お前はいつからそんなメイド気質になったんだ。 2
しばらくして、ふと気付いた。
「ええ~、マジそれありえなくない!?」
壁一枚挟んで聞こえる女子中学生の和気藹々とした話声。会話内容までは聞き取れないが、とりあえず盛り上がりだけは伝わってくる。
「どうした、耕太?」雑誌から顔を上げ、さつきさんは怪訝そうに僕を見た。僕はなんでもないです、と首を振る。
「ええ~~、ウソ~~」
壁一枚だけでこうも空気が違うものだろうか。しかし、なんだろう、この盗み聞きしているような気分。あれだ、夏の海で水着姿の女の子に目が行ってしまう罪悪感。ただし、この場合は受信拒否ができない上に僕はまったく悪くはない、という条件付き。罪悪感を感じてしまうのは僕が律儀すぎるだろうか。
「僕ちょっと出てきます、さつきさんはどうしますか?」
「ん?なんだ、家出か?家出はいいな。なんというかこう、自分の無力さを鮮明に思い描けるというか・・・。しかし、家出から戻ってくる時の気まずさったらないぞ。しかも家族はまったく自分のことなんか気にかけなかったときなんてもう。む、耕太の場合家族が家出したこと自体に気付かないかも―――」
「違いますから」長い。なんて長いんだ。この人は勘違いからの派生だけで本が書けるんじゃないだろうか。しかしよしなしごとを言葉にするというのもある意味才能かもしれない。吉田兼行に匹敵できる。
「とにかく、今日家から出てないんで、ちょっと散歩してきます」
「あははっ。引きこもりの耕太が『今日家から出てない』とは傑作だ」
「・・・・・・泣きますよ」重く傷ついた。さつきさんの中では僕は引きこもりの分類だったのか。本気で家に帰るのやめようかな。
「私はいい。今夏の特集に目を通しているんだ。」
「・・・・・・」
あんたのほうが引きこもりじゃないか、という言葉をぐっと、ぐぐっと飲み込む。
とにかくも僕は部屋を出て(服はさっき着替えた。さつきさんがいたので風呂場で)、階段を下りようとした足をぴたりと止めた。数秒考え、つむぎの部屋をノックする。なぜか、和気藹々と続いていた声が止まった。
「散歩ついでに夕飯の買いだし行ってくるよ、何がいい?」
つむぎはドアを開け、上目遣いに僕を見た。もちろん上目遣いだ。睨んでる訳じゃない。
「・・・別にいいよ、寝てれば?」
つむぎの部屋にいる友達2人はじっと僕のことを見ていた。顔半面の筋肉が少し吊りあがっていて、汚いものを見ているようにも見える。しかし、この家に汚いものはほとんど無いのでデフォルトでこういう顔なのだろう。言及するのはよそう。そもそも人の顔に付いて描写するのはあまり上品なことじゃない。
「そういうなよ。ここんとこずっと任せっきりだったから今日は僕が作るよ」
「・・・別にいいよ、寝てれば?」後ろで友達2人が爆笑した。何で?もしかしたら一定時間ごとに笑わなければ死んでしまう病なのだろうか。災難だなあ。これも言及するのはよそう。
「僕だってたまには進んで働いてみたりもするさ。特に今日はずっと寝てたからな」
「・・・別にいいよ、寝てらば?」
「・・・・・・」「・・・・・・」
かんでしまったよ、つむぎさん。声を上げて笑う二人と少し赤面するつむぎ。僕らは少し見つめ合って、唐突につむぎはドアを閉めた。締めきる前に小さな声で「魚」と言った。
「ふう、やれやれ」
ドアが閉まった後も笑いの波は消えていなかった。僕は構わず家を出る。
僕は歩くのが好きだ。走るのは嫌いじゃないけど進んでやろうとは思わない。自転車にいたっては自分のものなんて持ってない。特に必要が無いからだ。駅も学校も近い上に、結構な田舎なのでほかに行くべきところもない。必要な時は家族共有の自転車を使う。そう考えるとなんか消去法的な感じになったが、歩くのは好きだ。ゆったりと流れる風景は僕に焦りを忘れさせる。16歳でこんなことを言ってる僕は怠け者に見えるのだろうか。それならそれでいい。卒業後の進路は「仙人」とでもしておこうかな。まず間違いなくムリだけど。ていうかそんなこと口走ったらそろそろ病院が僕を待っているかもしれない。
コンビニは近くにあるのだが、生憎コンビニに魚は売っていないので、歩いて15分ほどのスーパーに行く。それこそ普段は自転車で行くような場所だが、僕はわざわざ歩いていた。特に考えがあるわけじゃなく、ぼーっとしたかったからだ。僕の人生はぼーっとしている時間の比重が大きい。常人の数倍はある。別に自慢する事じゃないけど。最近、というかここ2,3日はぼーっとしてる暇が無かったので、いい機会だった。
スーパーから出てきた僕の両手にはサバやらレタスやらニンジンやら風呂の洗剤やらおよそ高校生とは相容れないものがあった。調子に乗って買いすぎてしまったが、別に構わないだろう。サバも焼く場合はだいたい1人一切れだが、煮付けるのは一度に沢山やっても全然不自然じゃない。というのもさつきさんの分まで何とかしなくちゃいけないからだ。今後つむぎが焼き魚を作る場合はどうしようか。
「・・・いっそのことふりかけでよしにしてもらおうか」
「だからそれはダメだ!」
「うわっ!!」僕は飛びのいた。横1メートルくらい。反復横とびだったら新記録が出せそうなくらい素早く。
「いつからいたんですか?」
「君がぼーっとしながらスーパーに向かって歩いているところからかな」
「・・・・・・」ものの見事に最初からじゃん。なぜ気付かなかった、僕。
「来ないんじゃなかったんですか?」僕が歩き始めると、さつきさんも僕に並んで歩いた。荷物が重い。それでも手持ちぶたさじゃないんですか、とは言わない。紳士ですから。
「うむ、あの雑誌最後のほうは全部写真だったからな。パラパラっとめくって終わりだ。それに耕太の妹達が入ってきて部屋の中を物色し始めたから何となくいづらくてな」
「まじっスか!?」僕は声を張り上げた。妹よ、何が狙いだ。
「ベッドの下とか探ってたな。あと本棚の奥とかもチェックしてた」
「・・・・・・」
絶対エロ本探してんじゃん。きっと僕の痴態をさらすつもりだったのだろう。絶対つむぎの発案じゃないだろうけど。それくらいには僕は妹のことを信じている。しかし残念だったな!もうそんなものはどこにもない。昨日の僕とは違うのだ。
「今は大したものないから別にいいですよ。ちゃんと片付けといてくれれば」僕は大人だ。
「ああ、そうだな。君には昨日捨てた雑誌以外面白いものが何も無いからな」
「・・・・・・」
ひどい言われようだ。エロ本が僕のアイデンティティという事だろうか。今から海に行けば海岸に流れ着いてないかな。
「ああ、そういえば、今日は日課無いんですか?」僕は尋ねる。風邪引いてうやむやになってるけど、僕も手伝うといった手前、そのまま流すことは出来ない。
「にっか?にっか、ニッカ・・・え~~と・・・・・・」
「・・・・・・」あれ?僕の夢だった?だとしたら悪いこと聞いちゃったな。
「ああ、思い出した、日課か!探し人のことか!」
「『ああ』ってなんだよ!昨日『私にはそれしかないから』とか言ってたのはどこの苅谷さつきだっ!」流石の僕もタメ口で突っ込みたくもなる。あれだ、ルフィで言うとワ○ピースを捜すって言う目的も無く航海してる感じだ。多分読者の中には忘れてる人もいるだろうけど・・・。大事だぞ、目標。
「・・・・・・あれは、週休二日制だから今日は休みだ」
「仕事なのか!?義務なのか!?」僕のリミッター外れっぱなし。
「まあ、待て待て。過重労働は危険だ。ワーカホリックにでもなったらどうする。隣で働いてる人まで働かなきゃ、って気にさせるんだぞ」
「幽霊のあなたを誰が意識するんですかっ!」
「・・・・・・あ、傷ついた」
「すいません」しゅんとするさつきさんと素直に謝る僕。
「・・・・・・ぷっ」さつきさんは噴き出し、僕も笑った。
「さあ、帰りましょうか」夕焼け。そういえばさつきさんとの記憶は夕方が多いな、などと考えたりした。
「うむ、少々小腹が空いた」
「・・・・・・」
さっき食べたばっかりじゃん。まったく、どんだけ食べるんだろう。太らないか心配だ。
・・・改めて考えてみると、客観的に見て、僕は1人で突っ込み、1人で怒鳴り、誰もいない空間に向かって謝っていた訳だ。人・・・いなかったよ、な?