精霊に呪われし者 2話
孤児院の朝は騒がしい。
呆然としている間にも「起きろー!」という叫びがあちこちで聞こえてくる。
年長の子供が年少の子供を起こしているようだ。
それは、ここではいつも見られる当たり前の光景だ。
孤児院に入った時にまず基本的に年長と年少の二人一組のグループが自然と作られる。
寝食を共にし、互いを助け合う相互関係の二人組。
これはできるだけマリーさんに世話をかけないように、ということで決まっている子供達だけでの取り決めだ。
このグループはよっぽどのことがない限り変えられることはない。
そして――、
「珍しくアルスくんが行儀いいねぇ」
こうして隣で朝食を取っているティファが自分のパートナーだった。
それはいいのだが、その……、朝から顔洗えだの、歯磨きしろだの、着替えろだの。
言われるだけならいいのだが彼女はそれを実行する。
洗面所ではゴシゴシと遠慮無く顔を擦られて恥ずかしいやら何やら。
果てはトイレまでついてこようとするのだからたまったものではない。
「ティファは口の周りに蜜がついてるぞ」
「ん、むー」
ペロリ、と口を舌で拭う彼女は何故か不満そうだ。
「…………どうした?」
「ねえちゃん」
「は?」
「ティファねえちゃん、だよ」
「…………」
「ちゃんと”ねえちゃん”をつけてよ」
不機嫌そうにいう彼女。
たかが一つの歳の差なのにそこには明確な壁がある。
確かに子供の時の一つの差はとても大きかったように思えた。
思い出せる彼女の背中はいつも頼れるもので、自分はそれに甘えてばかりいた。
血の繋がりも何もなかったが彼女は確かに自分の姉をやってくれていた。
子供時代の自分が気が弱かったのも手伝ってかそれは別れるその日までいつまでも続いた。
もしかしたら彼女は自分の面倒を見るのを生き甲斐としていたのかもしれない。
でも、だが――。
「…………ちょっと、なぁ……」
今の俺は体は子供なれど精神は20をとうに超えたいい大人だ。
10代半ばに届くか届かないかの少女に”ねえちゃん”というのもどうかと思う。
「早く、言って」
「……ティファ……ちゃん」
「ダメ」
即座に却下された。
ダメらしい。
「…………ティファねえちゃん」
「うん!」
嬉しそうに、まるで向日葵の様に笑う彼女。
――――眩しかった。
その笑みに気がつかされる。
俺の知っている彼女はそんな風に笑っていたのか、と。
もう、その記憶は随分と朧気で思い出すのも難しい。
それは俺が戦場で戦っていくうちに落としていったものの一つだった。
記憶、思い出。
それは力の代価に精霊に差し出していったもの。
「私はね、今日はお手伝いの日だから」
それは一度は切り捨てた筈のものなのに。
どうして今になって俺の元に返ってくるのだろうか。
あの時に差し出した。
その覚悟だけは本物だと信じていた―――いや、今でも信じている。
それなのに、
「ロイさん所、ほらいつものパン屋さん、そこにお手伝いに行ってるから」
どうして、それは。
こんなにも胸を締め付けるのだろうか。
「ここを出てもいいけど……ねぇ、聞いてる?」
「……聞いてる」
ティファの心配する声が暖かかった。
だからこそ怖かった。
その暖かさを捨てた自分が間違いだったんじゃないだろうかと疑ってしまいそうだった。
それだけはやってはいけないことだった。
覚悟も、決心も、流した血と奪った命の全てが嘘になってしまう。
なんとなくばつが悪くて。
まともに顔を見られずに目を逸らして頷いた。
いかつい衛兵が目の前を通り過ぎる。
街のメインストリートから外れ、十字路を何度か曲がった結果、人が一人通れるほどの細い道に入る。
念のために誰かが後を付けていないことを数回確認して息を吐く。
やっと一人になれた。
ここ、王都イシュタールは城を中心に置く巨大な円形の街だ。
街の全周を高い塀で囲み、唯一、四方にある門だけが外と街を繋ぐ通路となっている。
孤児院があるのは南方部の裏通りに面した場所だ。
お世辞にも治安が良いとは言えないが悪いとも言いきれない中途半端な地域。
だが、この場所には権力者が住む北方部や冒険者が多い西方部とはまた違った味がある。
それは裏道の多さだ。
複数に枝分かれした道は住み慣れた連中でも時々迷うほどだ。
それが犯罪者まがいの者がここによく住み着く理由でもある。
「これはいったいなんの冗談だ、クソ精霊……」
小さく呟いたその言葉にすぐに答えがあった。
「ソウ機嫌悪クスンナッテ宿主ヨ、別ニ俺ノセイッテワケジャネーンダカラ」
いつの間にか俺の右肩で炎がユラユラと揺れていた。
やはり姿が見えなくなっていたのは魔力を持つ子供に見られないように姿を消していたからか。
付き合いも長くなると分かるのだがこいつは妙な所で律儀だ。
わかっていた。
こいつは完全に俺の味方ではないけど決して、敵ではない。
「……わかっているさ」
回避できなかった魔術。
本物の”死”を目の前にした奇妙な諦観。
走馬燈なんて洒落たものは見ることが出来なかったがその瞬間はしっかりと記憶に残っている。
目の前の女魔術師が放った”聖別”
体を染めていく白亜の光。
細胞の一つ一つが浄化の光に溶かされていく感覚。
痛みはなく、ただ衝撃だけが体を包んだ。
「……あの時に俺は確かに”死んだ”筈だ」
「アア、俺モ見タゼ、相棒ノ体ハ隅カラ隅マデ全テ塵ニナッタゼ」
「それじゃあ、……なにか、やっぱりここが”死後”なのか?」
「オイオイ、俺ノ元ニ宿主ノ魂ハ来テナイゼ」
心外だ、と言わんばかりに揺らぐ炎。
うぜぇ。
「だからってどうして”過去”なんだ!?」
「……タブンナ」
と、何故か言葉を切った。
いつも明け透けに言葉を使うこの精霊が言い淀むとは珍しい。
魚の小骨が喉に引っかかったような煩わしさ、気味の悪さすら感じる。
真正面から視線を向けて先を促す。
パチッ、とマナの残滓が火の粉のように弾けた。
「アレダ、決戦前夜ニ渡サレタダロ”腕輪”」
「……腕輪?」
そう聞いてまず思い出したのは女の顔だった。
顔立ちは恐ろしいほど整っていて、それこそ絶世の美女ともいえる彼女。
思い出すだけで今にも怖気が立つ。
その女の体から無意識に立ち上っていく青白色の糸は視認できるほど濃い魔力の塊。
寒気がする。鳥肌が立つ。胸に吸い込む空気すら重く感じる。
そいつを目の前にする度に恐ろしさに身が竦む。
『来たか』
『……来たか、って呼んだのは誰だっつーんだ』
口では軽口を叩きながらも既に逃げたくなっていた俺を誰が攻められようか?
まるで、匂い立つような魔力の濃さ。
マナという魔術の根元をまるでスプーンでも扱うかのように使うな気軽さで操ってみせるその様には驚きを通り越して呆れすら覚える。
そして納得する。今、確かに目の前にいるこの化け物が”魔王”なのだと。
手の震えを見せぬように無理矢理握りつぶした。
『面白いものを手に入れたからやる、付けろ』
その声を聞いた時にはもう遅かった。
こいつの言葉には俺が逆らえないように”強制力”が込められている。
そんなわけのわからないもん誰もつけたくねぇよ、という俺自身の意志を無視して右手が勝手に動く。
こいつに対しては個人的に契約やら何やらがあって逆らえないようになっている。
物理的に。それはもう呪いの類と同じように。
だから呼び出しと同時に何かされるのを諦めていた俺は渋々その腕輪を右手につけた。
俺自身の意向なんか欠片も入る余地がなかった。
この魔王様にとって俺は数多くいる人間モルモットの一人というだけだった。
ああ、嫌な予感はしたんだ。
むしろ嫌な予感しかしなかったね。
……まぁ、あいつに呼び出された時はいつも嫌な予感がするんだが。
小さく首を振り、忌まわしい記憶を振り払う。
「……アレがどうした」
「”時戻リノ腕輪”」
まったく聞き覚えがなかった。
俺も数々の呪いの装備を身につける為にその手の知識は一通り調べ通したつもりだった。
呪い、というものは禁忌に通ずるもの。気軽に触れることは出来ない。
それこそ呪いの装備なんて下手なものを装備したらすぐに地獄行きだ。
生命の危機に直結するものだから俺も必死だった。
この分野においてはそこらの王立魔術研究所や魔術師ギルドの導師にすら負けはしないと思っていたがどうやら自惚れだったかもしれない。
「ただの呪われたアクセの一つじゃなかったのか?」
「読ンデ字ノ如ク、所有者ノ精神ヲ過去ニ飛バスッテイウ存在自体ガ眉唾モンノアーティファクトダ」
路地裏の暗がりで、炎が翳るように揺れた。
「なんじゃそら」
精神を過去に飛ばす?眉唾どころか笑い話だ。
巷に溢れる神話時代の神と悪魔の聖戦の御伽話よりも嘘くさい。
所謂、古代文明の名残とされる過ぎし力―――アーティファクトって前提からしてまずありえない無茶だが、時に干渉するとなると無茶を越えて無謀だ。
なんでも出来ると誤解されがちだが魔術にも魔法にも限界ってものがある。
これは魔術をちょっとでも囓れば理解できる常識の一つだ。
無茶に無謀を重ねて「そんなことが出来るか?」と聞かれても答えは決まっている。
きっとそれは夢だ。
「存在スルナラ間違イナク”伝説級”ノモンダ」
「笑えない冗談だな」
「確カニ笑エネナイ、相棒ノ現在ノ状況カラ考エルトソリャホントニナ」
笑いどころか、何の表情もない幻想の炎が皮肉っぽく言った。
絶対に楽しんでやがるコイツ。
「…………勘弁してくれ」
あの魔王様が腕輪の効果を知らなかったと思えない。
どうやらこの状況は魔王の差し金の一つらしい。マジで笑えない。
あの女は一体何を考えて生きているのだろうか。
いや、よそう。ただの人間に”魔王”の考えなんか探るだけで時間の無駄だ。
誰かの掌で転がされるモルモットとして出来る抵抗は一つ。
ただただ現状に呆れて溜息を吐くことだけだ。




