わたくしの嘘はすべてを諦めた証でしたが
貴族の家に生まれたルーナリアは、小さな頃から嘘を吐いて生きてきた。
「ルーナリア様、今度貴女の家に遊びに行きたいですわ。次の祝日はいかがでして?」
学友からそう言われれば、
「あいにく、次の祝日は予定が立て込んでいるのです。申し訳ありませんわ」
どれだけ暇でも、にこやかにそう返したし、
「今回の試験は自信がないですわ。ルーナリア様はいかがでしたの?」
「わたくしも自信がないですわ。わたくしたち、仲間ですわね」
「貴女は魅力的な人だ。どうか、私の願いを聞き入れてくれないだろうか」
「ありがたく存じます。ですが、わたくしには想い人がおります故」
という様子で、ルーナリアの学園生活は嘘で塗り固められていた。
その試験ではルーナリアが学年で一番だったし、ルーナリアに心を寄せる相手ができたこともない。
それでも、ルーナリアは嘘を吐く。その嘘で円滑に物事が進むことを知っていたし、嘘を吐かずにはいられなかったから。
ルーナリアは息をするように嘘を吐いた。しかし、ほとんどの人はルーナリアが嘘をついていることに気付かなかった。
ルーナリアは嘘を吐くのが上手だったからだ。
ルーナリアの周りでは、母も、父も、使用人でさえも本当のことを話さなかった。たとえそれが、見え透いた嘘であっても。
母はあるとき言った。
『ルーナリアが一番大切よ。どんなことがあっても貴女を一番に守るわ』
父は何気なく言った。
『母さんはいい人だよな。流石、俺が好きなたった一人の人だ』
使用人は事あるごとに言った。
『ルーナリア姫はたくさんの方に愛されていますね。それも、ご両親から受け継いだ美貌とお優しい性格のおかげですよ』
その後起こった、領地全体を揺るがす竜害。
中央部にあった城や民家が崩れ、赤竜による火で消し炭になった。最終的な被害者の数は、把握できないほどだ。
ルーナリアも例に漏れず、崩れた城の壁に挟まれ、足を固定された。どうにか助かろうとじたばたする。そんなとき、ルーナリアの目に奇跡的に動ける状態にあった母の姿が映った。
『お母様、助けて! お母様──!』
必死なルーナリアを母が一瞥した。息を呑むほど冷たい瞳だ。ルーナリアは思わず息を呑んだ。
『誰が貴女なんか助けると思って? 醜い娼婦の子が、図々しいにも程があるわ』
吐き捨てるように母は言った。
ルーナリアはその時初めて知ったのだ。
母と思っていた人は、自分に愛も情もない他人だったのだと。
それと同時に悟った。
『たった一人の好きな人』
父の言葉も、嘘だったのだと。
その後、気がついた使用人によってルーナリアは救出された。
母は、竜に掴まれて亡くなった。遺体さえ帰ってこなかった。
だが、生還したルーナリアに待ち受けていたのは、領民からの大非難だった。
──竜害は予測できたのではないか。
──お前のせいで、俺の家族は死んだんだぞ!
連日の罵声に、ルーナリアは心底疲れた。
だが、ため息を吐きながら日々の勉学をこなすルーナリアに、さらなる不幸が襲いかかる。
『領主様が領民に刺されました!』
ルーナリアの自室に、叫びながら使用人が飛び込んでくる。
医者が手を尽くしたが、父もやがて息を引き取った。
領民の不満の矛先は、両親が立て続けに亡くなったルーナリアである。孤独にその罵詈雑言を聞いていれば、嫌でも思い知らされた。
自分なんて、誰にも愛されていないのだと。
──父も母も使用人も、みんな嘘つきだったのだと。
***
貴族であるヴェーリトは、正直であることを信条にして生きてきた。
ときには、相手にひどく傷を与えることもあった。
『ねぇ、私のこと……愛してるよね?』
『いえ? 貴女など私の好みではありません。第一、親が決めただけの関係ではありませんか』
婚約者にも正直に接したが故に、婚約は解消された。
しかし、両親はむしろヴェーリトを褒め称えた。
『よくやりました、ヴェーリト。正直であることは美徳です』
その正直さは気味悪く感じられ、学園では次第に浮いた存在へとなっていった。
***
ある舞踏会。ルーナリアは憂鬱さをため息にして立っていた。
ルーナリアの周りにはいつも人がいる。話しかけてくれる仲間がいる。それが、ルーナリアにとっての重荷だった。
「あの、申し訳ありません。わたくし、お花摘みに行ってまいりますわ」
見送られ、ルーナリアはその輪を外れた。
「外の空気でも吸おうかしら」
バルコニーに出て、周りに誰もいない気楽さを楽しむ。
しばらくぼーっとしていたルーナリアに、背中から声がかかった。
「こんばんは、美しいですね」
振り向くと、見知らぬ青年が立っていた。
「あまりにも率直ですわね。まるで表面だけ凍った冬の池のように」
驚いて思わず本音を漏らしてしまう。ルーナリアのきつい物言いにも、青年はニコニコしていた。
「申し遅れました。私、ヴェーリトと申します」
「わたくしは、ルーナリアですわ」
自己紹介をして、疑問に思ったことを投げかける。
「何故出会い頭にそんな率直な物言いをしたのですか?」
「貴女があまりにも美しいからですよ、ルーナリア様」
ルーナリアはヴェーリトを大嘘つきだと思っていたが、それでもこれまで関わったことのない性格のヴェーリトと話すことは楽しかった。
二人はしばらく話していたが、ルーナリアは「お花摘みに行く」と言って抜け出したことを思い出す。
「あの、申し訳ありません。わたくし、友人を待たせているのです」
「貴女と話すのは楽しかったです。またお会いしましょう」
──「えぇ。またお話しましょう」
嘘を吐くルーナリアは、その言葉をぐっと飲み込んだ。
ヴェーリトのいるバルコニーをあとにしたルーナリアは、また会場に戻ることに幸せな夢から醒めたような落胆を感じていた。
***
ルーナリアの領地での竜害は、単なる災害とは片付けられなかった。もっと、別のところでの問題──例えば、指示や建物に問題があったのではないかという指摘が相次いだのである。
どんどんエスカレートする指摘と嫌がらせ。すべてを無視したルーナリアを断罪しようとしたのは、王子だった。
「ルーナリア、貴女が出した指示に問題があったという報告が上がっています。異議はありますか」
冷たい声で、王子が告げる。学園の生徒全員が集まる会で、ルーナリアは断罪されているのだ。
自分のしたことではない。竜害のとき、ルーナリアは何も指示していないし、指示できる立場でもなかった。それでも。
「ありません。わたくしがしたことです」
ルーナリアは嘘を吐く。円滑に進めるために。自分の身を守るために。
いつも一緒の仲間は、何も言わなかった。王子に萎縮したのか、それともルーナリアに助ける価値がないと思ったのか。
──やっと、これで、終わりだ。
「そうですか。それでは──」「ちょっと待った!」
威勢のいい声に、その場にいた全員が振り向いた。
声を上げたのは、一番うしろの席に座っていたヴェーリトだ。
「ヴェーリト、今はルーナリアのことについて話しているのです。貴方はお呼びではありませんよ」
たしなめる王子にも構わず、ヴェーリトは続けた。
「その報告にはいくつかの穴があります。一つ目は──」
ヴェーリトはすらすらと問題点を上げていく。どれもが納得できる、論理的な説明だった。
竜害が起こったときに、ルーナリアは指示系統に入っていなかったこと。
当時の指揮は、領主であるルーナリアの父に委ねられていたこと。
そもそも報告が匿名であり、信頼に値しないこと。
「──以上のことから、この報告は虚偽、または改ざんされたものだと推測……いえ、断定できます」
ヴェーリトが言い終わると、会場は静寂に包まれた。
やがて、ざわめきが広がっていく。
その中で、ルーナリアはただ呆然と立ち尽くしていた。
──どうして。
頭の中を駆け巡るのは、それだけだ。
──どうして。わたくしは受け入れて、嘘を吐いたのに。
すべてを、終わらせるつもりだったのに。
「ルーナリア」
放心状態のルーナリアを、王子が低い声で呼んだ。
「この件は再調査とする。この場は解散だ」
***
解散して、人の波が引いたあともルーナリアはその場に残っていた。
「……どうして」
背後の気配に、そう語りかける。振り向かなくとも、誰か分かるのだ。
「どうして、あのようなことをなさったのですか」
ゆっくりと振り返ると、そこには穏やかに笑みを浮かべるヴェーリトがいた。
「あのままであれば、すべてが円滑に進んだのに……!」
「円滑ではありません。貴女を犠牲にしているではありませんか」
その言葉に、ルーナリアはひゅっと息を呑んだ。
「ヴェーリト、様……? わたくし、犠牲にだなんて……」
いつも通りに笑ってみるが、どこか引きつった感覚が拭いきれない。
「貴女が貶められることを、私は望みません」
きっぱりと言い切ったヴェーリト。ルーナリアは、絶句した。
「……慣れたことですわ」
長い沈黙を破ったのは、ルーナリアだった。唇には自らを嘲るような笑みが浮かんでいる。
「嘘を吐くのも、犠牲になるのも」
「私は貴女を犠牲にしません。それどころか──」
ルーナリアは、息を止めた。ヴェーリトの口から、なんだか大切な言葉が紡がれるような気がして。
「私は、貴女のことが好きですよ」
「……っ。嘘かもしれないでしょう」
どれだけ信じたくとも、嘘で囲まれてきたルーナリアは、そう簡単には信じられないのだ。
「それでも良いです。私の言葉を、貴女が受け取ってくれるなら」
ルーナリアには、その言葉を否定するすべがなかった。
守ってくれなかった母と、守ってくれたヴェーリト。
ルーナリアは目を伏せた。再び視線を上げたとき、その顔には優しい笑みが浮かんでいた。
「わたくしは、嘘を吐きますわ。それでも良いのですか?」
「はい。それが貴女を守る嘘だと、私は知っているから」
ルーナリアはヴェーリトの手を取った。
「わたくしはこれからも、嘘を吐かなくなることはないでしょう。それでも貴方には一つ、本当のことを──」
そして、ヴェーリトに向けてにこりと微笑む。社交用の笑顔ではなく、心の底からの笑みを。
「わたくしも、貴方をお慕いしておりますわ」
エイプリルフールですね。嘘をついて良いのは午前だけそうですよ、お気をつけて。




