彼女を映画のヒロインとするなら僕は主人公じゃなく、ゾンビB役だな。 3
「―――以上、回想終わり。それ以来今の『話しかけないで』以外、彼女が僕に向けた言葉はありませんでした、と」
僕はひとりごち、さらに喋って余計な体力を消耗したことに激しく後悔した。
腕が・・・、もう・・・。
しかし、僕の両腕を犠牲に体育倉庫が近づいてくる。重い顔を上げると、春日井さんは鍵を開けてくれていた。彼女は責任感が強く僕なんかとは比べるのもおこがましい優等生なので、鍵を預かった以上返しに行くのは自分だと思っているはずだ。いや、そうではなく頼みごとでも僕に向けて話しかけるのがいやなだけなのだろうが、そんなものはどちらでも同じことだ。いつもなら感謝の気持ちを込めて土下座の1つくらいかますところだが、今の僕にそんな余裕は無い。僕は倉庫の一番奥にある棚の不自然に空いている所に機械をおく。そして、事故に見舞われた。
ガラガラガラガラ
「うわっ」
絶妙なバランスを保っていた棚の上の荷物が装置の重みで棚が軋んだことによってバランスを崩し、僕めがけて降ってきた。僕はそのまま後ろ向きに倒れる。ペンキがなかったことを真剣に喜ぶ僕。今のよろこぶは悦じゃない、喜だ。僕はそこまで変態なやつじゃない。信じて欲しい。
春日井さんはまるで倉庫ごと吹き飛ばすかのように肺にある空気をこれでもかって言うくらい吐き出してため息をつき、そしてそれだけでは飽き足らず、舌打ちもおまけしてくださった。フルコースだ。ちなみに僕は両腕が乳酸漬けなので、自由に身体を起こすことが出来ない。春日井さんは間違いなく自分が早く帰るためだけに、僕が落とした荷物を拾った。
カラカラカラカラ・・・バタン。ガチャ
―――そして、倉庫の中の光源は一つ減ったのだ。
「・・・嘘、だろ」
と、今まで散々艱難辛苦を共にし、共に恐怖の大魔王を倒そうと心に誓い、時には命を助け、時には助けられた仲間が実は大魔王の手下だったと知った時の勇者のように僕は呟いた。
僕は両腕の疲労なんて一瞬にして忘れ、立ち上がった。消えた光源に向かって駆け寄った。人がやっと1人通れるくらいの戸は硬く閉じられ、恐らく外側から南京錠が駆けられている。多分見回りの先生が誰もいないと思って閉めたのだろう。確認すらしないなんて困った人だ。しかし、電気もなく広い倉庫の奥まで見なかったので、人がいるとは思わなかったのだろう。・・・ということは僕のせいか。そういえばそうだ。
「・・・ハハハ、どうしよ」人間ピンチになると笑うしかないというのは本当らしい。僕は春日井さんに笑いかける。
「・・・・・・」
無言で僕を睨みつける春日井さん。ああ、僕はまだ腫れ物に生まれたほうがよかったかもしれない。人間の目ってあんなに鋭くなるんだ。触れたら裂けそうですもの。これを学会で発表したら僕は博士号が取れるかもしれない。その前に間違いなく春日井さんに殺されるけど。
「ふう、まあ、まず落ち着こう」その言葉だけで僕は落ち着く。人間の心って結構単純だ。落ち着いてまず両腕のストレッチ。やっぱり身体は大事だ。次いで僕が落とした道具の片付け。人間たるもの、まずは身辺整理からだよね。その上僕はきれい好きだ。こんな惨状放って置けるわけないだろう?あっ、そう考えると僕殺人現場とか行くと落ち着かないな。警察にはなれないや。別の方法でさつきさんの探し人を探さなくちゃな。
「ねぇ、何やってんの?」
委員になって二度目。彼女は口を開いた。その声はそれほど低くないアルト。あるいはあまり高くないソプラノといった感じで、倉庫には響かない。それが今この場所の静けさを更に演出している。
「ん?どこ○もドアでもないかな~って」僕は倉庫の中をガサゴソあさりながら答えた。
「・・・・・・」
あれ?お気に召さなかった?だいたい突っ込みの僕にボケさせるな。ああ、そうか。今この状態においては僕がボケに回らなきゃいけないのか。流石に素人の春日井さんにボケは危険すぎる。火傷じゃすまないからな。最悪廃人になる。
僕は棚の上に道具を片付け終えると周囲を見回した。放課後の倉庫。先生が見回ったという事は間違いなくこれ以降人は来ない。つまりこの密室状態のまま、どうにかしてここから出る手段を見つけなければならないわけだ。
「あっ、携帯持ってない?僕家に忘れてきちゃったから・・・」簡単だ。助けを呼べばいい。及川あたりを呼んで、ここの小窓から鍵を渡せばすぐ開けられる。幸い及川の携帯番号は覚えている。誤解しないで欲しいのは覚えているのは頻繁にかけるからじゃなくて、他の番号なんてほとんど知らないからだ。せいぜい家族とほか数名くらいか。高校からの携帯デビューだし、交友関係を広げられる性格と認知のされかたじゃないし。
「・・・電池が」
三度目のセリフはたった3文字。そして僕は落胆する。本当に使えない文明の利器だ。必要な時に限って役に立たない。実際使えないのは僕ら人間のほうなのかもしれないけど。
気を取り直して再び周りを見回した。もちろんドアはアウト。内側からじゃ開けられないし、非力を3乗してようやく軟弱さを言い表せる僕に力で壊すのもムリ。もちろん春日井さんにも無理だろう。
小窓はあるけどせいぜい換気用だ。しかも格子がついていて腕すら出せないな。せいぜい指くらいか。誰かが外にいればここから鍵を渡せるだろう。だが、これも今は意味が無い。
上のほうの窓はどうだろう。あれは内鍵式だな。あれなら通れそうだ。しかし如何せん位置が高すぎる。この倉庫は体育倉庫とか諸々を兼ねているからとにかく広い。全部の荷物を出したらバスケができる。バレーをしたら天井サーブが打てそうだ。
万事休す。しかし、ここで知恵を出し、乗り切ってこそ小学生から9年ちょっと就学してきたかいがあるというものだ。
「・・・・・・」
ダメだった。
すぐに脳が音を上げた。僕の学歴なんてこんなもんか。もういいや。ここに住もうかな。体育のマットで寝るのは結構快適だし。
そして自虐的に笑いながら春日井さんのほうを向くと、彼女はびくっと肩を震わせ、身構えた。身構え方が空手のそれだった。まさか、有段者か?・・・でもなんで身構えるんだ?僕は考察する。
彼女は武道の腕を上げるため、邪魔者が入らないところで勝負を仕掛ける習慣があるのか?・・・いや違うな、よく見たら足と手がちぐはぐだ。普通左の手足を前に出すのに、左足と右手が前に出てる。腰を捻って今から走り出す小学生みたいな姿勢でこちらを睨む姿は面白かったので少し笑ってしまった。しかし、笑っちゃいけないという良心とぶつかり合い、結局にやけ笑いになってしまった。
彼女の顔から一瞬にして血の気が引く。それはもう骸骨の標本に見せ付けてやりたいほど真っ白に。その変化に僕は再び首をかしげる。考察すること十数秒。ようやく解に辿りついた。なるほど、春日井さんは僕を前にして身の危険を感じたわけだ。確かに週一で告白している高校生を見たら体目当てだと蔑まれても仕方ないか。そしてここは2人きりの体育倉庫。まさにそういう事が起こるのに絶好の舞台というわけだ。それもないわけでもなくはなくなかったが、コクりまくっていた理由のメインは違うんだ・・・なんて言って信じてくれるとは思わないけど。
春日井さんの目は潤んでいる。さっきの構えも含め、どうやら護身術の心得はないらしい。しかし、こういう立場になってはじめてわかる。この状況、僕にとっても非常に危険だ。恋愛漫画でよくある知らない男女がこういう密室空間に閉じ込められるシチュエーションを見て憧れていた昔の自分をひっぱたいてやりたい。もし誰かがここに来たら僕は少年院あたりに送られるんじゃないか。模範囚になれば少し早く出れたんだっけ。そうなると結構労働とかあるんだったか。
と、僕は妄想の谷に陥りかけたが、なんとか頭をふって振り払った。少年院入りもできることなら回避したい。ここはあれだ。何とかこの場を和ませて春日井さんに警戒心を解いてもらうしかない。
「子供がこういった。『お母さん、アメリカって遠いの?』そしたら母親はこう答えたんだ。『黙って泳ぎなさい』ってね」
「・・・・・・」
「はい、じゃあこのボールを使って一発芸やります!」
僕は落ちていた帽子と眼鏡をボールに取り付ける。
「ヘンリー君!」
「・・・・・・」
視線が痛い!
・・・誰だよ、ヘンリーって。ああ、ダメだ。僕にボケは出来ない。助けて、さつきさん!
僕はヘンリー君を床にたたきつけた。
「いてっ!」ヘンリー君の反撃。床でバウンドし、僕の顎にアッパーを食らわせてきた。僕は馬鹿か?
ほら、春日井さんの警戒度が更に上がっちゃったよ。誰だこんなことしたやつ。僕だ!