お前はいつからそんなメイド気質になったんだ。 3
「ただいま」
玄関を見ると、さっきまであった可愛らしい靴が2足なくなっていた。暗くなって帰ったんだろう。僕は両手に提げたビニール袋をダイニングテーブルの上に一度置き、二階に上がる。さつきさんは少しぶらぶらしてくると言っていた。休日出勤と残業はしない主義なのだそうなので、本当にぶらぶらしてくるのだろう。
「・・・・・・おかえり」
なんと!ここは楽園か。僕はしばし放心する。いつのまに僕の部屋にメイドが・・・・・・。
「何で僕の部屋掃除してんの?」
「・・・・・・ついで」
つむぎは僕の部屋のテーブルを片付け、掃除機をかけていた。一体何のついでで兄貴の部屋を掃除するんだ。お前はいつからそんなメイド気質になったんだ。
「ほら、今夜は耕兄がご飯作ってくれるからそのお返しに・・・」
「そうかい」つむぎは僕に似て嘘がとても下手だ。間違っても普段はそんな殊勝な考え方をするやつじゃない。しかし、嘘だと分かってもその真意を人に悟らせないのは僕と一緒か。もっとも、僕は偶然この行為が証拠隠滅であることを知っているのだが。
「お気に召すようなものは無かったろ?」僕はちょっと意地悪をする。
「え?え?なんのこと?あ、あたしまったく分からないし」すっげー早口。
「・・・・・・」
目が超高速で泳いでいる。オリンピックに出たら金メダルだろうな、あのスイマー。しかし、しらばっくれるのもここまで下手だとは・・・。まあ、素直なのはいいことか。少なくとも人に好かれる性質ではある。騙されやすいともいえるけど。
「じゃ、じゃああたしはこれで」つむぎは掃除機をもってそそくさと僕の部屋を出て行った。壊れるんじゃないかってほど勢いよくドアを閉めた。
「まあ、いっか。ラッキー」
僕は部屋を見回す。証拠隠滅なら片付けだけで済むのに掃除機までかけてしまったのは漆根家としての悲しい習性と言ったところか。ともかくもそのお陰で僕は掃除する手間が省けたわけだ。
「・・・君に似て面白い娘だな」
「うわっ!」
さつきさんがいつの間にか僕の後ろにいた。
「・・・心臓に悪いですよ」さつきさんは満面の笑みだ。どうやらこうやって後ろから僕を脅かすのが気に入ってしまったらしい。どうしよう、これからことごとく登場の度に驚かされるわけだ。
「どこから入ってきたんですか?」間違いなくドアからじゃない。少なくともドアから入ってきたら気付くはずだ。
「窓からだ。開いていたぞ、無用心だな」
泥棒だぞ、物騒だな、と僕は声を漏らした。壁の向こうで再び掃除機の音が聞こえている。それこそついででつむぎが自分の部屋の掃除を始めたのだろう。照れ隠しだな。まったく、かわいい妹だ。
「しかし、うるしねつむぎ。漆、熱、麦、か。随分と面白いな、君の家族は」
そういえばそうだ。今まで気付かなかった。ていうか普通そんなこと気にしないだろ。
「そして君の両親の名前はなんと言うのかな?」
「・・・・・・秘密です」言ったら絶対がっかりするから。母さんは入籍した立場だから別に構わないとして、父さんは和史だからな。ねか、ってなんだ、ずし、ってなんだ、って話になる。いや、後者は図誌とか厨子とかあるけど・・・。
話をそらすために僕は部屋を飛び出し、キッチンに立った。またまた男子高校生には不必要なスキルだが、漆根家の性質として僕ら兄妹は料理が上手い。ここ最近はお互いがお互いを高めあってるといってもいい。切磋琢磨しあっている。少なくとも僕はそのつもりだ。もしかしたら、本当にもしかしたらつむぎは僕をけなしてるだけかもしれないけど。いやいや、まさかそんなことはあるまい。
「この大根、形にばらつきがあるね。それにお出汁もちゃんととらなかったでしょ。あとサバ少し煮過ぎね。お父さんとお母さんも後で食べるんだから、加熱したらふにゃふにゃになっちゃうじゃない」
「・・・・・・はい、すいません」妹が一通りの料理に手をつけるまで箸を取ることもない僕。僕はあれか、妹に弟子入りでもしているのか。いやしかしこういう立場になったのはしばらく手伝わなかった僕にも責任があるわけで、受け入れるべきなんだろうけど。ただ、なんていうか、こう・・・みじめだ。
「美味い、これはなかなかだぞ。やれば出来るではないか、耕太」
「・・・ああ、幸せ」
つむぎが部屋に戻ったことを確認して呼んださつきさんはうってかわって僕を褒めてくれる。そうだ、例え実の妹にボロクソ言われたって僕にはさつきさんの褒め言葉だけで十分なんだ。・・・なんて考える僕に向上は望めないだろうな。
感想を聞いて天に昇り、僕も食事を再開する。美味い、実に美味いぞ。やっぱり嬉しさは何にも勝るおかずだ。
「ただ1つ2つ言わせてもらうと、出汁のとり方がまだまだ甘い。あとサバは煮付けすぎだぞ。もっとも妹のために作ったというのならちょうどよかったのかもしれないが」
「・・・・・・精進します」
ちぇっ、同じこと言われた。ちなみに料理において「僕はこれくらいが好きなんだよ」という論理を使ってはいけない。料理というのはあくまで食べてくれる人のことを考えるべきなのだ。というわけで素直に反省する僕。その反省が生かされるのはいつになるのかわからないけど。
僕はたとえ日曜といえども惰眠を貪るのが嫌いだ。ぼーっとするのは好きだが、同じ無意識でも寝て過ごすのは少しいやだ。というわけで目覚ましを7時にセットする。果たしてこいつの寿命は明日僕が止めるまで持ってくれるのか。「10メートル上から落としても大丈夫です」という店員の言を信じるとしよう。しかしなんだ、その耐久性。こいつには念能力でもこもっているのか?そしてなぜある、そんなニーズ。なんだが存在しているだけで突っ込みどころだらけだな。さてはこいつ、さつきさんの回し者―――
「そんなわけないだろう。さあ、眠い。電気を消せ」さつきさんはベッドの上でごろごろしている。しかもパジャマ姿。そそるなあ、なんていったらまた鉄拳だけど。・・・って、あれ?
「そのパジャマどうしたんですか?そういえば普段着も変わってましたよね」えらくサイズがあっていない。丈は短すぎるし、パジャマにしてはぴっちりしている。
「ん?ああ。・・・まあ、私にもその程度の当てはあるんだ。気にするな」
まあ、さつきさんがそういうなら本当に当てがあるのだろう。しかしなんだろう、どこかで見たことあるような服だな。よくよく考えれば昼間の服も見たことあるような気がする。
「き、気のせいだろう。そ、そんなことはどうでもいい、寝るぞ」さつきさんは早口で言う。僕は大して気に留めず(実際そんなに興味あることじゃない)、電気を消した。
「おやすみなさい」僕は昼間散々寝た布団にもぐりこむ。
しかし、寝つきのいい僕でも流石に昼間あれだけ寝れば寝にくくもなる。10分くらい経って、一度身体を起こした。カーテンが微妙に開いていたのが気になってちゃんと閉めた。ドアの向こうで足音がする。このゆっくり歩く感じは父さんだな。風呂上りだろうか。
「さつきさん」期待せず声をかけてみたが、さつきさんはやはりもう眠っていた。かすかな寝息が聞こえる。まるで生きているように。彼女がいるところはちゃんと布団が盛り上がっている。触れれば体温も感じる。それでも彼女はここにはいない。カーテンを開けて電気をつければガラスにもちゃんと映っている。少なくとも僕には見えている。だけど本当は彼女の姿はそこにはない。
さつきさんは寝返りを打った。寝る際も縛ったりしない長い黒髪が顔にかかっていて、某ホラー映画の○子さんみたいだったが、全く怖くはない。僕はその髪に触れ、少しのけて彼女の顔を見た。好きな人の寝顔を見る。彼女は幸せそうに眠っている。それだけで僕も幸せだ。でも、彼女の心の隙間は埋まらない。どこかにいる探し人を見つけるまで彼女の心が晴れ渡る日は無いのだろう。そしてそのとき、多分彼女はいなくなってしまう。僕の心には雨が降るかもしれない。それでも僕は。
「あなたの力になりたい。あなたに幸せになって欲しい」僕は呟く。さつきさんの顔を見つめたまま、決意をちゃんと言葉にした。
「・・・う・・・ん・・・。私の寝込みを襲ったら殺すぞ、耕太」
「・・・・・・ですか」
それが僕の決意に対するさつきさんの返事だった。