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陽向で輝く流れ星

作者: 酢鯖

 僕は、中学1年生。ただし、学校には通っていない。

 理由は、よくある不登校なんて話ではなく、自宅のベッドの上から動けないからだ。僕だって行けるものなら行きたい。でもある時に重度の心臓病だと医者に言われてからは、このベッドの上が生活の全てになった。

 はじめの頃は、なんで僕だけがこんな目に合わないといけないんだと嘆いてばかりの日々が続いた。でも、あるとき、ふとこれを受け入れるしかないなと思った。それからは、このベッドの上という世界での楽しみ方を探している。

 ある日、父が息子に少しでも元気を出してもらいたいと思ったのか、僕にプレゼントをくれた。そしてそれが今の僕の一番の楽しみになっている。それがこの望遠鏡。天体観測で星を大きく見るための白くて長い筒に足が3本生えているあれだ。昔から星を見るのが好きで、よく父に星が綺麗に見えるところに連れて行ってほしいとお願いしたものだ。部屋の本棚にも星に関する書籍が何冊もある。それを知っている父が色々と考えて、これを僕にくれたわけだ。

 この望遠鏡を使って、毎日毎日星を観察し続けた。本で見るものとは違い、自分の目で見る感動は大きかった。ただし、この楽しみには1つだけ問題があった。それは、昼間は星が見えないことだ。

 そこで、あるときからその望遠鏡を使って町の様子を観察するようになった。最初は昼間の退屈しのぎの思いつきだったが、うちの家が町を一望できる丘の上に立っていることもあって、思いのほか楽しかった。公園で遊んでいる小さい子供たちを見たり、井戸端会議をしているお母さんたちが何を話しているのか想像するだけでもワクワクした。


 ある日、いつものように昼間から望遠鏡を使って、うちよりずいぶん離れた向かいの高台の様子を適当に眺めていた。この時期の高台は、桜がとても綺麗で、どこに向けても淡いピンクに染まった桜の木が目に入ってくる。そうやって今日も何か楽しいことはないかと探っていたとき、途中でキラッキラッと光る何かが目に入った。どうも不自然な光に感じた僕は、望遠鏡で見える範囲を広げて光の出どころを探した。少し時間がかかったが、ついにそれらしいところを見つけ、グッと拡大しながらピントを合わせた。ぼやけていたものが鮮明になったその瞬間、そこに映るものに驚き、とっさに望遠鏡から目を外して姿を隠した。心臓がバクバク鳴って、体全体に振動が伝わってくるのを感じる。頭が混乱してどうしたら良いのか分からなかったが、ひとまず5分待とうと時計の針が動くのだけをじっと見つめていた。いつもより時計がゆっくりに感じた。

 予定の5分が経過し、心臓もやっと平常運転に戻ったようだった。医者からは激しい運動は絶対にしてはいけないと言われていたが、まさかベッドの上でこんなに心臓に負担をかけることになるとは思ってもいなかった。でも大丈夫。僕の心臓はしっかり動いている。そして、再び望遠鏡を恐る恐る覗き込んだ。

 ただし、まだそこに僕を驚かせたものが存在していた。女の子がひとりこっちを向いて手を振っている。そして、隣には僕と同じく望遠鏡が置いてあり、先端はしっかりこちらを向いていた。またバクバクと激しく心臓が鳴った。それでも、今度は勇気を出して、その場に踏ん張るように留まった。

 そこに映る女の子の年齢は、僕と同じくらいだろうか。ショートカットに眼鏡をかけてパジャマ姿。ニコニコとこちらに笑いかけてくる。ただ、これだけ離れているわけだから僕のことが見えるはずがない。僕が見ていると分かっていてやっているわけだ。すると、女の子は隣にある望遠鏡を覗き込みながら手を振ってきた。僕もそれにつられてとっさに手を振り返した。今度は、こちらを見て何か口をパクパクさせている。何かを伝えようとしているようだ。そして、ひらめいたとばかりに手のひらを叩くジェスチャーをして、小走りにどこかに行ってしまった。とても表情が豊かで、見ているだけでも心が弾む感じがする。ふと、ずいぶん前に父が見せてくれたチャップリンの映画を思い出した。

 しばらく待つと、これまた嬉しそうな様子で戻ってきた。一度望遠鏡でこちらの様子を確認すると、窓際に向けてマジックで文字が書かれたキャンパスノートを掲げた。そこにはこう書いてあった。

「私は、小林陽向こばやしひなた。ずーーーーーと、あなたのことを見てたよ!」

 それを読んで、お腹のあたりから頭の先に向かってぐっと体が熱くなるのを感じた。そして、僕も何か返事をしないといけないと思い、机の上に置いてあったノートの最後のページを勢いよく破り、サインペンでこう書いた。

「僕は、佐藤流星さとうりゅうせい。よろしく」

 焦りと手の震えもあってひどい字だ。それでも早く返事をしたくて、それをそのまま窓際に掲げた。心の中で5秒くらい数えて、そしてまた望遠鏡を覗き込んだ。彼女は、何度も小さくジャンプしながら、こちらに向かって大きく両手を振ってみせた。こちらこそよろしくと伝えている気がした。

 僕たちは、その後も何度も何度も紙とペンを使った筆談を繰り返した。そして、夕方になって、相手の掲げる文字がよく見えなくなってきたところで仕方なくそれを終えることにした。やりとりの最後の「また明日ね」という文字に心が跳ねるのを感じたが、表情には出さずに「おう」とだけ書いて伝えた。

 その日はなかなか寝付くことができなくて、彼女とのやりとりを何度も思い返した。彼女について分かったことは、僕と同じように重い病気があって、ベッドの上で生活をしていること。そして、僕と同じように望遠鏡を持っていて、1ヶ月くらい前から望遠鏡を覗き込んでいる僕の存在に気づいていたこと。ずっと見ているうちに、どうしても気づいてほしくなって、鏡を使って僕に合図してくれたこと。そして、ついに今日気づいてもらえたこと。あとは、陽向ちゃんではなく、陽向と呼んで欲しいこと。まずは、そんなところだ。同じ境遇だからか、とにかく彼女と筆談していると楽しい。いや、単純にあの笑ったときの彼女の顔を見るのが楽しいのかもしれない。もし今日の心臓の運動量を医者が測定していたら、びっくりして家まで駆けつけてきたことだろう。それだけドキドキの連続だった。それでも、ここ最近で一番体が軽く感じた。心臓病なんていうのは嘘だったのではないかと思えるほどだった。そんな弾む気持ちを何度も抑えようと自分に言い聞かせつつ、それでも今日の余韻を楽しみながらわざと時間をかけて眠りについた。


 次の日から毎日が楽しくなった。望遠鏡を覗く先は決まっている。今日も彼女との筆談が弾む。好きなゲームに嫌いな食べ物、そんなどうでもいい話題で盛り上がる。そして、それが毎日のように続いた。さすがに何日も経つと、スケッチブックやノートの切れ端では都合が悪くなり、筆談の手段は何度も消せるホワイトボードに変わっていった。1ヶ月ほど経ったある日、いつもの時間になっても彼女がカーテンを閉めたまま姿を見せないときがあって心配したが、それでも2時間ほどしていつもの笑顔を見せてくれた。なんでも病院に通院で行っていたらしい。たった2時間でもこんなに心配になるなんて、僕にとって彼女との筆談はそれだけ欠かせない時間になっているということなんだろう。いや、陽向との時間が、なのか。



 2ヶ月も経ったころ、さすがに最初のときのようなペースで筆談をし続けることはなくなり、毎日午後3時から1時間くらいと時間を決めて筆談するようになっていた。お互いに飽きてしまったというよりは、学校の友達みたいにいつでも話ができる関係という安心感がそうさせた。もっと簡単にメッセージを送り合えるスマホがあればと思ったこともあったが、さすがに毎日ベッド生活で、外出するときは親と一緒なんて生活をしていたら、それが欲しいとお願いする理由が見つからない。一応、僕にはパソコンがあったが、彼女はそういったものは何一つもっていないようだった。そうはいっても、メッセージやメールでの連絡をすることになったら、彼女の笑顔が見られなくなってしまう。それを考えたら、簡単な連絡手段なんてむしろ無い方がいい。今の望遠鏡を使った筆談生活の方が楽しいに決まっていると思った。あとは、スマホを使うことで陽向とのやり取りが親にバレたら、この関係も続けられなくなるのではないかという不安もあったからだ。そして、この楽しい関係は少しずつかたちを変えながらではあったが、二人にとっての日常となって続いていった。ただ、そんな日々がずっと続くと思っていたのは僕だけだったのかもしれない。


 12月も中旬になった。この時期にもなると、エアコンをつけっぱなしにしていても窓際は冷気が滝のように降りてきてかなり寒い。それでも、厚手の上着に手袋を身につけて、万全の準備で陽向が顔をのぞかせるのを待った。ただ、その日、陽向は現れなかった。急に用事でもできたのか、またはうっかり眠ってしまったのか、そんな想像をしたところで解決しないことは分かっているが、頭の中をグルグルと回り続けた。気になって、その日は日が暮れるまで何度も望遠鏡を覗き込んだ。ただ、一度もカーテンが開くことはなかった。こんなことは彼女と出会ってから初めてのことだ。彼女に何があったのだろうか。その晩は、なかなか眠りにつくことができなかった。実は、なんと、まさか、なんて後ろ向きなことを頭が勝手に提案してくる自分にイライラした。たった一日だけ、たまたま、うっかり、そんな前向きな理由を無理やり想像して、なんとか心を落ち着かせようと努力したが、それでも眠るまでにずいぶんと時間がかかった。

 翌日、いつもの時間が来るまで待ち遠しかった。今日は陽向は来るだろうか。そんなことばかり考えてしまい、気を紛らわせるために読み始めた小説も全く頭に入ってこなかった。そして、いつもの約束の時間になった。だが、陽向が来ない。今日も来なかった。ずっと待っていたが、一度も顔を出してくれることはなかった。2日連続ともなると、さすがに彼女に特別な問題が発生したのではないか。そんな良からぬ情報が頭の中を激しく飛び交って気がおかしくなりそうだった。そして、その翌日も、またその翌日も、4日連続で陽向と会えない日が続いた。

 次の日、今日も約束の午後3時になってもやはり陽向は現れなかった。朝からなんとか平静を装っていた心がまた激しくざわついた。そして、今日はもう待つことをやめた。急いでクローゼットを開け、外行きの格好に着替えた。月に1回、病院に通うためだけの服を、はじめてそれ以外の目的で着た。もちろん、目的は陽向に会いに行くことだ。もう居ても立っても居られない。彼女に何があったのか知る以外にこのおかしくなった心を休める方法はないと思ったからだ。はやる気持ちを抑えながら静かに部屋のドアを開け、足音を立てないように注意して階段を降りた。この時間は、父は仕事で出かけているし、母はいつものようにリビングで午後の連続ドラマの再放送に夢中になっているはずだ。1階の廊下を進み、リビングにつながるドアの前を通り過ぎるときは流石に緊張したが、僕が家を抜け出そうなんて想像もしていない母に見つかることはなかった。そして、ガチャリと遠慮なく響く玄関の音に固唾を呑みつつ、さっと外に出た。ふぅっとため息が漏れた。外は思ったより風が強く、ダウンジャケットの中にもう一枚着ておけばよかったと少し後悔したが、早く陽向に会いたい気持ちを抑えられず、そのまま小走りで道路まで出た。そして、いつも望遠鏡が指している方角に向かって歩き出した。


 ずいぶんと遠くまでやってきた。途中抑えられない気持ちが湧いてくる度に頑張って走ってみたが身体が言うことを聞かない。胸の痛みもあったが、それ以上に自分の体力が続かなかった。足はまるでついてこないし、すぐに息が上がる。その無力さに悲しくなり、同時に弱い自分への怒りを覚えていた。小さい頃に近くの公園まで歩いて出たことはあるが、こんな離れたところまで一人で来たことはない。僕の弱々しい足取りとはいえ、出発してから2時間近く経つわけだから10キロ近くは来ているはずだ。陽向の家がどこにあるのか、望遠鏡では分かっていたが、実際に歩いてみるとよく分からない。目標にしていた桜並木を少し前に通り過ぎて、かなり近くまで来たことは分かっているが、周りは同じような家ばかりに囲まれていて見分けがつかない。夕方の5時にもなると辺りも薄暗くなり、周囲の目視確認もままならなくなってきた。しばらく近くをグルグルと回ってみたが、さすがにこれではらちが明かないと思い、勇気を出して偶然通りかかった子犬を散歩している男の人に声をかけた。普段ならそんなことはできない僕だが、今日はそれどころじゃなかった。

「すみません。このあたりに小林さんのお家はありますか?」

 息切れと緊張からくる声の震えがあいまって、ずいぶん聞き取りづらかったと思う。それでも、2度伝えたところでなんとか伝わった。

「小林さんっていうと、あの病気のお子さんがいるお家かな?」

 それを聞いて、激しく首を縦に振った。息が詰まって言葉がついてこなかった。そして、その男の人から詳しい道順を聞き、繰り返し口に出して覚えた。今いる道路を進んで左手にある階段を登っていって、登った先を右に曲がって三軒目。感謝の言葉もほどほどに、僕は先を急いだ。そして、言われた通りに歩いたその先に、何度も望遠鏡で見ていたその家が建っていた。少し変わったアーチ状の屋根、陽向の家に間違いない。そして、辿り着いた嬉しさと同時に、抑えていた強い不安が心の奥からドクドクと込み上げてくるのを感じた。

「ピンポーン」……。

 震える手でインターホンのボタンを押した。しかし、反応がない。家の前のガレージに車が1台も止まっていなかった。もしかして外出しているのだろうか。

「ピンポーン」……、「ピンポーン」……。

 それでも諦められない僕は、何度もインターホンを押して、しばらく待ってみたが、やはり反応はない。家族は外出しているが、陽向はベッドから動けずインターホンに出られないのではないかと思い、少し玄関から離れて二階の窓から明かりが漏れていないか確認した。まだ少し外が明るいとはいえ、目を凝らしても明かりがついているようには見えなかった。僕は途方に暮れた。無計画に家を飛び出してきてしまったが、心のどこかで陽向に会えるものだと信じていた自分が馬鹿だったと思えた。このまま陽向の家の前で待ち続ければ帰ってくるのだろうか。それはいつ。どれだけ待っても帰ってこなかったらどうする。そんなことを考えながら玄関先で天を仰いでいると、隣から急に「すみません」と声をかけられて身構えた。

「小林さんに何か用があるのかな?」

 買い物帰りなのか、両手に大きな袋をさげた女の人がこちらの表情を伺いながらそう言った。「はい」と言ってうなずいた僕に、こう続けた。

「私、隣の家のものだけどね、小林さん、つい先日引っ越しちゃったよ」

 その言葉を聞いて、僕は唖然とした。ここ数日、何度も脳裏をよぎっていたいくつかある悪い想像の1つが現実になった。すぐに、僕は聞き返した。

「どこに引っ越したか分かりますか?」

 すると少し困った表情を見せた後、こう答えた。

「詳しいことは近所の誰も聞いてなくてね。ただ、陽向ちゃんの療養のために自然が多くて空気がきれいなところに引っ越したいってずいぶん前に話してはいたけど」……。

 その言葉が僕の電源スイッチをオフにしたかのように、色々な情報がひっきりなしに飛び交っていた僕の頭が停止した。女の人は、少し心配そうな顔をしながらも、気まずい何かを払拭するように、よっこいしょと買い物袋をわざとらしく声に出して持ち直して、隣の家の玄関に入っていった。僕は、しばらくボーっと立ち尽くしていた。


 僕がやれることは自宅に帰ることだけだった。お金も持ってこなかったので、バスやタクシーなどに頼ることもできず、来た道を同じように歩いて帰ることにした。足取りは重く、来るときの倍は時間がかかるペースでうつむきながら歩いた。途中、家に着くのは夜の8時をまわってしまいそうだと思ったが、正直そんなことはどうでもよかった。それでも、15分ほど歩いて少し広めの道路に出てすぐ、1台の白い車が僕の歩いている少し前に停車した。その車から、父が姿を出して僕に駆け寄ってきた。その瞬間、僕はなぜか分からずに涙が溢れてきて、父の胸にしがみついた。何か言いたそうにしていた父も、僕のむせび泣く様子を見て「流星、大丈夫か。大丈夫ならいい」とだけ声をかけた。車の中でも、父は何も言わなかった。まるで何が起きたのかを知っているかのようだった。後になって聞いた話だが、父は僕が望遠鏡で陽向と交流していたことを知っていた。僕は上手に隠せているつもりだったが、毎日同じ方向に望遠鏡が固定してあって、ホワイトボード用のペンの消耗が激しいとなれば、さすがに察しがついたようだ。ただ、それでも僕には黙っていてくれたらしい。ここまで車で迎えに来てくれたのも、つまり偶然ではなかったわけだ。

 家に着くと、母にはひどく叱られた。母も父からそれらしいことは聞いていたようだが、それでも勝手に家を抜け出して行方不明ともなれば、感情を抑えておかえりなさいとは言えなくて当然だと思う。母のくしゃくしゃな顔を見ていたら、落ち着いた感情がぶり返し、また泣けてきた。それを見て「ごめん、ごめん」と母が言った。母は悪くないのに。その日は、さすがに疲れ切っていて、今日を振り返る余裕もなく、倒れ込むようにベッドに入ってすぐに眠りに落ちた。ここ数年忘れていたベッドの気持ちよさを感じながら。


 翌朝、気がついたときにはもう昼の1時を過ぎていた。途中、母が様子を見に来たようで、ベッドの脇のテーブルにはラップがかけられた昼ごはんが置いてあった。食欲は無かったが「少しくらい食べてね」とのメモを見て、よっこいしょと声を出して体を起こした。ただ、ひどく体が痛く、姿勢を変えるたびにギシギシと音を立てているように感じた。ラップを取り、お吸い物を一口飲んだ。少ししょっぱい味で、枯れ果てた体に染み渡る気がした。それと同時に涙の味を思い出して、またブワッと涙が目に溜まった。それから1時間くらいだろうか、天井を眺めながら昨日のことを振り返った。色々考えているつもりだったが、まるで水から湧き上がる気泡のように、浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返すだけだった。

 その晩、陽向のこと、そして昨日のことを両親に伝えた。そして、また会いたい、会うためにはどうしたらいいのか相談した。両親は、陽向が通っていた可能性がある市内と近隣の病院に手当たり次第に連絡してくれた。もしかしたら彼女の引越し先を知っているかもしれないと思ったからだ。それでも、全ての病院の回答は、あらかじめインプットされていたロボットのように、患者さんのプライバシーに関わることはお伝えできませんの一点張りで、僕たちには何もできないことを思い知る結果となった。



 それから時が流れ、2年と少しが経過した。僕は前に進みだしていた。未だにふとしたきっかけで彼女のことを思い出して、無性に心がザワつくことがある。それでも、前に進もうと決めてからは、すぐにその考えを振り払うようにしていた。僕は、現在高校1年生となり、学校に通っている。通っているといっても、今流行りの通信制で、自宅のパソコンから授業を受けている。国数英などの普通の教科もあるが、デザインを専攻しているので授業の半分近くは絵やイラスト、パソコンを使ったデザインを学んでいる。課題が大変なこともあるが、それでも学校での毎日が楽しい。パソコンの向こう側だけど、友達もたくさんできた。学校が休みの日でも、パソコンの中に集まってゲームをしたりくだらないお喋りをしている。まさか、こんな自分になっているなんて、3年前の僕には想像できなかったことだろう。こうなったのも彼女の存在が大きい。当時は、毎日が退屈で、本を読んだり外の景色を眺めたりするくらいしか楽しみがなかった。そんな僕に、人との会話の楽しさ、伝える楽しさを教えてくれたのが彼女だった。僕の気持ちを上手に伝えたい、相手に楽しんでもらいたいという一心で、ホワイトボードに書くための文章やイラストを独学で勉強するようになっていた。それが高じてデザインの学校に進むことを決めたわけだから、大きいというよりそれが全てかもしれない。両親にデザインが学べる学校に行きたいと伝えたときの驚く顔といったらない。母は笑っているのに泣いていたし、父はテレビを見ながら鼻歌を歌っていた。あの冷静な父がだ。それもこれも彼女のおかげだ。だから今は、彼女からもらった大切なこの気持ちに前向きに取り組んでいこうと決めて頑張っている。


 それからまた1年近くが経った。今日もベッドの上でパソコンを開いて学校に通っていた。今日は、この春に入ったばかりの新入生に向けた部活動のオンライン説明会。2年生になった僕も、サブカルチャー部という日本のゲームやアニメなどを研究する部員の1人として参加していた。研究というのは名ばかりで、授業が終わった生徒たちがパソコンで集まってゲームやアニメを楽しもうといった、いわゆる何でもありの部活だ。今回、特にやることもない僕は、脇においてある小説を片手に、ただの参加者の1人として説明会が始まるのを待っていた。しばらくすると定刻になったようで、新3年生の部長と副部長による説明が始まった。はじめは緊張していて何を言っているのかよく分からないところもあったが、次第に慣れてきてからは、楽しくワイワイと説明できているようだった。ただ、僕は窓から差し込む暖かい春の日差しに負けて、終始ウトウトしていてあまり内容を覚えていない。「これ以上質問も無いようなので、これで説明会を終わります」との声でやっと目が覚め、この説明会のビデオ通話を終了しようとした。ふと、画面右下に目をやると、この説明会に参加していた人からメッセージが届いていたことに気がついた。「あ、やばい、寝ていたことが先輩にバレていたかも」と思い、恐る恐るメッセージを開いた。だが、そこに書いてある思いがけない内容に、僕は勢いよく体を起こし、パソコンの画面を覗き込んだ。

「ずーーーーーと、あなたのことを見てたよ!」

 僕が、この言葉を忘れるはずがない。すぐに、ビデオ通話の画面に目をやった。説明会も終わり、次々に参加者の顔が映った画面が閉じていく。50人近くいた参加者も残り30人ほどまでに減っていたが、僕が探す名前が見つからない。「くっそぉ」と無意識に声が漏れた。

「ピコーン」

 また新しいメッセージが届いた。僕は、すぐにそれを開いた。

「おーい。そっちじゃなくて、こっちだよ」

 そして、その言葉の最後に、望遠鏡の絵文字がついていた。

 僕は、ベッドから跳ね起きて、部屋の隅でほこりを被っていた望遠鏡を抱えて窓際に設置した。そして、それを覗き込んで、数年前によく見ていた場所を必死に探した。興奮して手が震え、思ったように向きが合わない。一度、大きく深呼吸してから息を止め、望遠鏡の角度を細かく調整した。キラッと光る何かが見えた。そしてそこをグッと拡大してピントを合わせた。そこには、数年前の当たり前があった。当時と比べて背も髪も伸びているし眼鏡もオシャレなものに変わっている。顔の雰囲気も少し変わっていたが、そこに映る女の子を僕が見間違えるはずがなかった。陽向だ。

 とにかく興奮して、どうしていいか分からなくなった。ベッドの上に放り投げていたパソコンからメッセージを送ろうとしたが、ビデオ通話はすでに終了していた。以前使っていたホワイトボードももう捨ててしまったことを思い出し、慌てて机の引き出しからスケッチブックを取り出した。そして、「僕は、佐藤流星りゅうせい。よろしく」と書いて窓に掲げた。望遠鏡を覗き込み返事を待った。すると「おう」とだけ書かれたホワイトボードをこちらに向けて掲げ、ケタケタと笑っていた。そして僕もそれに合わせるようにわざとらしくケタケタと笑ってみせたが、それは溢れてきた涙をこらえるためだった。


 僕と陽向の日常が戻ってきた。スマホやパソコンのビデオ通話という方法に変わってしまったが、望遠鏡にホワイトボードより便利なのは言うまでもない。陽向の笑顔も画面越しにずっと見ていられる。僕は陽向と再会してすぐに、どうしてあのとき一言も相談なくいなくなったのか聞きたくなかったが、その言葉をグッと飲み込んでいた。それを聞いて何かが変わるわけではないし、陽向が話したくなったときでいいと思ったからだ。分かったことは、引っ越した後は家を他人に一時的に貸し出していたが、陽向の体調が良くなってきたところで、再び自宅に戻ってきたとのことだった。

 両親に再開したことを伝えたことで、陽向とは家族ぐるみでの付き合いも始まった。ただし、この関係がまたいつどこで終わってしまうかは誰にも分からない。今は調子の良いこの心臓もずっと元気に働いてくれる保証なんてどこにもない。もしかしたら、それは明日かもしれない。それでも僕は、今この与えられた時間の中で、陽向や友達、そして両親にとって必要とされる存在になれているのであれば、それだけでいいと思っている。夜空をかける流れ星が、その燃え尽きるまでの一瞬でみんなに夢と希望を与え、その先の人生に影響を与えていくように。


 おわり


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