精霊に呪われし者 3話
現状を一通り確認した俺は西方部に向かった。
街の空は晴れ渡り、人々は日々の飢えもないかのように活気づいていた。
どうやら今年は豊作の年だったらしい。河川が近いおかげでこの国には水も豊富にある。
賢王とまではいかないが王による善政が敷かれ、産業は活発化。周辺諸国との関係も問題視するほど悪くはない。
王都イシュタールはどこまでも希望に溢れていた。
そう、確かにこの時は平和だった。それが仮初めのものだなんて誰が思うのか。
まだ頭の中の混乱は収まっていないし、これから具体的にどうすればいいのかもわからない。
過去に戻ってきた。そんなことが分かっても実感などすぐに出来るわけがない。
せいぜい出来の悪い夢でも見ているかのようだ。
それにしても足が自然とこちらに向いたのはどうしてか、とふと考えて息が詰まる。
記憶が確かならば彼女が働いているパン屋は西方部にあった。
――――私はね、今日はお手伝いの日だから。
決まっている、そこにティファがいるからだ。
俺が何をすればいいのか迷っていると彼女は必ず気がついてくれた。
いつだってそうだった。彼女の手は強引のようで、それでいてこちらを気遣う優しさに満ちあふれている。
自分が知っていた姉の姿とはそういったものではなかったのだろうか?
力を入れすぎた指の先から血の気が失せていく。
情けなさに泣きたくなった。それはもう捨てた筈の思い出だったからだ。
いつの事だっただろうか。正確には覚えていない。
欠片ほどの魔力と引き替えにしたのか、それとも戦地で一時のチャンスを得るために使ったのか。もしくは防刃の加護の代わりだったか。
”心の支えを代価に差し出す”
その呪いから逃れた今ならはっきりとその過去を思い返すことが出来る。
太陽を背に、金色の短髪を揺らしてこちらをまっすぐ見つめてくるティファ。
その顔を見て自然と力が抜けた。
「泣かないで、アルスくん」
「…………っく……ぅ……ぅぅ」
「だって、アルスくんが泣くと私も悲しいよ」
言葉に頷きを返す子供の自分。
彼女は背伸びをしてこちらの頭に手を伸ばしてくれる。
「元気だして」
「……っ……うん……」
「もっと甘えていいんだよ」
「…………うん」
涙で滲んだ視界の先で、彼女が胸を張っていた。
私がここにいるんだからアルスくんは大丈夫だよ、と。
根拠もなにもない筈のその言葉はいつだって暖かさをくれる。
「だって私はアルスくんのお姉ちゃんなんだから」
彼女は「アルスくん」と自分の頭を撫でて笑ってくれる。
泣きつくことに抵抗なんてあるわけがなかった。
彼女は自分にとって一番の理解者だった。自分の格好悪さも打たれ弱さも何もかもを知っている。
それが姉というもので、自分にとってのティファねえちゃんだった。
忘れていた、と半ば呆れたように息を吐く。
過去と今現在までの膨大な時間を考え、自分は成長した気になっていたのだ。
まぎれもなく彼女は自分の姉なのだ。両親を知らない自分にとって一番近い存在だった。
時間とか、場所とかは関係なく彼女の前にいると自分は”弟”なのだ。
彼女の顔を見ると落ち着く、ということは俺という人間に深く刻まれた条件反射にも似た習性だった。
ようするに彼女の顔を見て落ち着こうと無意識にでも俺は考えたのだろう。
もはや苦笑いしか浮かばない。
これで彼女が姉だと主張しているのを頭ごなしに否定することができなくなった。
「はは、は…………さすがだよ、ティファねえちゃん」
額を指でかきながら、仄暗い裏路地だらけの街を暫く進むと、大きな通りに出た。
途端、賑やかな喧騒や物売りの大声がこの身を迎えてくれる。
「……ぉ、っと」
両端には何を売るとも知れぬ店が幾つも建ち並ぶ。
鉄を打つ甲高い槌音に紛れた笑い声。客が立ち並ぶその先には工房と大きな店。
灰に煤けた看板には剣をモチーフにした凝った意匠が書かれていた。
石畳が敷かれたその大通りは人が馬車が二台すれ違えるほどには大きい。
活気が熱気を呼び、人が増えていく。
――――頭の中にイメージが浮かぶ。
あれは王都一番の武器屋だ。
いつだったか王に献上した剣はそれはもう立派なもんだった。
髭面のおっさんがやっている果物屋。
並べられているのは何処から運ばれてきたのかも知れない様々な色、形をした果物。
貧民街の子供達と遊んだ時にあの店から何回か果物をくすねたことがある。
あそこの林檎は噛みついた所から果汁が溢れてきた。
薄汚れた飲み屋の看板の下からは真っ昼間にも関わらず吟遊詩人の歌声が聞こえてくる。
あの中ではきっと身を持てあました傭兵や冒険者の類が飲んだくれているのだろう。
猥雑としか言えない場所だった。それが懐かしかった。
歩くたびに記憶が戻ってくる。
戻ってきたのだ、という確かな実感が足を前へ前へと進ませる。
「アルス?アルスか!」
横からかかってきた明るい声に振り向いた。
ボロ布を素肌に着込んだだけのような姿汚れた風姿が目に飛び込んでくる。
赤茶けた袖のない肌着と膝の辺りで切りつめられたズボン。栗色の長いストレートヘアの下で大きな瞳がその元気さを見せるかのように輝いている。
まるで少年とも見まがうかのような声とは裏腹に体に傷はあれど磨けば光る少女だ。
人なつっこい笑みと、さばさばした性格がどこか蒲公英を思い起こさせる。貧民街に住む子供に幾人も知り合いはいるが、これだけ元気な人物は他にはいない。
一回、それこそ人生を終える所まで行ってみたからこそわかる。
彼女は他に類を見ない変わり者だと。
貧民街でドブネズミとも揶揄される生き方をしながらもここまで生き生きと輝けるのは彼女だけだった。
肩に乗せられた手を軽く叩きながら言う。
「そんな大声で言わなくても聞こえてるよ」
「どうしたんだよ、随分と久しぶりじゃないか!貧民街に顔を見せるのは嫌になったか?ええ?」
弾けるような笑顔を浮かべながらも身をすり寄せてくる。
まったく質が悪い。出会うそうそう手はこちらの懐の中身を抜き取ろうとしていた。
珍しいことじゃない。奇妙なことだが出会いが出会いだけにこれが自分たちの挨拶代わりになっていた。
財布にかかった彼女の指を軽く払う。
「貧民街にあまり出入りするなってマリーさんに怒られたんだよ」
咄嗟に浮かんだ嘘はそれほど悪くないように思えた。
ごめんな、と付け足しながらも鼻を摘んでぐりぐりと揺すってやる。
「いた、いたたっ、久しぶりに会ったってのにこの扱いかよっ」
「…………ほんと久しぶりだな、アニタ」
仲が良いのやら悪いのやら、と自然と笑い飛ばしたい気持ちが沸き上がってきた。
彼女も自分にとって二度と会えない筈の友人であった。
そして、返しきれない借りをつくってしまった人物でもある。
彼女がことある事に自分の世話を焼いてくれていたのは自分のことを憎からず思ってくれていたからだと気がついたのは随分後の話だ。
それほどまでに自分は子供だった。アニタも。子供同士の恋愛模様ほど端から見てバレバレなものはない。
今だってそうだ、こうして照れて頬に赤みが刺した顔は随分と微笑ましいものだ。
望みのない思慕を向けてくれていた彼女には他人事のように同情さえ感じる。いい女なのに人を見る目がない阿呆だ。
いや、惚れた張ったに興味の欠片もなかった子供時代の自分こそが真性の阿呆か。
「なんだよそのなま暖かい目」
「さぁな」
「お前、私を馬鹿にしてるだろ?」
「そんなことはない、それよりも西方部に顔を出すなんて珍しい……よな?今日はいったいどうしたんだ?」
「まぁいいや。いやさ、今さっき奴隷商が女を逃がしたらしくてさ」
アニタは先程まで俺が摘んでた鼻を擦りながら、手に持っていた手配書を差し出した。
簡単な似顔絵と金額が載っている。相当な金額だ。
「どこかの貴族の抱え込み奴隷か?」
「その直前だな、屋敷に運ばれる寸前にロープを断ち切って逃げたらしい」
こっち方面にな、と呟くアニタを横目で見た。
彼女は盗人まがいのことをやっている。準冒険者と言い変えてもいい。
貧民街なんて生まれにも関わらず、春をひさぐこともなく生きていけるのはそっちの才能があるからだ。
「俺は見なかったぜ」
「そうか、丁度いいや、手伝ってくれよ」
暫し考えてから、頷いた。
目の前に広がる情景は自分にとって過去のものだ。
こうして王都イシュタールを歩いてみてもいまだ思い出せないことも多々ある。
その点、アニタは信用出来る人物だった。少々の荒事もなんなく切り抜けてみせるだろう。
これからどうするのか。
彼女についていって過去の自分を少しずつ取り戻していくのが上策に思える。
一息だけ嘆息し、前を行く彼女の背中を追った。




