テントが血まみれになるくらいありえない
映画館を出ても、二人は僕の存在に気付いていないらしい。我が妹ながら周囲への注意力のなさはどうかと思う。でも絶対に気付かれてはいけないジレンマ。
2人はイタリアンレストランに吸い込まれていった。それにしてもシュウ君とやら、なかなかにセンスが良い。着ている服も遠目から見てもカッコイイと思う。ちょっと不覚だ。
2人が入ってしばらくしてから僕も入る。後から友達が来るという体でシート席に座る。こうしておけばわざわざ注文をする必要もないだろう。流石にさつきさんの前で僕だけがご飯を食べるのはいただけない。ただ、それだとウェイトレスさんに悪い気がしたので、僕はコーヒーを注文した。さつきさんはコーヒーが飲めないというかなり愛くるしいギャップをお持ちの方なので、文句を言わない。むしろさつきさん視点では僕は修業をしていて、わざわざ自分に苦しみを与えるためにコーヒーを注文しているとさえ思ってるだろう。
ここは二人の位置が確認できる席だ。もちろんトイレの位置も確認してあるので、つむぎがトイレへ向かったとしても僕がへまをやらかさない限りばれることはないだろう。そもそも今の2人はさっき見た映画の話で盛り上がっているので僕に気付きそうもないのだけれど。
僕はおもむろにケータイを取り出して操作するふりをして耳に当てる。しばらくしてから口を開いた。
「どうですか?さつきさん」そう、これぞ僕が考え出した秘策中の秘策。名づけて『あれ、あの人なんか1人で喋ってない?気持ち悪いな。・・・と思ったら電話で喋ってんのか、ああ、納得―――と見せかけて、実は通話していませんでした』大作戦。これを僕は一晩で考え付いた。欠点は常に何の音も流れていない携帯に向かって相槌を打つかしゃべっていなければならないという事。それも今みたいにさつきさんが偵察に行ってしまった時はなおさらだ。自分で自分が悲しくなる。
「ふむ、あの2人、なかなか和気藹々と喋っていた。どうやらさっきの映画がなかなか楽しかったらしい。悪役は果たして最後に更正するのが正しかったのかで議論していた。・・・私はすべきでなかったと思うがな」
「そうですか・・・」僕は携帯を少し強めに握り締めた。もちろん携帯からは悲鳴どころか物音1つ聞こえない。
「しかし、確かに面白いが、私は少々罪悪感を感じ始めたぞ。もういいではないか。若い2人はそのまま放っておけば。自分が彼女を作るよりも妹が先に彼氏を作ったことに嫉妬をするなど低俗だぞ」さつきさんは僕の向かいにどこかのヤクザのボスのようにどかっと腰を下ろした。さつきさんは決してスカートを履かない人なので、その座り方から感じるのははしたないなあ、という事だけだ。
ちなみにさつきさんの服は昨日僕と2人で買ってきたものだ。結構遅くに行ったので、客はいなかったが、女物の服(しかも大人用)を1人で買う男子高校生を見た店員の目たるや筆舌に尽くしがたいものがあった。ようするに死にたくなった。
「いえいえ、そうも言ってられませにょ」
「噛むな!しかもかなりかわいい感じで!」
「すいません。ちょっと動揺が・・・。いや、まさか僕がつむぎに嫉妬なんてありえない。ありえないありえない。そんなことは天と地がひっくり返ってもない。てんとう虫が地面を掘り進むくらいありえない。テントが血まみれになるくらいありえない」
「もはや何を言っているかわからんぞ!」ようやくさつきさんは姿勢を正して僕に向き直った。そして、僕も自分で何を言っているかわからない。
「ああ、そうですね、こういうときはコーヒーでも飲んでちょっと落ち着きます。やっぱり良いですよね、コーヒーは。あ、あれ、地震でも起きてるんですか?コーヒーがちっとも口に近づかないんですけど」
「震えているのは君の手と脳だ。しっかりしろ!悪かった。痛いところをつきすぎた」机に手をついて平謝りするさつきさん。僕が言うべきでは決してないが、さつきさんはまったく悪くない。ようやく僕はコーヒーを口に運び、落ち着く。さながら心臓発作の薬のようだ。やれやれ、もっと落ち着こう。昔から落ち着きの足りないといわれる僕ももう高校生だ。子供みたいにそんなどうでもいい嫉妬とかで心を乱すのはもうやめだ。そう、今日この時点から僕はもう大人。大人だ。
「すいません、コーヒーあと5杯」
「まったく落ち付いていないっ!?」
近くを通りかかったウェイトレスさんの注文をするときもやっぱり僕は動揺しっぱなしだった。そんな僕に彼女は「飲み終わってから改めてオーダーして下さい」と大人な対応をしてくれた。
しかしそうか、僕のこのもやもやしたアフロで密林が形成されているような気持ちは嫉妬だったのか。てっきりつむぎの彼氏に対する不安かと思っていたのだが。
「うむ、自覚があるのはいいことだ。そういう感情はしっかりと覚えておけ。そしてそのまま海にでも突っ込んで頭冷やすが良い」
「え?海?そんなとこ入るわけないじゃないですか。ていうかこんな寒い時期に海に入るやつなんているんですか?」
「記憶を改ざんするなっ!」机を勢いよく叩く。瓦割りの容量で机が真っ二つになるかと思った。
「そしてボケ役を私に返せ!君は黙って突っ込み役に徹していればいいのだっ!」
不当な要求だった。
ていうかさつきさんそんなにボケ役に愛着があったのか。それは悪いことをした。そう思って、今度は正確にコーヒーを口に運ぶ。うん、この店に来てよかった。お陰で僕はこぼさずに飲み物を口に運ぶというスキルを手に入れた。そんなもの3才の時に手に入れとけ!って感じだが。
「お、そろそろ移動するみたいだぞ」僕が大人なウェイトレスさんに3杯目のコーヒーを注文しようとした時に、さつきさんが気付いた。一応僕は身を隠したが、見つかる心配は無さそうだった。2人は歩きながらも実に楽しそうに喋っている。あんなつむぎの笑顔は小3以来見ていない。ここ最近にいたっては笑顔をほとんど見てない。
・・・実の妹の笑顔は見ないし包丁は突きつけられるしで僕は一体何をやっているんだ。
「3年目のカップルみたいだな」
「流石に包丁は・・・。それに3年目のカップルだって結構仲いい人いるよ。ていうかそっちのほうが多いでしょう!そもそも妹との関係をカップルに例えるなっ!!素で気持ち悪いっ!」突っ込み型、漆根耕太の再臨だった。ああ、やばい。人に突っ込むって安心するなあ。僕はSなのか?・・・いや、それはないな。Mだ。MMだ。やばいキノコなみにMMだ。
つむぎたちは外に出て行く。さて、僕らも会計済ませて外に出なくちゃと思った時、耳元で激しい着信音が鳴り響いた。
一応言っておくが、今の僕は電話で話しているという体なので、どう考えても僕の携帯から着信音が鳴り響くことはない。すわ何事かと付近の客の目や大人なウェイトレスさんがこちらを向いた。
「やれやれ、君はやはりどこか抜けているな。店に入るときはマナーモードが基本だろうに」さつきさんは肩を竦めて当たり前のことを当たり前に言った。その当たり前が大事なんだなあ、と僕は身に染みてそう思った。
・・・ちなみに電話は及川から。僕はあいつに心の底から逆恨みして、電話を取ることなく切った。