おお、さすが耕太だ。ストーカーのキャリアが違うな
つむぎが家を出たのは9時過ぎだった。宝くじを当てた人でもしないような幸せそうな笑顔だった。へえ、あいつあんな顔できたんだ、と感心してしまったほどだ。本来ならば兄として祝福すべきなのだろう。しかし、もしその「シュウ君」とやらがどうしようもないやつだったら?つむぎの笑顔は一体どうなる。だからこれは野次馬根性などではなく、兄としての義務だ責務だ。権利と義務は表裏一体。「おにいちゃん」と呼ばれる権利があれば妹を守る義務がある。
・・・あ、でも「お兄ちゃん」なんて呼ばれた記憶ほとんどないな。まあ、「耕兄」だからギリギリセーフだろう。
「さあ、早く行かないと見失ってしまうぞ、耕太」
「大丈夫です、焦りは禁物ですよ」ぼくの名前は漆根耕太。やることなすこと裏目に出る男と呼ばれている。両面とも裏のコイン(超レアだ。その筋のマニアの間では高額で売買されているらしい)に例えられたこともある。そんな僕のことだから慎重と万全を期さなければならない。
「待ち合わせはまず間違いなく駅前でしょう」ていうかこの町にはデートスポットなんてないのだ。だからまずは電車で近くの繁華街まで行かなくちゃいけない。
「おお、さすが耕太だ。ストーカーのキャリアが違うな」
「ちょっと待て待てーい!さつきさんの中で何勝手に僕のスキルレベルをアップさせてるんですか!?しかもかなり嫌な方向で」流石の僕でもわずかに残った名誉のためにその一線を譲る訳には行かない。
「ちっ、中途半端が」
「聞こえてますよっ!」その発言はあれか?僕を犯罪者に仕立て上げたいっていう事か?
「今頃気付いたのかっ!?」
「真顔で驚かれたっ!!」ちくしょうこんなところの被害者の会のスパイが・・・。
「なんのことだ?・・・まあいい。早く行くぞ」
さつきさんに腕を引かれる形で、ショックを受けてうなだれたままの僕は家を後にした。まあ、後ろ髪を引かれるよりは良い。さつきさんはリアルに僕の短い後ろ髪を引き抜こうとするから。
両親はまだ寝ているので鍵もしっかりとかけておく。つむぎは既に出かけることを言ってあったし、僕は両親に諦められている身の上なので、10時くらいに起きて2人ともいないと知っても驚くことなく一日を過ごすだろう。
そして、案の定つむぎは駅前にいた。シュウ君とやらは既に来ていたようだ。
ふむ、女性を待たせないという気構えは合格だな。さらさらヘア―に幼さが残る顔。背は高くないな。つむぎより少し高いくらいだ。
「君はいつから人の容姿に付いて品定めできる身分になったんだ?」家政婦のごとく建物の影に隠れてシュウ君を見ている僕の後ろからさつきさんが声をかけてくる。
「・・・何か言いたいことがあるんですか、さつきさん」
いや、とさつきさんは首を振った。
「ただ、一つあるとすればその帽子と伊達眼鏡だな」
そう、僕は変装している。人間髪型と目さえ隠せれば大概どうにかなるものだ。帽子はあったが、眼鏡は昨日思いついて昨日買ってきた。伊達なので安い。100円也。
「いや、似合うぞ。・・・馬子にも衣装と言ったところか」
「・・・それ、褒めてませんよ」
「知ってる」
「でしょうね!」
などと、戯れているうちに2人は駅に入っていってしまった。
「まったく。君がワーワーうるさいから尾行に集中できんではないか!こんなことなら1人で来ればよかった」
「ぼくのせいですかっ!?」
そこらへんを歩いている僕と違って忙しい人たちにどちらのせいか審判を下して欲しかった。しかし、それができないという事は裁判員制度の普及もまだまだ甘い。
早速僕らは2人の後を追う。券売機で切符を買っているのをさつきさんに偵察に行ってもらい、どこまで行くのかを知った。プランニングはシュウ君だろう。まあ、妥当と言ったところだった。というかこの辺ではそこ以外遊ぶところがないというのが正しい。
さて、問題はこの電車に乗る時だ。見失わないためには同じ電車に乗らなければならないし、しかし気付かれないようにしなければならない。幸いにして、土曜日の朝と言う事で人が多い。これなら上手く紛れることができそうだ。僕はその駅までの切符を買った。
「ふむ、改札というのはいつ見ても面白い。じっと見つめている駅員の気持ちも分からんでもない」
・・・いや、わかんねえよ。この無機質な機械のどこに面白要素があるというのだろうか。
「いやいや耕太。急いでいる人が上手く切符を入れられなくて苛々するところなんて最高だぞ」
「・・・・・・」最低だよ、さつきさん。ていうか本当に暇だったんだな。
「馬鹿にするな!忙しい時でも合間を縫って来ているわ!」
「・・・・・・」
それもどうだろう。というかそろそろこの不毛な会話を終わらせてしまいたかった。価値観が壊れてしまいそうだ。
「ああ、やっぱり人が多いと堂々と突っ込めないのがいたいな。フラストレーションたまりっぱなしだ」
「ふむ。そうかそうか」
「はい?」
「そうかそうかそうかそうか」さつきさんは少し嬉しそうだった。自分の肩を揉みつつぐるぐる回している。僕は首をかしげる。かしげすぎて折れそうだった。
「私が解消してやろう」
「手のマッサージですか?」
「いや、君を殴る。そうすればスカッとするだろう?」
「あんただけな!」あ、突っ込んじゃった・・・。ああ、周りの人々の視線が僕に集中している。僕は俯いて足を進めた。つむぎたちは既にプラットホームに出ているだろう。ここにいなくて本当に良かった。
「ふふふ。どうだ、少しは解消されたか?」
「・・・穴があったら深く掘って空襲を避けたい気分です」しかもこの焼夷弾、僕限定にしか降ってこないというのが厄介なところだ。そういえばこの辺も戦時中は防空壕を掘ったという事だった。・・・まあ、今となってはどうでもいいけど。
そう思えるこの平和な国を僕は誇りに思う。
流石に日曜日の朝だけあって、吹きさらしのプラットホームには人が多かった。幸運なことに2人は一番向こうの車両に乗るらしく、ぼくから遠く離れていた。ここに来た途端ばれたらどうしようかと思ったがその心配は無さそうだ。そもそも楽しそうにおしゃべりをしているので周りを見ることもしていない。今スリにあったら確実に財布を持っていかれるだろう。
念には念を入れてつむぎたちとは車両2つ分開けておく。というか車両が4つしかないのでこれ以上開けようがない。
「さらばだ、わが町」列車が動き始めた時、さつきさんは窓の外に向かって敬礼した。僕は湧き上がる突っ込み魂を何とかこらえた。代わりに携帯を取り出して「特攻隊かよっ!僕のさっきの防空壕とかけてるんですかっ!?」と打鍵した。もちろんさつきさんは見てくれない。こんな小規模な突っ込みは受け入れてくれない厳しい人なのだ。しかしその突っ込みによって少々落ち着いた僕は窓から外を見た。
海しかなかった。