第18話「ノナカの決断」
セレスティア国際空港、夜。
カラン共和国から帰国したノナカは、雑踏の中を重いスーツケースを引きながら自分のアパートへ向かって歩いていた。
スーツケースの中には――カラン共和国で手に入れた、汚染されたスパークルの瓶が入っている。
アパートの部屋に入りライトを点け、大きくため息を付くと椅子に腰を下ろした。
(……証拠を持ち帰ったぞ。ヨーコ、お前が信じた俺のやり方で)
机の上の古びた写真立てを無言で指でなぞる。
そしてノートPCを開き、暗号化通信を繋いだ。
「……カリーナ。やった。汚染されたスパークルを手に入れた」
「本当なの?」カリーナの声が緊張に震える。
「今からセレスティアに来て欲しい。俺に考えがあるんだ、協力して欲しい」
カリーナはノナカにいつもとは違う緊迫した何かを感じ取っていた。
短い沈黙の後、カリーナが応じた。
「分かった。すぐに向かう」
――その頃。
アクエルの端末に、セバウチのナレフ研究員から報告が届いていた。
「モラウルイ製薬とマーチン製薬の間に、確かに契約がありましたよ。製造委託の名目は“微生物由来物質を用いた薬剤”。つまり、マーチンが保有する細菌を使用した薬剤の開発、製造をモラウルイに委託した契約ですが、どの様な細菌からどの様な薬剤を開発するのかまでは分かっていません」
(本当かよ!まさかとは思ってはいたが...)
アクエルはナレフの報告に衝撃を受けていた。
自分は単に澪に借りを返すつもりでナレフにこの調査を頼んだだけで、澪が話した仮説など全く真に受けていなかったのだ。だが、それが今事実として形を持ち始めたのだ。
「ナレフ、ありがとう。あなたの報告が、我々にとって衝撃的な事実を暴く事に繋がるかもしれません。追ってまた連絡します」
アクエルはナレフとの通話を終え、すぐに澪に連絡を入れる。
「ナレフから連絡があった。君の予想通り、マーチンとモラウルイは繋がっていた」
澪は即座にノナカに連絡した。
ノナカは深く頷き、電話口で短く答えた。
「そうか…ありがとう。これで裏は取れたようだ。やっと川上が繋がった」
翌日の夜。
カリーナがセレスティアに到着し、ノナカのアパートを訪れた。
カリーナはキッチンのテーブルの上に置かれた3本のスパークルを指さした。
「これね」
「カリーナ、来て早々悪いが、これからある人達をここへ呼ぶ。話しはそれからだ」
ノナカは端末を手に取り、澪に連絡を入れた。
「澪、悪いが至急アクエルを連れて俺のアパートに来てくれ。大事な話がある」
澪はただならぬ気配を察した。
「……分かりました。でも、リオンも連れて行きます」
一時間後。
澪、アクエル、リオンがノナカの部屋を訪れた。
薄暗い部屋の中、キッチンのテーブルの上にスパークルの瓶が3本置かれている。
ノナカはカリーナ、澪、アクエル、リオンを見渡し、重々しく口を開いた。
「これから俺の計画を話す。実行には皆の協力が必要だ」
「俺とカリーナはホローズの起源について取材と調査を続けて来た。カリーナはマーチン製薬からモラウルイ製薬へホローズを引き起こす可能性のある細菌が流れていった可能性を突き止め、セバウチのナレフ研究員の調査によってそれが裏付けされた、つまり川上が繋がった」
「俺は、モラウルイ製薬が誤ってその細菌を外部へ流出させ、それが近隣の浄水処理場の水に混入、細菌は死滅せず、さらにその水を清涼飲料水であるスパークルの製造に使用し、それを飲んだ人間がホローズ化した、という言わば川下の繋がりを追っていた」
薄暗い部屋の空気が張り詰めている、皆無言だ。
ノナカはキッチンテーブルの上にある三本のスパークルを指さした。
「あれが、俺がある国で入手した汚染されているであろうスパークルだ」
皆がテーブルの上のスパークルを見る。
「さて、ここからが俺の計画の核心だ」
「まず、アクエル。これを一本持ち帰ってくれ。細菌検査を頼む。通常は清涼飲料水に細菌などいない、つまり、どんな細菌でも見つかればそれは"黒"だ。あんたの病院のラボでやってくれないか?但し、二次被害が起きないように慎重に頼む」
アクエルが目を細めて頷いた。
「……分かってる」
ノナカは続けた。
「そしてもう一本を俺が飲む。ホローズ化するかを、自分の身体で証明する」
澪とカリーナが息を呑んだ。
「そんな……!」
「ノブオ、何を考えているの!」
「いいか、聞いてくれ」ノナカは声を強める。
「スパークルから細菌が発見され、俺がホローズ化すれば、“川下”は繋がる。カリーナ、お前はその一部始終を映像に記録してくれ。そしてもし俺がホローズ陽性になったら、その記録、アクエルの検査結果とナレフの調査結果の全てをブログで公表しろ」
カリーナは固く唇を結んだままだ。
「俺がこのスパークルを飲んだら、アクエル、あんたの病院に俺を隔離して欲しい」
アクエルは思う。
(もう...引き返せないぞ、これは...)
ノナカは澪に視線を向けた。
「そして澪、俺がもし隔離中に奇行をやりだしたら、Affecticsでスクリーニングしてくれ。ホローズ陽性判定は...アクエル、あんたがやってくれ」
澪は、ノナカのこの命懸けの決断に圧倒されていた。
(何だろう…この"圧"は何処から来るのだろう...ジャーナリストとしての正義感、プロ意識、それとも自分を追い出した新聞社への...いや、どれも違うし、その全てでもある気がする。海底トンネル事故の事件性を記事にした時も、こんな感じだったのかな...)
リオンが口を開いた。
「もしスパークルから細菌が検出され、あんたがホローズ化した事によって、あんたの言う川下が繋がったとしても、川上と川下の繋がり、つまりモラウルイの細菌流出事故との繋がりが曖昧なままだ」
カリーナが辿々しいセレスティア語でリオンに説明する。
「ノブオと私、ヴァルガードに行ってスパークル社に直接取材した。でも、品質管理の話、ダメだった。私達、国外退去」
「ありがとう、カリーナ」
ノナカが続ける。
「リオン、君の言う通りだ。だが...カリーナと俺に出来る事はここまでだ。後は俺達のブログを読んで、俺達の意志を継いでくれる誰かが現れるのを祈るだけだ」
リオンは何か言おうとしていたが、諦めたように下を向く。
ノナカは机の写真立てに触れた。
そこには笑顔のヨーコが映っている。
「澪……一つ言い忘れたが、俺をスクリーニングするとき、キーワードは“ヨーコ”にしてくれ。
……あいつが、俺の悲しみのすべてだ」
澪は言葉を失い、アクエルは静かに眼鏡を押し上げた。
カリーナは涙を溜めて拳を握りしめ、ただ唇を噛む。
リオンは長い沈黙の後、小さく呟いた。
「……無茶だが、その覚悟は本物だな」
薄暗い部屋にモヤのかかった朝陽が差し込み、空気の緊張が一層際立った。
もう後戻りは出来ないー誰もがそう覚悟を決めていた。




