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ざまぁみろってされちゃった

掲載日:2026/09/26

ざまぁみろってされちゃった


「ざまぁみろって、思われているんだろうな」


リリアンは壇上に立ったまま、大広間を見渡した。百人を超える来賓の誰も、こちらを見ていないふりをしてくれない。神父が式次第を閉じると、厚い羊皮紙の擦れる音が、静まり返った広間の奥まで届いた。


壇上には、金糸で縁取られた白い敷布が一枚だけ残っている。そこには三分前まで、深緑のビロードを張った椅子があった。セシリア・クローデルが自分で誂えた、婚約する二人のための椅子だ。椅子を運び去ったあとの床には、四本の脚が隠していた埃が、短い線になって残っていた。


リリアンはそこに座るつもりだった。今朝、兄のユリウスに「少し立ちくらみがする」と告げたときから、そうなると分かっていた。兄はいつものようにセシリアへ譲るよう命じ、セシリアはいつものように困った顔で席を立つ。今日もそのはずだった。


ところがセシリアは、椅子ごと持って帰ると言った。従僕を呼ぶまで待たず、重い背もたれに両手を掛け、壇の端まで引いていった。銀の鋲が並ぶ肘掛けを握る手は赤くなっていたが、彼女は振り返らなかった。


「セシリア、待て! 話を聞いてくれ!」


兄が彼女を追って壇を下りた。リリアンは一人、白い敷布の脇に取り残された。さっきまで胸元に添えていた手を下ろすと、絹のドレスに爪の跡がついていた。


大扉の前で、セシリアの父であるクローデル伯爵が振り向いた。神父と、式の契約書を預かる法務官を呼び寄せる。伯爵が書類を開くあいだ、兄は何度もセシリアの名を呼んだが、彼女は従僕に椅子の運び方を指示していた。


「本日の婚約披露は中止です。費用と、両家で取り決めた婚約解消時の負担については、後日、書面で協議いたします」


伯爵は法務官にそう告げた。兄が「椅子のことで大げさな」と言いかけると、伯爵は契約書から顔を上げた。


「娘は立っていればよい、とおっしゃったのは貴殿です。その場にいた方々が聞いております」


近くの席で扇が開き、すぐに閉じられた。来賓たちは小声で話し始めた。婚約がなくなれば、クローデル家が仲介していた羊毛の取引はどうなるのか。セシリアが手伝っていた侯爵家の帳簿は誰が見るのか。リリアンの耳には、自分の名前も何度か届いた。


「また妹君のためですって」


「観劇の席でも、同じことがあったそうよ」


声のしたほうを向けなかった。観劇では、セシリアが楽しみにしていた中央の席を譲らせた。冬の馬車では、暖炉に近い上座を奪った。兄に頼まれたから座ったのではない。兄が頼んでくれると知って、毎回、体調の話をしたのだ。


両親はリリアンに、無理をしなくていいと言った。熱を出すことも、階段で息が上がることもあったから、その言葉は嘘ではなかった。ただ、具合のよい日まで部屋に残されるうちに、兄の隣で庇われる時間が、家族の中でいちばん確かな自分の場所になった。セシリアが席を譲るたび、その場所が少し広くなるような気がした。


大扉が開き、秋の冷たい空気が流れ込んだ。セシリアは外套を羽織り、父とともに広間を出ていく。従僕たちが深緑の椅子を運び出したあと、扉はゆっくり閉まった。


「リリアン、降りてこい!」


兄が壇の下から怒鳴った。リリアンは敷布を踏まないよう端を回り、一段ずつ下りた。履き慣れない靴で足首をひねり、思わず手すりを掴む。兄は先に控室へ歩いていき、振り返らなかった。


控室の卓上には、セシリアが昨夜届けた式の段取り表が置かれていた。来賓の到着時刻、馬車の待機場所、給仕の人数まで、細い字で書き込まれている。端には、兄が置いた葡萄酒の杯の丸い染みがついていた。


兄はその紙を引き寄せ、乱暴にめくった。


「明日の納税申告も、あの女が清書する予定だったんだ。父上に何と説明すればいい。お前が具合が悪いなどと言い出すから、こんなことになった」


リリアンは卓の向こうに立ったまま、兄を見た。式が始まる前、兄は自分からセシリアの椅子を指さした。リリアンの肩を抱き、「妹を立たせておけない」と来賓にも聞こえる声で言った。その手の温かさが、まだ肩に残っている。


「席を譲るよう言ったのは、お兄様よ」


「お前のためだろう。今さら僕のせいにするな」


兄は染みのついた段取り表を机に投げた。リリアンは言い返そうとして、口を閉じた。観劇の夜も、馬車に乗った朝も、自分は兄を止めなかった。今日だって、セシリアが席を譲るところを見たかった。


「私も、欲しがったわ」


兄が眉をひそめる。リリアンはドレスの胸元に残った爪の跡を指で伸ばしたが、皺は消えなかった。


「私が立ちくらみの話をしたのは、あの席に座りたかったから。お兄様に庇ってもらえば、セシリア様が退くと分かっていた」


「だったら、お前から父上に――」


「話すわ。お兄様が何を言ったかも、私が何を望んだかも、両方」


兄は舌打ちして扉へ向かった。廊下の向こうから、父の足音と呼ぶ声が聞こえる。兄は出ていく前に一度だけ振り返ったが、リリアンの手を取ることはなかった。


父との話し合いは、日が落ちるまで続いた。クローデル家への支払いは、式の費用を確認してから法務官を通じて決めるという。羊毛取引の継続も、伯爵から返事をもらうまでは見込めない。兄は、妹の体調を案じただけだと繰り返した。


リリアンは父の前で、席が欲しくて体調の話を持ち出したと告げた。父はすぐには答えず、卓の上の請求書を揃え直した。紙の角が何度もずれ、そのたびに指で押し直していた。


「お前の持参金を使えば済む話ではない。額もまだ決まっていない」


「分かっています。それでも、私の分として出せるものは出したいのです」


父はリリアンを見た。病人だから休ませてほしいと頼めば、話し合いから外してくれたかもしれない。リリアンは足首の痛むほうの足を少し後ろへ引き、椅子の背には触れずに立っていた。


「あとで、口座の明細を見せてください。何を支払えるか、自分でも確かめます」


父は返事の代わりに、帳簿を一冊差し出した。セシリアが確認していた支払いの記録だった。リリアンには、欄の名前は読めても、数字が何を指すのか分からない。父もそれを見て取ったらしく、ため息をついた。


「明日、家令に教わりなさい」


部屋へ戻ると、専属の侍女アンナが濡らした布巾を持って待っていた。鏡には、桜色のドレスを着たまま、頬紅の落ちた顔が映っている。リリアンは髪飾りを外そうとして、真珠を留めたピンを一本、床に落とした。


「アンナ、このドレスを脱がせて。明日は家令に帳簿を教わるの」


アンナはピンを拾い、化粧台に置いた。背中の紐を解く手はいつもどおり丁寧だったが、いつものように「お休みになればよろしいのに」とは言わなかった。絹の重みが肩から落ちると、リリアンは昼からほとんど水を飲んでいないことに気づいた。


翌朝、家令はまず、支払いを済ませた欄と、まだ済ませていない欄の違いを教えた。リリアンは二度書き間違え、三度目には数字を一つ飛ばした。家令は消した跡の残る紙を脇へ寄せ、新しい紙を一枚渡した。


昼前に休憩を取ったとき、リリアンは誰もいない大広間を通った。花飾りは片づけられ、壇上の白い敷布も畳まれている。椅子の脚があった場所だけ、埃を拭った四つの跡が床板に残っていた。


そこにセシリアの椅子はない。リリアンが座れる椅子も、もう用意されていない。彼女は跡を見てから書斎へ戻り、家令が渡した新しい紙を机に広げた。


書斎の椅子は硬く、長く座ると足首が痛んだ。リリアンは足の位置を変え、帳簿の最初の行に日付を書いた。自分の持参金がいくらあるのかも、式の清算にいくら必要なのかも、まだ知らない。だからまず、その数字を間違えずに写すことにした。



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