しにたがりの八代くん
死にたがりの八代くんと八代くんを生かしたい田隅さんの日常です!よろしくお願いします!
時刻は七時三十分。登校するにはまだ少し早い時間で、下駄箱に収まる靴もまばらだ。朝練がある運動部の掛け声が体育館から聞こえてきて、大会が近いと話していた親友のなっちゃんのことを思い出した。一段飛ばしで階段を駆け上がると、空いているドアから教室の中に入る。すぐに目に入るのはクラスメイトの八代くん。彼は毎朝早く来るくせに、眠そうに机に突っ伏しているのが常だ。そんな八代くんの隣の席に私は腰を下ろす。
「八代くん、おはよう」
一見聞こえていなそうだけど、ちゃんと聞こえていることは分かっている。八代くんは腕を枕にしていた顔をもぞもぞと動かして、顔の向きを私の方に合わせてくれる。
「…田隅さん、おはよう」
まだ覚醒しきっていないような、気だるげな低い声で返事が返ってくるのは何だか心を許されているようで、毎回嬉しくなってしまう。でも、彼はそれどころではないはずなのだ。だって…
「はぁ、しにたい」
八代くんの口癖は「しにたい」つまり「死にたい」だから。普通話し相手に「死にたい」なんて言われたら誰だって動揺するけど、八代くんのは違う。彼は毎日何かしらの理由で死にたがるから、それが心からの願いなのか定かではないからだ。でも、私は毎日八代くんを慰める。もし彼の言葉が本当で、明日には死んでしまっていたとしたら私はやりきれない思いを抱えることになると思うから。
「八代くん、今日はどうして死にたいの?」
「ん-、昨日の小テスト十二点だったから」
昨日の小テストというのは物理の小テストのことで、五十点満点だったからそんなに悪くはないと思う。…これはあくまで私も物理が苦手だからかもしれない。
「でも昨日の小テスト五十点満点だし、平均がニ十点だよ?全然赤点でもないし、大丈夫だよ」
「俺は平均点以上取りたいの」
口癖が「死にたい」の人とは思えないほど高いモチベーションに、私は内心平伏した。…私は十点ぴったりでぎりぎり補習を免れました、ごめんなさい。
「八代くんはすごいね、私なんて十点だったよ?私も死なないし、八代くんも生きたらいいのに」
そういった私は鞄の中からお気に入りの巾着を取り出す。この巾着にはちょっと甘いものが食べたくなったとき用兼ご褒美用の飴を入れているのだ。その中から、八代くんが好きなぶどう味の飴を一粒取り出して手のひらにのせる。
「はい、八代くん。今日の分。」
彼に飴を差し出すと、受け取った彼はすぐにパッケージを取り去ってそれを口に放り込む。好きな飴を食べた時、ほんのり緩む目元が好きだ。
「ありがと、田隅さん」
これは、八代くんなりの”じゃあ今日は生きるよ”の合図だ。少なくとも私はそう思っている。私のちょっとした一言と飴玉で八代くんが生きてくれるのなら安いもの。自惚れかもしれないけど、私はこうして八代くんを慰めることを日課にしている。これで明日も八代くんを会えるはず。満足した私は一限の授業の準備に取り掛かる。確か今日は古文単語の小テストがあったはずだ。古文単語帳を開いた私は、八代くんがこちらを安心した表情で眺めているのに気づかなかった。