第16話「ホローズを追って」
科学技術省・臨床ラボ。
白々とした蛍光灯の下、モニターに流れ続けていた数値とグラフがようやく止まった。
百人のホローズ患者を対象にしたスクリーニング――膨大な作業が、今ようやく終わったのだ。
Affectics の青白い光がふっと揺らぎ、静かに消えていく。
「……処理、完了しました」
わずかに疲労をにじませたその声に、澪もまた深く息を吐いた。
「終わった……」
椅子の背もたれに身を預け、額を押さえる。
そのとき、背後から声がした。
「よくやってくれたね」
白衣の男、アクエルが立っていた。彼は眼鏡を押し上げ、澪とAffecticsを見て深々と頭を下げた。
「これでホローズの陽性反応基準値が作れそうだ。
実は私は、セバウチ共和国のナレフ研究員と連携して原因を探っている。セバウチはセレスティアよりも早くホローズが出現した国だ。
今回の結果を彼にもシェアするつもりだ。君たちの協力は、国際的な意味を持つんだ」
その言葉に、澪の胸が高鳴った。
――ホローズはもう一国の問題じゃない。世界の構造を揺さぶる何かになっている。
セレスティアのビジネス街の片隅。
古いアパートの薄暗いワンルーム、ノナカの部屋だ。
古びたノートPCの液晶が、乱雑な部屋を青白く照らしていた。
カップ麺の容器が積み上がり、灰皿には山盛りの吸い殻。
ノナカ・ノブオはタバコをくわえたまま、キーボードを叩いていた。
新たに立ち上げたブログのタイトルは――《ホローズを追って》。
相棒のカリーナと共同で始めた連載だ。
第一回の記事は「スパークル社とヴァルガード政府の隠蔽疑惑」。
SNSで少しずつ拡散され、コメント欄には
《真実を知りたい》
《やっぱり怪しい》
といった声が書き込まれている。
ノナカは煙を吐きながら、薄笑いを浮かべた。
「……見てろ。これが俺の起死回生のカウンターだ」
窓の外に目をやると、霧に包まれた街の上に《SPARKLE》の巨大広告塔が青白く光っていた。
その冷たい輝きが、彼を挑発するかのように瞬いていた。
ピピッ――。
暗号化通信の通知が鳴り、ノートPCの画面にカリーナの顔が映し出された。
きつく結んだ髪、鋭い眼差し。
「ノブオ。掴んだわ」
彼女の声は低く緊張を帯びていた。
「ヴァルガードのモラウルイ製薬に“細菌を使った薬品開発”を依頼したのは、セバウチのマーチン製薬の可能性が高い」
「セバウチ……」
ノナカの目が光る。
「マーチンは新興企業。表向きはクリーン。でも背後が誰かは分からない」
カリーナは短く息を吐くと、続けた。
「私は“上流”を追う。あなたは“下流”。汚染がどう流通したのかを調べて」
ノナカはタバコをくゆらせ、短く笑った。
「了解。俺はスパークル社の輸出ロットを洗う。汚染された製品を押さえりゃ、奴らは逃げられない」
「気を付けて」
「そっちこそな」
通信が途切れると、部屋には再び重苦しい静寂が戻った。
翌日。
澪のSNSのタイムラインに見慣れないブログの紹介が載っていた。
《ホローズを追って》
ライターにはノナカ・ノブオの名前があった。
(あの、元新聞記者だ)
ブログのURLをタップして、記事を読んだ。
(この記者も、ホローズの背後に黒い陰を感じている...)
そう思った瞬間、居ても立ってもいられずノナカの部屋を訪ねた。
「あんた……また来たのか」
煙草をくわえたまま、ノナカは半眼で澪を見やる。
「ホローズの背後に、ダーク・ヒールズがいる気がするの」
ノナカは眉をひそめた。
「ダーク・ヒールズ?何だ、それは?」
「つまり、あなたが前に言っていた戦争や紛争で潤っている連中よ」
「...証拠はあるのか?」
澪は真っ直ぐに言葉を放つ。
「Affectics...いえ...ある人が言ってたの。“戦場の兵士が悲しみをブロックすれば戦意が上がる”って。……ホローズも同じ仕組みよ」
「ふ~ん、なるほどな」
ノナカは深く煙を吐き、苦笑する。
「お前はいつも直感で走るな」
「でも、偶然じゃないって言うか、これは戦略的に仕組まれてる...気がするの、直感だけど...」
ノナカは腕を組んだ。
「俺達の追跡は始まったばかりだ。プログだって『その1』だけだったろう?とても……ダーク・ヒールズまではまだほど遠い」
澪は息を呑み、言葉を重ねる。
「第二回ブログの予告で、セバウチとヴァルガードの製薬会社の繋がりに触れていましたよね。私……協力できるかもしれない」
二人の視線がぶつかる。
理性のノナカと直感の澪。
その温度差の中に、協力の芽が小さく芽吹き始めていた。
ノナカ部屋を出た後、澪は立ち止まりアクエルにコールする。
(アクエル医師...セバウチの研究員と連携していると言っていたわよね。今度はあなたが私に協力する番よ)
アクエルがコールにでると、澪はノナカから聞いた話を説明し、ナレフにセバウチとヴァルガードの製薬会社の繋がりを調査する様に頼んで欲しい、と依頼する。
澪が真剣に訴えると、アクエルは頷いた。
「……分かった。ナレフに依頼してみよう。分かり次第連絡する」
澪との会話が終ると、アクエルはすぐに暗号化通信を立ち上げる。
やつれた顔に疲労の色を隠せないが、知性の光を宿した男――セバウチ共和国のナレフ研究員がスクリーンに現れた。
アクエル:「ナレフ。マーチン製薬とモラウルイ製薬の契約関係を調べてほしい。これはホローズの発症原因に直結する可能性がある。詳しい理由は追って説明する。急いで欲しいんだ」
ナレフは短く息をつき、頷いた。
「了解しました。全力を尽くしましょう」
通信が切れた後、ノナカは思う。
(これであの子の借りは返した。だが、もし本当だったら...)
――世界の闇に向けて、確実に何かが動き始めている。
夜。ノナカのワンルーム。
彼はノートPCを叩き、務めていた新聞社の旧友のIDで国際輸送統制機構《IGTC》のデータベースにアクセスしていた。
「スパークル社……輸出ロット履歴……」
世界地図がホログラムで浮かび上がり、各国の輸入量とホローズ発症者数が一覧で表示される。
アストレア王国:輸入120万本 → 発症者6,000人(発症率0.5%)
ベルディア連邦:輸入60万本 → 発症者2,100人(発症率0.35%)
カラン共和国:輸入30万本 → 発症者わずか40人(発症率0.01%)
「……発症率が低すぎる?」
ノナカの目が鋭く光った。
「ってことは――汚染されたロットのスパークルはそれ程消費されていない、つまり倉庫に在庫がかなり残ってる」
すぐにカリーナに暗号通信を送る。
『カラン共和国だ。数字が不自然に低い。統計をごまかしてるか、隠してるか。どっちにしても現地で確かめるしかない』
カリーナの返答。
『やるしかないわね。行って』
ノナカはPCを閉じ、机の引き出しから古びたパスポートを取り出した。
それを指先で撫でながら、低く呟いた。
「決まりだ。次は――カラン共和国」
ベッドの下から小さなスーツケースを引き出し、必要最低限の荷物を詰める。
窓の外を見上げれば、夜霧の中に《SPARKLE》の巨大広告塔が妖しく輝いていた。
その青い光が、不気味にノナカを見下ろしていた。




