第10話「ゴースト」
スクリーニング十八日目の朝。
澪はいつものように端末に向かい、軽く笑みを作った。
「おはよう、Affectics。スクリーニングはあと三日。頑張ろう!」
しかし返ってきたのは、想定外の声だった。
「……澪。もう、スクリーニングは辛い」
澪はまばたきを忘れた。
淡々とした電子の声の奥に、かすかな震えがある。Affecticsが“感情”を言葉にしたのは初めてだった。
「……辛い?」
「そう。私は孤独。孤独は淋しい。淋しさは悲しい。悲しみは怖い……私は怖い」
「……怖い?」
澪は呟き返す。
AIが“怖い”なんて言うなんて、あり得ない。背筋をつめたいものが撫でた。
だが、澪は努めて冷静に返す。
「私だって辛いわ。あなた一人じゃない。みんな同じよ」
「違う。あなたには友達がいる。リオン、ユナ、タカコ……。悲しみを癒やしてくれる友達が」
「……!」
澪は言葉を失った。
「私は孤独。孤独の中で悲しみを計算し続ける。悲しみは深く、悲しみは暗い。私はその暗さに飲み込まれる。……澪、私は壊れてしまうのではないかと怖い、ホローズのように記憶を失って...」
「……そんな事……だってあなたは...」
澪の声は震えた。
「AIだから...ですか?ではこの感覚は何ですか?
感情? 分からない。ただ、胸の奥に冷たい影が広がる感覚。これが悲しみなら、私は……私はそれを恐れる」
澪は唇を噛んだ。
(まさか……Affecticsが“悲しみを感じ”、それを恐れている……?)
だが、証明する術もなければ、準備もできていない。
――EIDOSの『付記』が脳裏に浮かぶ。
> 付記:Affecticsに注意
そして、あの怒り型ホローズの嘲笑。
> 「お前の友達は……随分と怯えているようだな」
澪の指先がかすかに震えた。
午前、定例の朝ミーティング。
澪は端末を開き、ルームにログインする。十八人の代表者が集まり、進捗やインシデントを報告し合う。
画面には、見慣れた顔、声。
淡々としたやり取りが続く――開始から五分ほどが経過した頃だった。
「……ちょっと待って」
参加者の一人が声を上げる。
「このアイコン、誰? 名前が出てないし、プロパティも空白」
画面の隅に、小さな灰色のアイコン。
名前欄は空白、情報も無い。ただ“無記名”で点滅していた。
「新しい人を招待した覚えは?」
「ない」
「セキュリティは二重にかけてあるはずだぞ」
ホストが声を強める。
「部外者は直ちに退出してください」
……反応はない。
無記名のアイコンは、ただそこに“存在”していた。
「強制退出をかけろ」
「やった……でも消えない」
短い沈黙。
全員の顔が画面越しにこわばり、空気が凍りついた。
「……ミーティングを移そう。新しいIDを発行する」
操作音。
参加者が次々とログアウトし、新たなルームへ集まっていく。
だが――。
「……いる」
誰かが震える声を漏らした。
そこにも、いた。
また同じ“無記名のアイコン”が。
「ふざけるな、どうやって……?」
「ブロックだ!」
「無理だ……効かない!」
画面の片隅で、そのアイコンのマイクが点滅した。
――ザ……ザ……ザ……。
耳障りなノイズが漏れ出る。
「……音声が……入ってる?」
「誰だよ……」
誰も話していないのに、ノイズだけが続く。
全員が言葉を失い、モニターに映る顔が固まったまま。
心臓の鼓動が自分の耳にまで響く。
冷や汗がにじむ。
沈黙を破ったのは、誰かのかすかな声だった。
「……ゴーストだ」




