・はげてるのに?」

「はげてませんよっ!今までそんな描写は無かったでしょ!やめて下さいよ、マジで!」ほんとにはげてると思われたらどうするんだ!

「は?」条件反射の僕のツッコミに対して、シュウ君は驚いたように顔を上げた。僕は軽く咳払いをする。本当に、僕の本能を利用して貶めるなんて、さつきさんは策士だなあ。

「いやいや、『欠けてませんよ』って言ったんだよ。僕の君に対する配慮がね」

「はあ」と、曖昧に、わからなそうにうなずくシュウ君。うん、正しい反応だ。これでわかられたら、僕は自分が本当にサトラレなんじゃないかと疑わなくてはならない。

「ちゃんと家まで送り届けてくれたんだね。ありがとう」僕はつむぎの部屋の窓を見ながら言った。だけど相変わらずその部屋に電気は灯っていないが、さすがにつむぎが家にいないのにシュウ君がここにいる理由がないので僕はそう言った。

「というよりも怒って帰っていくつむぎさんを僕が追って行く形だったんですけど・・・」シュウ君は諦観した眼差しを僕に向けた。それは、中二の男子にしてはあまりにも大人びすぎている表情だった。

「怒る?何で?」

シュウ君の仕事はつむぎを危険から遠ざけることで、それには成功しているはずだ。そこに怒る理由はないし、怒る意味もない。

「それは・・・」シュウ君は言いよどんだ。随分と言いづらそうだったので、僕は突っ込んで聞かなかった。しかし結局、シュウ君は重い口を開いた。

「先輩を助けに戻ろうとするつむぎさんを僕が止めたんです」シュウ君は再び俯いた。

ああ、なるほど。そういう事か。僕の軟弱さを誰よりも知っているつむぎは僕が袋にされると思って戻ろうとしたのか。でも、結局説得されてつむぎは帰るほうを選択したのだろう。

「君は間違っていないよ。僕は君のほうが正しいと思う」

だってさ、もし、つむぎが戻ってきたとしても何ができた?誰か人を呼んでくるくらいか?そんなの騒ぎを聞きつけた店員さんの方が断然早い。そしてそれでも十分遅い。人にはできる事とできない事がある。それは誰にも平等に振り分けられている訳じゃない。

例えば及川。あいつは喧嘩も強いし男らしい。けれど僕はあいつがそんなに強い奴じゃないことを知っている。

例えばさつきさん。多分及川より強いし面白いしきれいだけど、彼女にはできない事が多すぎる。

例えば僕・・・は、長所が見つからないから割愛。

「でも・・・」シュウ君は僕の顔を見る。

「ああ、これか」僕は腫れ上がっている頬に手を当てた。痛みはあまり無いし、そんなに大きく腫れ上がっているわけでもない。1週間といわず、3日もすれば消えてしまうだろう。絶対額の方が治るまでに時間がかかる。

「大したことないよ。上手く和解できたからね。それも本当に偶然だったんだけどね。偶然がなかったら僕は今頃どうなってたかな・・・。だからさ、僕は間違いなんだよ。正解は君のほうなんだ」

そう、僕は間違いだ。世界は僕以外を中心に回っている。僕はいつも勝手に空回りするだけだ。

だけど、僕は後悔はしたくないから躊躇をしない。それこそが間違いの元だと知っているのに身体が勝手に動いてしまうのだ。じゃなければ額にこんな傷はない。でも代わりに春日井さんが無傷だったのだからまったく後悔はしていない。こんな傷ぐらい負ってもかまわないと思う。

だけど、やっぱりそれは間違っているんだ。本当の本物は犠牲もなく上手く、何の後悔も無くやってみせる。本当はどんなことだってできるやつがやるべきなんだ。それに抗う僕は間違っているんだ。

「そんなことありません。先輩は正しいです!」シュウ君は、初めて僕の目を見て、力強くそういった。

「僕は・・・僕は・・・逃げることすらできませんでした。足がすくんで、頭が真っ白になって・・・。先輩がいなければ今頃・・・」眼力は次第に弱っていく。それは捨て猫みたいな目だった。憂いの中、どうすればいいかわからず、ただがむしゃらに生きるだけ。そんな目だ。

だったら、この子はきっと僕だ。あの時に道を踏み外さなかった僕の姿だ。方法も分からず必死になっていたあの頃の僕だ。だからこそ僕は言わなくちゃいけない。

「君は、今の君を否定すべきじゃない。必死になるのもがむしゃらになるのも良いけれど、それは今の自分の上に培われるべきものなんだ」

・・・なんだろう。少しシリアスになりすぎている。う~ん調子狂うな。

「僕の中学時代の話は聞いているかもしれないけど、道を間違えると本当にこんなになっちゃうんだぜ」つむぎが噂になっていると言っていたからシュウ君も多分知っているだろう。僕は茶化すようにそう言うと、シュウ君は情け無さそうに笑う。

「あのあとすぐ帰ったのならもう1時間くらいここにいるんだろう?今は帰ったほうが良いよ。遅くなるし、それに・・・」

思い出すなあ、僕もこうして人の家の前で待ち伏せして近所のおじさんに咎められたことがあったっけ。あのおじさんかなり怒ってたもんな。・・・というのはやっぱり言わないでおこう。

「でも、つむぎさんに一言謝りたくて」シュウ君は折れなかった。憂いを帯びた目を僕に向けた。

「わかった。僕が説得しておく。こっちから電話をかけさせるから、待ってて」

「・・・・・・はい」シュウ君はしばらく黙考したあと、頷いた。本当に素直な良い子だと思う。非の打ち所がない。僕と重ね合わせたのはかなり失礼だったかもしれない。

「・・・さて」とぼとぼと歩くシュウ君の小さな背中を見送って、僕は家に向かう。

「・・・まずいですね、さつきさん。シリアスな調子が戻りません。なんか面白いこと言って下さい」法外な要求をした。

「そうだな。耕太がシリアスだと調子が狂うというか純粋に気分が悪いな。ミミズを喉に押し込められている気分だ」

「最悪な拷問だ!!ていうかそんなハイレベルな気持ち悪さなんですか!?」

ちくしょう。僕に一生おどけていろというのか。24時間365日ピエロか、僕は。

「あっ、でもなんか元気出てきました」

「傷つけられて元気が出るなど、君は変態か?」

「ああ、気持ち良い。もっと言って下さい」

「無敵か君は!」さつきさんは声を張り上げる。うん、やっぱりこうでなくてはならない。

・・・ちなみに僕はがっつり傷ついている。しばらくの間真剣になれそうにない。テストの記名欄に「漆根・M・コウティ」とか書いちゃうかもしれない。そのレベルで真面目になれない。だって学校の先生にミミズ踊り食いさせるわけにはいかないし。



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