第5話 ゴブリンキング①
部屋に足を踏み入れた瞬間、背後で石の扉が重く閉まった。洞窟に響く鈍い音。逃げ道は消えた。暗闇だった空間に、壁の紋様が淡く光り始める。青白い光が広がり、巨大な影を浮かび上がらせた。目の前に立っていたのは、五メートルはあろうかという巨体。歪んだ大剣を引きずりながら、こちらを見下ろしている。普通のゴブリンとは比べ物にならない。存在そのものが圧だった。
「……いいね」
自然と口元が歪む。背筋が震えた。恐怖じゃない。興奮だ。
「鑑定」
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【ゴブリンキング】
Lv:8
スキル
統率 狂暴化 怪力
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視界の端にもう一つの表示が浮かぶ。
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狂乱化
CT:01:21:00
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「なるほど」
思わず笑う。
強い。しかも狂乱化はまだ使えない。
最高だ。
その横で彩乃が慌ててスマホを岩に立てかけた。
「ちょっと待ってください!カメラ固定します!」
『馬鹿逃げろ』 『逃げないのか』
それでも彩乃は言う。
「逃げながらだと配信ぐちゃぐちゃになるんで!」
スマホの角度を調整し、彩乃は深呼吸する。顔は青い。それでも槍を握り直した。
「……大丈夫です」
僕を見る。
「私だって、チュートリアルは攻略しましたし」
キングから目を離さないまま呟く。
「いいね、そういうの嫌いじゃない」
ゴブリンキングが大剣を持ち上げるだけで、空気が軋んだ。次の瞬間、巨体が地面を蹴った。床が砕け衝撃が洞窟を揺らす。速い。巨体とは思えない速度だった。
振り下ろされる大剣。彩乃は反射的に槍を構える。金属がぶつかる鈍い音。だが、それは防御じゃない。ただの遅延だ。剣が落ち、槍が折れる。
「っ——!」
彩乃の体が宙を舞い岩の床を転がり、壁に叩きつけられた。数瞬遅れて、何かが床を転がる音がする。
視線を落とす。
床に落ちていたのは腕だった。
彩乃の右腕。肩口から先が綺麗に無くなっている。数秒遅れて血が溢れた。
「う、あ……」
彩乃が息を詰まらせる。岩に立てかけられたスマホは、その光景をそのまま映していた。
『え』 『腕』 『うそだろ』 『逃げろ』
キングが唸り声を上げる。大剣を引きずりながら、ゆっくりこちらへ歩いてくる。その一歩ごとに床が軋む。洞窟の空気が重く沈んだ。
「……あはっ」
思わず笑いが漏れる。
「やばいねこれは」
背筋がぞくりと震える。強い。想像以上だ。最高だ。
「ま、待って……」
彩乃が震える声を出す。倒れたままスマホを必死に元の位置へ戻す。
「……配信は、止めません……」
『マジで死ぬぞ馬鹿!』 『仮面がいなきゃこんなことには』 『あやのん逃げろ』
一瞬だけそちらを見る。
「根性あるな」
すぐにキングへ視線を戻し。足元の石を拾う。
「でも下がってろ」
軽く石を投げ、重さを確かめる。
「ここからは邪魔だ」
ゴブリンキングが咆哮する。洞窟が震え、天井の砂が落ちた。
口元を歪める。
「じゃあ」
石を握り直す。
「やろうか」
ゴブリンキングが再び地面を踏み抜いた。洞窟の床が砕け、衝撃が空気を押し潰す。巨体が一直線に突っ込んできた。速い。僕は横へ跳ぶ。振り下ろされた大剣が岩の床を割り、破片が弾け飛ぶ。遅れて衝撃が背中を叩いた。
「あはっ」
思わず笑いが漏れる。
「いいね」
石を指で弾くと一直線に飛んだそれがキングの顔面に当たった。鈍い音。だが巨体は止まらない。唸り声を上げながら再び踏み込んでくる。
僕はさらに一歩踏み込む。振り下ろされる大剣。その軌道を紙一重で外す。剣が床を叩き割り、粉塵と破片が舞い上がる。
「ははっ」
体が軽い。全部見える。
もう一つ石を拾う。
「石投げ」
石が一直線に飛び、キングの左目にえぐりこむ。巨体がわずかに揺れる。咆哮が洞窟を震わせた。
「やっぱそこか」
僕は笑う。
背後で彩乃が息を詰まらせる。
「仮面さん……」
『頼むあやのんを助けてくれ』 『仮面さん頼む』 『嘘だろ』
キングが怒りの唸り声を上げ、大剣を振り回しながら突っ込んでくる。空気が裂け、岩が砕け、洞窟全体が震える。
「いいね」
背筋が震えた。
「これが戦闘、これこそが命のやり取りだ」
ふと、昔を思い出す。
薄暗い道場。床に転がる木刀。
そして僕は床に倒れていた。
息がでず腕も上がらない。段々と視界が歪む。
「立て」
容赦なく響く低い声。
次の瞬間、動けない僕の体に衝撃が走る。木刀だった。
「立て」
もう一度。
歯を食いしばる。体が震える。怖い。痛い。逃げたい。
それでも望んだ。
――強くなりたいと。
△◇△◇
大剣が唸りを上げ迫って来て、ようやく思考が現実へと戻る。
振り下ろされる刃。それをかわすように地面を蹴る。体をひねり、紙一重で避けた。大剣が岩の床を叩き割り、砕けた石片が弾け飛ぶ。まともに受けていれば、体ごと潰されていた。
ゴブリンキングが唸り声を上げ、怒りに歪んだ顔のまま踏み込みながら大剣を横薙ぎに振り抜いた。空気が裂けると同時にしゃがむ、刃が頭上を通り過ぎ、背後の岩壁が粉砕された。
速い。重い。だが――
見える。
そして、手を掲げる。
「水魔法」
Lv2になった水魔法に洞窟の湿った空気が引き寄せられる。掌の前に水が集まり、小さな球体を作る。圧縮された水は震えながら形を保ち、次の瞬間、弾丸のように飛び出した。
キングの顔面に直撃する。水が爆ぜ、衝撃が広がった。巨体が一歩よろめく。
「やっぱ効くな」
ゴブリンキングが咆哮する。怒りで巨体が震え、大剣を振り上げる。洞窟の空気が重く沈んだ。
それでも笑いが止まらない。
「いいね、ほら次行くぞ」
再び手を掲げる。
洞窟の湿った空気が引き寄せられ、水が掌の前で渦を巻く。小さな球体が形を作り、内側へと圧縮される。
「水魔法」
水弾が弾丸のように飛ぶ。
キングは咆哮しながら腕を振り上げた。拳が水弾を叩き潰す。水が弾け、霧のように散る。
だが、その隙は消えない。
スキルを発動し地面を蹴る。視界が一瞬だけ加速する。ゴブリン、ローウルフ、そしてダークゴブリンと佐藤を屠った切っ先を向け、キングの左目へと一直線に突っ込む。
距離が一気に詰まる。
キングが気付き唸り声を上げ、大剣を振り上げた。
だが遅い。
刃が振り下ろされるよりも早く、キングの左目に剣が深く突き刺さる。
悲鳴に近い咆哮。
洞窟が震えた。
巨体が暴れ、腕が振り回される。衝撃を避けるように地面を蹴り、距離を取る。
キングの左目にはまだ剣が突き刺さっていた。血が顔を伝い、床へと滴る。
だが次の瞬間空気が変わった。
ゴブリンキングの体が震えると、筋肉が膨れ上がり、血管が浮き上がる。悲鳴に近かった唸り声は、咆哮へと姿を変える
「狂暴化…」
つい先ほど鑑定で見たキングのステータスにあったスキル。
「狂乱化に似たスキルだと思っていたがここまでとはね」
ゴブリンキングが地面を踏み抜く。
床が爆ぜた。
次の瞬間、巨体が突っ込んでくる。
速いなんてもんじゃない、初めからそこに居たかのようにキングは迫ってくる
間に合わない、そう思った瞬間――
後ろから火の玉が飛んできた。
火球がキングの肩に直撃する。
爆ぜる音とともに炎が弾け、巨体がわずかに揺れる。
その一瞬の隙を突き地面を蹴り後ろへ跳ぶ。
直後、大剣が振り下ろされた。岩の床が砕け、衝撃が洞窟を震わせ、空気の圧で腕が軽く切れる。
砂埃の中で振り返る、彩乃だった。
壁にもたれかかり、呼吸も荒い。顔は真っ青だ。右腕は失われたまま。それでも左手には、まだ槍を握っていた。
「……まだ動けるのか」
小さく笑う。
彩乃は力なく息を吐く。
「少しだけ……ですよ……これもレベルのおかげですかね…」
僕の視線が槍へ向いていることを察したのか、少し前に出す。
その槍を掴み、軽く持ち上げる。
「すまんが、借りてくぞ」
彩乃は弱く頷いた。
砂埃を払うように背後で空気が裂けた。
そこでは狂暴化したキングが、再び大剣を振り上げていた。
槍を構え、キングを煽るように言う
「そうこなくちゃなぁ……でかぶつ!」
勝負はこれからだと言わんばかりに、狂暴化したゴブリンキングが咆哮した。




