第6話 海妖ヒュドラ・サラサ襲来です! その2
「……だろうな」
あっさりと頷いたアクイラさんは、魔封石式ピストルを一度また懐にしまい直しました。
私たちを追いかけて看板に出てきたシュエットさんが近くにいるのを視線の端で確認して、紫の魔封石をはめ込んだ腕輪をつけた左手を顔の高さまで持ち上げます。
これは発動させると一定のあいだ伝声管の子機になると、船に乗ってすぐシュエットさんが教えてくださいました。
ヴェルガーさんが作成された物だそうで、船長のアクイラさんはもちろんこの船の皆さん身に付けていらっしゃいます。実は、初日に支給していただきましたゆえ私も。
「ファルケ、ヴェルガー。聴こえているか」
『聴こえてるよ。ファルケも、返事する余裕はないみたいだけど——』
『バッチリ聴こえてる! 心配無し!』
『……だってさ』
ファルケさんのお声、本当に余裕がない……!
でも、心配させまいとお返事をしてくださったのですね。一刻も早く何とかしなければ!
「今から魔封石式小型船舶を出してあの海妖を引き付ける。その間にミグラテール号をできる限り遠ざけろ」
『は……? ちょっと待って、アクイラ。それは』
「搭乗者は俺と」
「私、エンテが務めます!」
通信しているアクイラさんの腕に飛びつき、波と風の音に負けない大声を張り上げました。
『はあ⁈』
「エンテちゃんッ⁈」
通信ごしにも分かる動揺されまくりなファルケさんのお声と、すぐそばまでやってきたシュエットさんの声が重なります。ヴェルガーさんは声こそ出されませんでしたが、息を呑まれたのは雰囲気で分かりました。
皆さんの反応はごもっともですが……これはこの船と船のみんなを守る、船長たるアクイラさんと海妖対策士のお仕事です!
『本気で言ってる?』
ヴェルガーさんの静かな言葉は、私に対してなのかアクイラさんに対してなのか分かりませんでした。おそらくは両方なのでしょう。なので、私は「はい!」と元気にお返事させていただきます。
アクイラさんは当たり前だ、と短く返したのみで、すぐに小型船のほうへと向かわれました。
私も急いであとをついていこうとしたところで——「待って、エンテちゃん!」とシュエットさんに呼び止められ、振り返ります。
「アクイラはともかく……キミまで、は、ちょっと……」
「ご心配はもっともです。でも、私は海妖対策士ですので! アクイラさんをばっちりサポートしてお守りしますよ!」
「いや、そうだけど……そうじゃなく……! ……ああ、もう!」
おっしゃりたいことが上手く出てこないのか、赤茶色の髪をぐしゃぐしゃかき混ぜて唸るシュエットさん。
さっきたくさんお話しして、私が何のためにここにいるのかをよく理解してくださっているからこそお気持ちが心配とで板挟みになっているのですよね。
ややあって、シュエットさんは大きく息を吐き出して。
「怪我、しないようにね。したとしても……即死以外は俺が何とかする! アクイラにも伝えて!」
「了解しました! お手を煩わせないよう出来る限り無傷で帰還いたしますし、アクイラさんも引き摺ってでも連れ帰ります!」
「是非よろしく!」
半ばやけくそ気味に親指を突き立てるシュエットさんは、なんとも言えないお顔をしてらっしゃいました。腕輪を通して、向こう側で押し黙っていらっしゃるのが分かるお二人もきっと同じようなお顔をしているでしょう。
そんな顔をさせてしまうようでは、私もまだ未熟者ですね。精進あるのみ!
「シュエットさん! ……聞こえてますよね、ファルケさんにヴェルガーさんも!」
「ッ、はい⁈」
『もちろん聴こえてるよ』
『なに⁈ なんだエンテ⁈ 遺言とか言うなよ絶対聞かねーからな!』
即座にお返事を返してくださる御三方、本当にお優しい!
……ええ、さっさと先に行っておきながら、こういう時には急げとか早くしろとか怒鳴ったりせず離れたところで私を待っていてくださる某船長様も。
——だから私は、私にできることであなたがたを海妖から守りたい。
お兄ちゃんのような目には遭わせません。
「行ってきます!」
◆ ◆ ◆
「……まさかお前が操縦する側になるとは思っていなかったな」
「え⁈ 何かおっしゃいました⁈ すいません、風と水音すごくて何も聴こえなくて!」
「いや何も」
魔封石式の小型船舶は、正直いって船と呼べるような形をしていません。
船底こそまあ似たような感じですがもっと小さくシュッとしていて、把手を握って二輪自転車のように跨って乗るものです。
船体に水と風の魔封石を併せて組み込むことで、取り込んだ水を後方から高圧力で噴出し進む船。
普通の船では到底出せない速度を叩き出すことができ、かつ小型なため小回りも効きます。
短所といえば、燃費が悪いので長時間乗り回すには向かないことですが——こういう時には何よりもってこい!
「操縦のことならご心配なくー! 研究のため海に出るとき、しょっちゅう乗ってましたのでッ!」
「ああ、それで慣れてるのか。そういえばこれは研究所の購入率が高いと聞いたことがあるな」
「そうなんですよ! 魔封石式小型船舶は割と安価ですし、何より尋常じゃない速度が出ますのでね! 海妖に追いかけられた時なんかには最適です!」
「今みたいにな」
「まさに! ていうかバッチリつられてこっちに来てくれてよかったー!」
私の肩に手を置いている後ろのアクイラさんと大声でお話ししながら、右手側の把手を回して速度を上げます。
ちょっと危ないので今は振り返ることはできませんが、聞こえてくる唸り声や水音からしてヒュドラ・サラサは間違いなく私たちの方を追いかけてきてくれている模様ですね。
目をつけた船から小さな獲物が飛び出してくればそっちのほうが捕まえやすいと踏んで目標変更してくるだろうと思っていましたが、目論見通り。
あの巨大なヒュドラ・サラサがものすごい勢いで追ってきているのを空気で感じます。ですが、そう簡単に追いつかれてなんてやりませんよ!
「ミグラテール号を自在に操るファルケさんの足元にも及びませんが……魔封石式小型船舶に関しては! 海妖対策研究所のスピードスターと呼ばれた私の腕前、ご覧あれです!」
「アヒルも案外泳ぐのは早いしな」
「今は! そんな場合ではないので! 聞き流して差し上げますねッ!」
一言わたしをアヒル扱いしなければ死ぬのでしょうかこの船長様は⁈
思うところはありますが自分で言ったとおり今はそんな場合じゃないので、とにかく操縦に集中します。船からはおそらくもう十分引き離せたと思うので、このあとが肝要。
把手を握りしめ直し、アクイラさんに呼びかけました。
「アクイラさん。先ほど船室でお話ししたことは覚えておいでですよね?」
「ああ」
「では、このあと急旋回してヒュドラ・サラサに正面から突っ込みます。直前で停止するようコントロールしますが……向こうは私たちを捕まえられるとみるや捕食体勢に入るはず。そうしたら、お願いします」
少しだけ速度を落として、旋回してもバランスを崩さないよう整えて。
バクバクと煩くなる心臓の音を聞きながら、大きく深呼吸しました。
「分かっている。——海妖対策士の言うとおりにしよう」
少しだけ振り返った目の端に、拳銃を片手に綺麗に微笑むアクイラさんが映りました。
……本当に、ええ本当に、そんな場合ではないのに。
ここで美人のそういう顔は本当に卑怯ですね!
「……頼みましたよ!」
言い切って、把手を思いっきり倒して急旋回。
ものすごい負荷が身体にかかってきます。私の肩を押さえるアクイラさんの手にも力が籠ったのが分かり、次の瞬間には波を切る巨大な影が目の前にありました。
太い胴体から九つに分かれた頭。燃える火のように光る赤い目がこちらをまっすぐ捉えています。
わずか、突然向きを変えてきた獲物に戸惑ったようにも見えましたがそれも一瞬。
肌がひりつき鼓膜が破れるかと感じるほどの鳴き声を上げ、闇に黒く染まり始めた海面を長い尾で叩き付けて。
複雑に蠢いていた九つがまるで手のひらを広げるがごとく方々にまっすぐ伸び——真ん中の頭だけが大口を開けて鎌首をもたげました。
「そこです!」
私が叫んだのが早かったか、私の肩を引き寄せて代わりに前に乗り出したアクイラさんが引き金を引くのが早かったか。
魔封石に残ってる使用回数ぶんの魔法全てを叩き込んだと思われる風の弾丸が、ヒュドラ・サラサの中心の頭を吹き飛ばしました。
今度はもう、金切り声は聞こえません。
ビクビクと数度震えたかと思うと……ヒュドラ・サラサの身体は、伸ばし切ったまま静止した残り八つの頭と共に海に倒れました。