第9話「警告」
セレスティア科学技術省・研究ラボ。
重厚な自動ドアが開くと同時に、二人の屈強な警護員が配置についた。黒い制服に無表情な双眸、腰には非殺傷型の電磁警棒が吊り下げられている。その横に立つリオンは、腕を組んで澪を見守っていた。
「今日から本格的に始まるんだな」
「……ええ。百人、よ」
澪の声は疲れと緊張を孕んでいた。
被験者たちは地下パーキングの救急搬送車内で待機している。ラボに呼ばれるまでは医療スタッフと共に静かに息を潜めているという。
そこへアクエルが現れた。やつれた顔、目の下の濃い影。だが声には異様な熱が宿っていた。
「澪、説明しておこう。ホローズは悲しみがスパイクした後、必ず何かの感情で上書きされる。そのパターンによって四種類に分類できる」
アクエルは指を折りながら口にする。
「陽気型、楽天型、怒り型、そして複合型だ」
澪は無意識に息を呑んだ。
「……シビルは、その怒り型」
「ああ。もっとも危険だ」
医療スタッフが押し込んできたのは、重厚な金属椅子。両腕と両足を固定するベルト付き。
「これは?」
「被験者固定用だ。怒り型が出た時のための備えだ」
アクエルが懐からメモリチップを取り出す。
「これにキーワードリストと分類基準値を入れてある。Affecticsにロードしてくれ。解析結果に“何型”かも追加して欲しい」
澪は無言で端末にチップを差し込んだ。青白い光が走り、解析基準がAffecticsに読み込まれていく。
――スクリーニングが始まった。
数時間後。
初日終了時(累計)
陽気型:2人
楽天型:3人
怒り型:0人
複合型:0人
そして五日目。
5日目終了時(累計)
陽気型:13人
楽天型:10人
怒り型:2人
複合型:0人
「……二人、怒り型が出た」
報告を見つめる澪の背中に、薄氷が貼られたような寒気が走る。
(怒り型……シビルと同じタイプ……!)
澪の脳裏に、スクリーニング中の二人の姿がよみがえる。
――一人目。
「母親の死を想起してください」とAffecticsが告げた瞬間、男の瞳孔が開き、全身が硬直した。次の瞬間、ぎらつく眼で澪を睨みつける。
「お前の友達は……随分と怯えているようだな」
口角を吊り上げ、不気味にヒャヒャヒャと笑う。
「ふざけるな!俺にこんな事しやがって、お前の友達も道連れだ!」
男はベルトを歯で引き千切ろうとしている。
澪は数歩退く。
澪の心臓が鷲掴みにされるようだ。友達――誰?リオン?ユナ?
ぞっとする寒気が背筋を這い上がった。
――二人目。
「失恋を思い出してください」
すると女は突然、ベルトを軋ませて椅子を揺さぶり、目を真っ赤に充血させて叫んだ。
「殺してやる……!」
悲しみが怒りに呑まれる瞬間。ベルトが無ければ、確実に澪に飛びかかっていただろう。
澪はたまらず部屋を出て行く。
タカコのカフェ。
夕方。店内にはゆったりとしたジャズが流れ、コーヒーの香りが柔らかく漂っていた。
澪、リオン、ユナの三人は窓際のテーブルに座っていた。リオンとユナはコーヒーをすすり、澪は疲労の色を浮かべていた。
タカコが奥から現れ、ガラスの器を澪の前に置く。
「はい、お待ちどうさま。澪スペシャルよ」
器の中には、七色に重なるアイスクリーム、蜂蜜ゼリー、ウエハース、ホイップ、苺とバニラの渦。
「うわぁ~! キタキタァ!」
澪は目を輝かせて拍手した。
「……こんなの、ここにあったっけ?」ユナが目を丸くする。
「今日初めてよ。澪が“とにかく甘いもの!”って言ったから」タカコは肩をすくめる。
「見てるだけで胸焼けしそうだ……」リオンがぼやいた。
澪は夢中で食べ、満足げにナプキンで口を拭う。
「よし、これで明日も頑張れる」
ユナが首をかしげる。
「スクリーニングって、どんな感じなの?」
「……正直、ウンザリよ。特に“悲しみ”を想起させるキーワードの時。あの顔を見ると、自分の霊が抜き取られるみたいで……。でも、怒り型以外は気味が悪いだけで人畜無害よ」
「怒り型……シビルのことね」ユナの表情が曇った。
その時、壁のプロジェクターが点灯し、速報が映し出された。
> GHPO(国際健康促進機構) 緊急会見
発症国は32ヶ国に拡大。
セレスティア王国、セバウチ共和国……ヴァルガードは記載無し。
近日中に渡航禁止レベルを引き上げ予定。
原因は依然不明。
「ヴァルガード、名前が無かったね」ユナが呟く。
「公表していないだけだ。いつものことさ」リオンが吐き捨てる。
「海底トンネルも封鎖されるかも」
「まだ早い。セレスティアの症率は0.0002%。封鎖のダメージの方が大きい」
澪は静かに息を吐き、リオンを見た。
「ねえ……EIDOSを使って原因をシミュレートできない?」
リオンは驚きの表情を浮かべた。
「軍事と外交のシミュレーターだぞ。どう使うつもりだ」
「私たちでシナリオを立てる。EIDOSに信頼率を計算させるのよ」
「……面白いな」
ユナが目を輝かせる。
「やってみようよ!」
澪がシナリオを挙げていく。
1. 生物兵器説
2. 医療研究事故説
3. 気候変動説
4. 放射能汚染説
リオンが鼻を鳴らす。
「どれもネットの噂レベルじゃないか」
夜、リオンのラボ
薄暗い室内で、巨大なホロスクリーンが点灯する。EIDOSが立ち上がり、青白い光が壁面を走る。
澪は端末からスクリーニングの統計値、シビルの脱走インシデント、アクエルのカルテを入力した。さらに四つのシナリオを順に投入する。
EIDOSの中枢が低く唸りを上げ、数秒後に結果が出力された。
細菌兵器説:38%
Note: Outbreak distribution does not cluster around military facilities; cases are evenly spread in civilian areas. The diffusion pattern is inefficient for a deliberate weapon.
Assessment: Partial support
医療研究事故説:41%
Note: Approximately 72% of early cases show direct or indirect links to urban medical facilities. Spread rate closely matches known bacterial infection models.
Assessment: Highest support among tested hypotheses, but inconclusive
気候変動説:12%
Note: No statistically significant correlation (p = 0.32) between outbreak areas and climate variables such as temperature or humidity.
Assessment: Weak support
放射能汚染説:6%
Note: No correlation between elevated radiation zones and outbreak clusters. Most early patients lived in areas below critical exposure thresholds.
Assessment: Tends toward rejection
リオンは肩をすくめた。
「ほら見ろ。どれも50%を超えていない。大した意味はないだろう?」
だが、澪は返事をしなかった。
鋭い眼差しでスクリーン下部の『付記』を凝視していた。
> 付記:Affecticsに注意
――あの怒り型の言葉が、澪の耳に蘇る。
「お前の友達は……随分と怯えているようだな」
(“友達”って、まさか…)
澪の手が無意識に震えた。




