第19話「命を賭けた証拠」
夜、アクエルの病院。
白い無機質な廊下を、アクエル、ノナカそしてカリーナの足音が響いていた。
アクエルは前を歩きながら、背後のノナカを横目で見る。
ノナカはバックパックを背負っている。
中にあるのは――カラン共和国から命懸けで持ち帰った、汚染されたスパークルの一本の瓶。
「ここだ」
アクエルは隔離病棟の分厚いドアを開けた。
殺菌灯がぼんやり青く光る個室。窓は二重ガラスで封鎖され、外界から切り離されたような静けさに包まれていた。
「ふ~ん……これなら俺が狂っちまっても安心だな」
「ノブオ、馬鹿なこと言わないで!」
カリーナが不愉快そうにノナカを睨んだ。
ノナカはかすかに笑い返したが、その笑みはどこか張り詰めていた。
カリーナは天井と壁の3箇所にカメラを設置した。
「ワイヤレスでアクエルのオフィスに置いた外部ディスクと繋がっているわ。一週間分は保存できる」
「OKだ」ノナカが頷く。
ノナカは深呼吸し、机に置かれた一本のスパークルを手に取った。
瓶越しに見える液体は、ただの清涼飲料水のように澄んでいる。
だが、その透明の奥には、世界を揺るがすかもしれない「何か」が潜んでいた。
「すまない、皆出ていってくれないか...」
アクエルとカリーナはノナカを残して部屋から出て行く。
「……じゃあ、始めようか」
ノナカは独り言を言う。
ノナカは3台のカメラをそれぞれ見回した。
全てのカメラの赤いランプが点り、記録モードになっているのを確認すると、ノナカは栓を抜き、口を付けた。
炭酸の小さな泡が喉を弾き、冷たい液体が胃の奥へと落ちていく。
ノナカの部屋の前では、アクエルとカリーナがドアをじっと見つめて立っている。
「ノブオ……」
カリーナが小さく名前を呼んだ。
「行こう」
アクエルがカリーナの背中を押した。
二日後。
「ノナカさん!」
見回りに来た看護師の叫び声が隔離病棟に響いた。
ベッドの上でノナカがぐったりと横たわり、意識を失っていた。
慌てて駆けつけたアクエルが処置を指示し、酸素マスクが取り付けられる。
数分後。
ゆっくりとノナカの瞼が開いた。
しかし、その瞳は視点が定まっていない。
「……ふ、ふは……」
口角が吊り上がり、奇妙な笑みが浮かぶ。
「ノナカさん、分かりますか? 私が――」
アクエルが呼びかける。
「ああ、あんたか」
ノナカが力無く答える。
「君は細菌を接種して、何が起こるのかを確かめようとしている。覚えているか?」
だが返ってきたのは、ぞっとする声だった。
「細菌だと? そんなもん、どうでもいい……このヤブ医者が!」
突如、甲高い笑い声を上げ始めた。
乾いた笑いが壁に反響し、看護師たちの顔色が青ざめる。
アクエルは冷や汗を流しながらも、医師としての直感で確信した。
――ホローズ化した。
すぐに澪へと連絡を取る。
「ノナカのスクリーニングが必要だ。今すぐそっちのラボにノナカを連れて行く!」
「分かった!」
緊張のせいか、澪の声はかすれていた。
科学技術省・臨床ラボ。
Affecticsの前でノナカは椅子に拘束され、薄ら笑いを浮かべて項垂れていた。
瞳は虚ろで、何処を見ているのか分からない。
「……別人だ...」
澪の声が震える。
「始めてくれ」
アクエルが低く告げ、澪がコンソールを操作する。
アクエルから受け取ったメモリチップのキーワードリストをAffecticsにロードする。
「“ヨーコ”も入れてある」
澪が頷いた。
Affecticsの光が部屋を包む。
淡い青白い光がノナカの周囲に浮かび上がり、静かに言葉を投げかけ始めた。
次々と投げられる単語。
「水」
「仕事」
「記者」
AFFECTICS CONSOLE — SESSION: NONAKA_N
Baseline: HR 72 bpm | HRV 38 ms | Resp 14/min | EDA 0.46 µS | Pupil 3.2 mm
>>> Keyword: “water”
ΔHR +2 | HRV +3 | EDA +0.03 | Neutral response
>>> Keyword: “work”
ΔHR +5 | HRV −4 | EDA +0.06 | Valence −0.2 | Anger-likelihood 0.24
>>> Keyword: “reporter”
ΔHR +9 | HRV −10 | EDA +0.11 | Brow tension ↑ | Incongruent laughter
Appraisal: sadness→irritability
モニターに生理反応が波のように刻まれていくが、ノナカは笑みを崩さない。
――そして。
「……ヨーコ」
その一言が発せられた瞬間、モニターがノナカの怒りをフィードバックする。
AFFECTICS CONSOLE — SESSION: NONAKA_N
>>> Keyword: “Yoko”
Startle response detected
HR +22 (94 bpm) | HRV −19 | Resp 22/min | EDA +0.41 | Pupil 4.2 mm
Motor activity ↑↑ (thrashing)
Appraisal: anger-dominant (confidence 0.88)
Classification: HOLLOWs-positive
Safety advisory: sedation required
ノナカの体が大きく跳ね、目がかっと見開かれた。
「しまった……!これからヨーコと会うんだった!おい!拘束を解け!約束の時間に遅れちまうだろが!」
椅子を激しく揺さぶり、狂ったように暴れ出す。
ベルトが軋み、モニターが激しく跳ね上がる。
アクエルはモニターの解析結果を見入っている。
「……陽性だ、しかも――怒り型」
「ノブオ!」
カリーナが必死に叫ぶが、その声は届かない。
「ここまでだ!」
アクエルが合図を送り、看護師が鎮静剤を手にする。
鎮静剤が打たれたノナカの体は痙攣し、やがて力なく沈んでいった。
静まり返ったラボに、誰も言葉を発せなかった。
アクエルが眼鏡を押し上げ、低く呟く。
「……隔離病棟に運べ。監視は二十四時間体制だ」
カリーナは震える手でカメラを回し続けていた。
涙が頬を伝い落ちる。
だが、彼女は記録を止めなかった。
――ノナカの「命を賭けた証拠」がいつか世界を動かすと信じて。




