第4話「ホローズ」
セレスティアの街は、落ち着きを失いつつあった。
ニュースは連日ホローズを報じ、街角のモニターやSNSでは陰謀論や怪情報が溢れている。
「水道水にウイルスが混入している」「セバウチの呪術が飛び火した」「新型兵器の人体実験だ」「人類の次なる進化形だ」――。
メディアでは、刻々とリアルタイムでホローズ発症者数が更新され、似非コメンテーターがSNSのインフルエンサーの受け売りを垂れ流す。
ネットに溢れかえる真偽の分からない情報に翻弄され、人々の目からは確かな光が失われつつあった。
フェイス・シールドはどのドラックストアでも売り切れだ。
通りではマスクや護符を売る怪しげな露天商が声を張り上げる。
「これを持っていれば魂を抜かれない!」
「特殊フィルターだ、ホローズ予防に効く!」
信じる者、鼻で笑う者、買って安心する者。
学校は休校を、企業はリモートワークの拡大を検討し始めた。
だが、ホローズが感染病だと認定された訳ではない。
隔離された状態は、ホローズ発症の発見を遅らせるリスクがある、とSNSで発信する医師もいた。
セレスティアの街の空気は一変した。
街を彩っていたのは、不安に押し潰されそうな群衆の顔だった。
――ホローズはどこまで広がるのか。誰が次に笑うのか。
夕暮れ、タカコのカフェ。
タカコの店はいつも通りの香りと温もりに包まれていたが、客の会話はやはりホローズの噂でもちきりだった。
窓際の席で、澪とリオンがカップを傾けていた。
「見てこれ」
リオンがスマホを掲げる。
「“ホローズは宇宙人が仕込んだ暗示だ”ってさ。ほら、再生数十万」
澪は苦笑した。
「馬鹿げてる……。でも、見ちゃうんだよね。もし私がホローズになったらどうする?」
「そりゃ動画撮って拡散。“AI研究者、魂を抜かれる”って見出しで」
リオンが肩を揺らして笑い、澪もつられて吹き出す。
一瞬だけでも普通の日常に戻したい、澪とリオンは無理に戯けているかのようだ。
――カラン、とドアベルが鳴る。
ユナが駆け込んできた。
「遅れてごめん……」
ユナの頬は赤く、息が荒い。
ユナはテーブルに腰を下ろすと大きく息を吸い、囁くような小声で言った。
「ついに学校にホローズが出た」
澪とリオンの笑顔が凍りつく。
「だ、誰……?」リオンが声を絞る。
ユナは唇をきつく結び、小さく言葉を吐き出した。
「ジュニア・アカデミーの音楽教師。音楽室のグランドピアノの上で倒れてた。目を見開いて、不気味な笑顔で……両手を宙で動かして、エアーピアノを弾いてたって」
さっきまでのほんの一瞬の「普通の日常」が吹き飛んでいった。
澪の胸が冷たく締め付けられる。
音楽教師は、彼女が幼い頃から慕っていた人物だ。
「……そんな」
「ペットを亡くしたばかりで、そのせいか様子が可怪しかったらしい」
ユナが付け加えると、リオンはテーブルに肘をつき、深く俯いた。
冗談で笑い飛ばしていた二人の顔から、血の気が引いていく。
それは遠い噂話ではなかった。
ホローズは、すぐそばに迫っていた。
カウンターの奥でタカコが静かにこちらを見ていた。
だが彼女の視線にも、答えはなかった。
同じ頃、心療内科医アクエルは書類をまとめ、国際回線をオープンした。
画面に映ったのは、セバウチ共和国の精神・神経医療研究センター――SCNPの主任研究員、ナレフだった。
「セレスティアでも、発症が急増しています」
アクエルは疲労を隠さずに報告する。
「症状は共通している。記憶の断絶、感情の乖離、そして不気味な笑い、奇行...」
ナレフは険しい顔で頷いた。
「我々も追跡している。はっきりした原因は分からない。ただ――発症者には共通点がある。直前に“不幸”があるんだ。身内の死、離婚、解雇……皆強烈な悲しみを味わっていた」
アクエルの手が止まる。
「……悲しみ?」
「まだ仮説だが」ナレフは声を落とす。
「悲しみによる自傷や自死を防ぐため、脳が過剰に悲しみの感情を“遮断”しているのかもしれない。だが結果として、魂が空っぽになる」
ライトの光に照らされながら、アクエルの眼差しは鋭くなった。
「……つまり、これは自己防衛本能の暴走だと?」
「その可能性があるが、原因は不明だ。心身医学の観点からだけでは限界がある。神経医学、感染症学の専門家達と連携を取り始めたばかりだ」
アクエルはナレフに礼を言って回線をクローズすると、深く息を吐いてカルテを閉じた。
(ナレフの仮説を検証してみる必要があるな)
アクエルの頭にはある言葉が浮かんでいた。
ーーAffectics




