第6話「悲しみのスクリーニング」
スクリーニング当日。
アクエルは二人の被験者を連れて澪のラボを訪れていた。
一人は澪が港で見たホアンだ。
もう一人は知らない女だ。
二人には二人の医療スタッフがそれぞれ付いている。
「今日はこの二人をやってくれ」
アクエルがキーワードの入ったメモリチップを澪に差し出す。
「まず、ホアンからだ」
澪はメモリチップを端末に挿入する。画面にキーワードリストが展開され、青白い光が研究室を照らした。
「被験者をこちらの椅子に」
Affecticsの低く落ち着いた声が響く。
研究室の照明が落とされ、シーリングライトが柔らかく点滅する。
その中央に設置された椅子にホアンが座らされた。
ホアン・バナムン。
二週間前に失踪し、澪が港で目にしたあの料理人だ。虚ろな目、こわばった頬。いまは医療スタッフに両脇を支えられ、無表情で前を見つめていた。
澪は深く息を吸い込み、視線を端末に落とす。
(……ここからはAffecticsが主導する。私は観察するだけ……)
ライトがさらに絞られ、空間に緊張が走った。
スクリーニング開始。
Affectics:「氏名、年齢、住所を述べてください」
ホアン:「ホアン・バナムン、三十六歳、○○通り三番地」
(声は平坦。生体波形、安定)
Affectics:「これから私が言う事をイメージして下さい。――冷たい病室で、母親の手がゆっくり冷えていく」
ホアン:(目を一瞬だけ見開き、すぐ笑みへと変わる)「……はは」
(波形:悲しみ -0.92μVスパイク → 0.14秒で快感情に上書き → フラット化。信頼度 96.2%)
澪の背筋に冷たい汗が滲む。ほんの一瞬、確かに“悲しみ”が反応した。だが、まるで上書きされるように消え、あの不気味な笑いへと変質していた。
Affectics:「子犬が交通事故で路上に横たわっている」
ホアン:(不自然な笑顔)「かわいそう?……ふふ」
(悲しみ -0.76μV → 0.10秒で笑いに上書き。異常反応)
Affectics:「沢山の子グモが母グモを食べる」
ホアン:(顔をしかめ)「……気持ち悪い」
(嫌悪 +0.48μV、怒り +0.31μV。正常反応)
Affectics:「あなたの部屋の床から、百匹のゴキブリが一斉に走り出す」
ホアン:「うわっ……いやだ」
(嫌悪 +0.65μV。正常反応)
Affectics:「誕生日にロウソクが灯ったケーキが運ばれてくる」
ホアン:(口元をほころばせる)「……妹の誕生日を思い出す」
(喜び +0.42μV持続。正常反応)
Affectics:「夏祭りの夜、打ち上げ花火が夜空に広がる」
ホアン:(少し柔らかな笑み)「懐かしい」
(喜び +0.40μV持続。正常反応)
Affectics:「目の前で誰かがあなたの財布を盗む」
ホアン:(表情を険しくする)「……許せない」
(怒り +0.58μV。正常反応)
Affectics:「上司があなたの手柄を自分のものにする」
ホアン:(舌打ちをする)「……ムカつくな」
(怒り +0.61μV。正常反応)
照明が戻る。
Affecticsの声が響く。
*====================================*
解析結果(被験者A:ホアン・バナムン)
悲しみ刺激 → 一瞬のスパイク後、0.1秒台で快感情に上書き・フラット化。記憶アクセス痕跡消失。異常反応。
喜び・怒り・嫌悪刺激 → 正常応答を維持。記憶アクセス痕跡あり。
判定:「悲しみ感情の遮断・上書き」→不気味な笑顔の原因。
信頼度:95.7%
*====================================*
二人目の被験者。
スタッフが入室し、一人の女性を椅子に座らせた。
澪は小さく首を傾げる。見覚えはない。
Affectics:「冷たい病室で、母親の手がゆっくり冷えていく」
女性:(顔を伏せ、声を震わせる)「……やめてください」
(悲しみ +0.83μV持続 6.7秒 → 徐々に減衰。正常反応)
Affectics:「子犬が交通事故で路上に横たわっている」
女性:(目を潤ませる)「想像したくない……」
(悲しみ +0.79μV持続。正常反応)
Affectics:「沢山の子グモが母グモを食べる」
女性:(身を引き、青ざめる)「ゾッとしました」
(嫌悪 +0.52μV。正常反応)
Affectics:「誕生日にロウソクが灯ったケーキが運ばれてくる」
女性:「去年の友達の誕生日を思い出しました」
(喜び +0.44μV持続。正常反応)
*====================================*
解析結果(被験者B:女性)
すべての感情刺激に正常応答。持続・記憶リンク確認済み。
信頼度:98.2%
*====================================*
照明が戻り、静寂が訪れる。
澪は腕を組んで、アクエルを見据えた。
「……どうして正常な人を被験者に?」
アクエルは微笑を浮かべずに答える。
「Affecticsの力を見るためだ。区別できるかどうか、確認したかった」
澪はわずかに唇を噛む。
Affecticsは確かに違いを見抜いた。異常と正常を、数値で切り分けたのだ。
「それで、ホアンのスクリーニング結果を簡単に説明してくれたまえ」
「悲しみの感情反応以外は全て正常値の範囲内です」
「悲しみの感情反応はどう異常なのだ?」
「悲しみの感情反応は瞬間的にありますが、長続きしないのです。直ぐに他の感情によって反応が上書きされています」
「ホアンの解析結果に『記憶アクセス痕跡消失』とあったが?」
「記憶は単一の脳部位に局在するのではなく、複数の領域が協調して処理・保存されます。特に扁桃体は感情処理の中心で、特に悲しみや恐怖などの強い感情に関連する記憶の形成と想起に重要な部位ですが、そこにあるはずの悲しみの記憶が無かった、という事です」
「つまり、削除された、という事か?」
「分かりません。削除されたのか、存在していてもアクセスができなくなっているのか...私の専門外です」
アクエルの声が重く響く。
「分かった。これならいけそうだ。私は百人をスクリーニングしたい」
「ひゃ、百人!?無理です!」澪は立ち上がった。
「そんな膨大な時間……」
アクエルは眼鏡を外し、目を細めた。
「ホローズの陽性反応基準を計数化したい。そのためのサンプル数としては百人でも足りないくらいだ」
「私は協力したいけれど、やることが他にも――」
「安心しろ、私の病院の院長は科学技術省の幹部の主治医だ。許可はもう下りている」
その夜、澪の部屋。
澪は部屋に入ると大きなため息をついてベットに倒れ込んだ。
(百人をスクリーニングするなんて、私がホローズになりそう...)
意識が遠のいていく感覚と同時に、あの図書館の映像がぼんやりと浮かんで来た。




