ぬめっとしててねとっとしててふにゃふにゃしてるじゃない!! 2
しかし放課後。やっぱり僕は憂鬱だった。時計の示す時間は4時。僕の時計の読み方さえ違えていなければ4時だ。決して終わらない仕事を強制的にやめられるのは下校時間の6時。つまりあと2時間、僕はこの拷問部屋もとい教室、いややっぱり拷問部屋にいなければならない。まだ30分も経っていない。
・・・そして春日井さんと2人きりだ。さつきさんももういない。今日は昼くらいにふらっとどこかへ行ってしまった。息が出来ないほど気まずいものがある。喧嘩別れしたカップルが数年ぶりに会った時だってこれよりはまだマシなはずだ。
僕は上目遣いに春日井さんを窺う。前髪をピンでとめ、きれいな額をさらしているのが額が絆創膏で埋まっている僕への嫌がらせだと思うのは穿ちすぎだろうか。そりゃ勿論間違いなく穿ちすぎだろう。シャープペンを走らせる彼女にはなるほど、優等生という言葉がぴったりだ。集中力がまるで僕とは違う。ていうかこの空気、春日井さんにとっては大丈夫なのだろうか。
昨日の今日で怒ってるだろうから僕から話しかけるのもためらわれる。かといって春日井さんから話しかけてくる可能性は隕石が落ちてくる可能性よりも低い。う~ん、あと2時間息止めてられるかな。
「・・・何してるの。ちゃんと考えてよ」
「!!・・・・・・ええっ!!」声をあげる僕。そしてその僕の驚きに驚く春日井さん。
「隕石落ちちゃったよ!!」
「な、なに!?」僕の突然の発言についてこれるはずもない。春日井さんは縁がピンクの眼鏡をはずした。
「あ、いや。今僕のセンサーが世界のどこかの流れ星を発見したみたいで」
「あなたは全ての流れ星に願い事ができるというの!?」
すげえ。突っ込んできた。そういえば僕の調べた情報によれば、彼女は突っ込みのほうだった。昨日は緊急事態でその力が作用しなかったという事か。そして、僕の情報が正しければもう1つ、武器があった。
「絆創膏がメインみたいな額して何を言っているの?」
「・・・・・・」そう、彼女は毒舌です。誰にでもというわけじゃないけど、かなりの。
「それよりも漆根君のほうはどうなの。内装の構想は」こういう所はやっぱりまじめな優等生だった。
僕は出し渋る。一応考えているんだけど、100%反撃を受けるからな。
「ほら早く、その人間が描いたとは思えないのを見せてよ」
「・・・・・・」
僕が返事をする間もなく、僕の手元から紙を奪い取る春日井さん。机に置いておいた眼鏡をかける。僕の字が小さいうえに汚すぎてよく見えないんだろう。ああ、だんだん眉間に皺が寄っていくよ。まずいよ、怖い。怖い怖い怖い。
「・・・漆根君」
「はいっ!」
「やりなおし」
「・・・・・・はい」うなだれる僕。しかし春日井さんは情け容赦なく死者に鞭を打つ。
「これじゃあ怖がらせるポイントが3つしかないじゃない。それに普通すぎね。そして、入り口がないのにこのどこから入るの?お客さんに天井からでも入らせるの!?そんなの超軟体動物の漆根君にしかムリよ」
「超軟体動物ってなんだ!?僕はぬめぬめしてないぞ」
「してるわよ!ぬめっとしててねとっとしててふにゃふにゃしてるじゃない!!」
どうやら恐ろしいことに春日井さんの舌が乗って来たらしい。だがしかし、それによって僕が乗ってくるのも然り。いつのまにかさっきまでの気まずさはどこかに消え去ってしまっていた。今日は風が強いからだろうか。
「どっちかって言うと猿?しかも発情期の」
「う、ぐ・・・それに関しては言い返す言葉はない!その節はすいませんでしたっ!!」
ないんかい。
心の中で自分に突っ込みを入れておく。しかし春日井さんがこの話題を出すなんて。ていうか春日井さんと攻防ができるなどとは思わなかった。僕はどういう夢を見ているんだ。
「・・・そういえば」春日井さんは再び眼鏡をはずした。どうやらデフォルトは裸眼で、文字を読むときにはかけるらしい。コンタクトにすれば良いのに。めんどくさくないのだろうか。
「及川君が言ってたわ、最近漆根君が何もしないからつまらない、って。どういうDNAの変化?」
「僕のさかりは遺伝子レベルか!?だがそれを言うと妹まで被害を受けるからやめてくれ」
春日井さんは僕に妹がいる事に若干の驚き(そしてなぜか向けられた憐憫の目はつむぎに対するものだろう)を見せたが、何も言わず僕を見ている。
「まあ、及川流に言う僕のその習慣には理由があってね。その理由が先週解決したんだ。だからもう何もしないよ」僕は悪戯を叱られた子供のように言った。春日井さんは説明の足りない僕の言葉にしばらく怪訝な顔をしていたが、しばらくして重い口を開いた。
「それを聞いて安心したわ。今週末に被害者の会で追い込みかけようと思ってたからね」
「こわっ!」僕、危機一髪。ああ、でも安心してくれたということは心配してくれたんだろう。春日井さんはやっぱりいい人だ。ていうかなんだ、被害者の会って。
「本当に安心した。私達が加害者にならなくて」
「前言撤回。あんたは鬼だっ!!」僕の褒め言葉を返せ。
「まあ、私はどっちでも良かったんだけど」
「どっちでもって、僕の生き死にが!?それとも自分が加害者になる事が!?」まあ、こんなの答えのわかりきってることだな。さすがに人一人の命を天秤にかけたりはしないだろう。春日井さんは僕と違ってちゃんと常識人のはずだ。
「うん、漆根君が死ぬか死ぬか生きるか死ぬかが」
「ちくしょう、あんたは常に僕の予想の上をいくな!そして僕の死んでもいい確率4分の3かよ」
「まさにデッドオア・・・デッドよ」
「ついに死ぬしかなくなった~~!!」
改めて僕の罪の重さを実感した。ああ、神よ、僕の罪を許したまえ。・・・困ったときは神頼み。やはり僕は現金で罪深い人間のようだ。
時計を見ると結構時間がたっている。こういう時間はさっさと過ぎてしまうらしい。傍から見てると僕がいじめられてるだけだけど。ていうか僕自身もそう思ってるけど。しかしなんだろう、この別にいやじゃない感じ。僕の中で何かが産声をあげていた。
話は戻って再び文化祭の話し合い。真面目にやりたいが、どうしてもダメだった。こういうちゃんとやらなきゃいけない雰囲気に身体が順応しない。僕はしだいに正座をしてる小学生みたいにそわそわして春日井さんに5回注意された。
「内装はこうかな。これを基本にして後はオプションを追加してけばいいし」
「・・・・・・すいません」タバコの箱並みに小さくなる僕。結局僕は何もしていない。だから文化祭委員なんていやだったんだ。
「ああ、うん大丈夫。漆根君には最初から何も期待してないから」
「くっ」
「あれね、政権交代による新たな総理大臣くらい期待してないわ」
「それは失礼だ。あの人達だって頑張ってるよっ!」
・・・ん?でもそれなら多少は期待されてたんじゃないか?だとしたら悪いのは僕だ。なんだよ、またお前かよ。いい加減良いこともやれよ。
僕はブツブツ言いながら春日井さんの書いた案を写した。実際全て春日井さんが運営してくれるなら必要ないが、何かしなくては、という焦燥感に責められた結果だった。つまりこれが僕の出来る最大限。悲しくなる。
「しかし凄いね、春日井さん。こんな簡単に考えを出せるなんて」心からの完敗だったので、僕は素直にそう言った。しかし春日井さんはなぜだか俯いた。僕は首をかしげる。
「別に普通よ。かなりオーソドックスな配置だし、それを言うなら漆根君のほうが凄いわよ。まさか入り口を作らないという奇行に出るなんて驚嘆に値するわっ!」
「何で僕けなされたのっ!?」
褒め損だ。おかしいな、称賛に対して皮肉で返ってくるなんて。彼女の中で僕の発言はどう変換されたのだろうか。攻撃だとでも思われたのだろうか。だとしたら僕の言葉は無為に人を傷つける性質があるというのか。超ショックだ。
「と・に・か・く」春日井さんは一字一字区切るようにはっきりと発音した。ようやく顔を上げる。
「文化祭まで時間もないし、そんなに凝ってもいられないわ。ぱぱっと行くわよ」僕は頷くしかない。そしてその宣言は僕に口を出すな、と同義だった。結局その後も僕は適当な相槌をうつだけにとどまり、そのうち6時になってしまった。
「とりあえず今日はここまでね。私これから塾あるから戸締りと先生への報告、よろしく」
「・・・・・・はい」とんだ投げっぱなしジャーマンだ。僕は言葉を失う。相槌だけでろくに喋ってなかったのも言語が失われていたからかもしれない。
「アア、アー。・・・赤パジャマ青パジャマ黄ばんだ」よし、どうやらちゃんと話すことはできるらしい。春日井さんの背を見送りつつ、僕は安心した。
教室の窓を閉めて電気を消す。春とはいえまだまだ4月なので6時を回れば暗くなる。電気の消えた教室というのはとても静かで不気味だ。幽霊でも出そうだが、結局出なかった。・・・残念だ。
僕はすぐに教室を出て、先生に報告をし、幽霊がいる我が家へ帰ることにした。