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第5話 海妖ヒュドラ・サラサ襲来です! その1

「あ……りがとう、ござい、ます……」


 いや嬉しいんですよ。ビスケット美味しかったですし、何よりアクイラさんが気遣ってくださったことが素直に嬉しいんです、けど。

 でも何だか照れ臭さもあってですね。

 ゴニョゴニョと蚊の鳴くような声でお礼を言うのがやっとでした。ビスケット自体はやはりとても美味しかったので秒でなくなりましたが、はい。

 いや落ち着きましょう私、と大きく一度深呼吸をして——……あれ?


「……何だ?」


 違和感に私が深呼吸を半端に止めたのと、アクイラさんが周りを見回したのはほぼ同時でした。

 カタカタと今までより激しく揺れ出したカップやお皿を慌ててかき集め、シュエットさんが「なんか急に速度上がってない?」と訝しげに呟きます。


「やっぱり、気のせいじゃないですよね……? 船、いきなりスピード出してらっしゃるような……」

「だよね。ちょっとこれは……普通じゃないよアクイラ」

「分かっている」


 頷いて立ち上がったアクイラさんが、壁に設置されている伝声管に触れるよりも早く。

 声を聞き取りやすく、より遠く大きく伝搬できるよう伝声管に備え付けられた魔封石(リートス)が光り——『緊急事態発生』とヴェルガーさんの緊迫した声が響きました。


「聴こえている。ヴェルガー、何があった?」

『アクイラ? 他のみんなも同じところにいるのかな。それならそのまま聞いて。この船は今、()()()()()()()()()()()()()()()

「えっ⁈」


 反射的に引き攣った声を上げられたシュエットさん。アクイラさんも僅かに眉を顰められています。

 ……悪い予感のほうが的中してしまったようで、私も心臓をギュッと掴まれたような気分になりました。しかも()()()、……とは。


『対象はまだそれなりには遠い。こっちに向かってきてるのを俺が見つけてすぐ、ファルケが速度を上げてくれたからね。だけどこのままだと追いつかれるのも時間の問題かも』

「巨大な海妖と言ったな。何なのか目星はついているか?」

『……見たことないくらい大きいけれど、あれはたぶんヒュドラ・サラサだと思う。九つの頭がある影がギリギリ視認できる」


 やはり。

 船を追いかけてまで襲おうとしてくる海妖となれば、積極的に人間を捕食するヒュドラ・サラサだろうと思いました。

 ましてや今は繁殖期にあたるだろう春先。気も荒くなるしより多くの栄養を求めるようになるしで、出会ってしまう確率は決して低くありません。

 ヒュドラ・サラサの平均的な体格はヒグマ程度のものですが、年々平均を超えた大型個体が増加傾向にあります。見たことがないほど、とヴェルガーさんが評したということは平均サイズの比ではないのでしょう。


 私は椅子の下に下ろしていた仕事鞄を掴み、斜めがけして立ち上がりました。

 アクイラさんがチラリとコチラを見たのに気付いたので、力強く頷いて見せます。


「あっちょっ……二人とも⁈」


 心配そうなシュエットさんの声を背中に受けながら、私たちは同時に外へと駆け出しました。

 ほぼ日は落ちかけていて、火事のように濃いオレンジが水平線を染めている中。

 甲板を駆け抜けて船尾に到達すると同時に、夜になりかけて紫がかった空の色を映し込んだ海水をざぶざぶと激しく波立たせながらこちらに迫ってくる影。


 逆光で真っ黒な、頭と思しきものが九つの巨大な海蛇のシルエット。

 間違いなくヒュドラ・サラサでしょうが……いや、大きすぎません⁈


「なんッ……なんですアレ⁈ ヒグマどころじゃないですよ、ちょっとした船くらいありませんか⁈ すごい!」

「興奮している場合か?」

「はっ……すみません、つい研究者目線に……!」


 いえ本当にそんな場合じゃないのは百も承知なのですが!

 しかし、あのヒュドラ・サラサは私が今まで観測した中でも最大級の大きさです。波を切る音に混ざって鳴り響いてくる地鳴りのような鳴き声のおぞましさも天下一品。


 あんなものに追いつかれ乗り上げられようものなら船は無事では済まないでしょう。

 それを分かっているからこそ、今ごろブリッジのファルケさんが一生懸命に全速力で航行してくれているのです。ヴェルガーさんもきっとその側で彼のサポートをしているはず。

 速度が速度なだけに船の揺れも風も中々のものなのですが、柵を掴んで足を踏ん張って必死で耐えます!


「その調子で掴まっていろ。振り落とされるなよ」

「ご心配なく! 研究のための航海で嵐に見舞われたことも、一度や二度じゃございませんのでッ!」

「それは結構。肝の据わり方も一級品だな」

「あ、いま肝の据わり方()って言いました? 言いましたね? 褒めましたよね……ッわあああまた速くなったー! どんだけスピード出るんですかこの船ッ! これ大丈夫なやつです⁈」

「ヴェルガーの整備とファルケの操舵技術を舐めるなよ」


 淡々と言いながら、この不安定な船の上でアクイラさんは懐から銀の装飾が施された拳銃を取り出します。

 普通ならば火打石(フリント)がセットされている撃鉄部分に取り付けられているのは、かの人の目と同じ空色の魔封石(リートス)


「ハンター御用達の魔封石(リートス)式ピストル! アクイラさん、それ……!」


 使えるんですかと聞くよりも引き金を引くのが早いの、さすが船長様だと思います。

 火皿に叩き付けられた魔封石(リートス)が一瞬眩しく発光し、圧縮した風の魔法で出来た弾丸が射出されました。


 拳銃では考えられないほどの射程距離と威力を誇る魔封石(リートス)式ピストルは扱いがやたらと難しく、素人がいきなり持たされて使えと言われても無理です。

 反動でひっくり返るし、的に当てるどころか安定した威力を出すのすら難しい。しかしアクイラさんは揺れの中微動だにせず撃ち放ち——弾丸はみごと、波間から覗くヒュドラ・サラサの頭の一つに命中しました。


 対象の体内にめり込んだ途端に風魔法の弾丸は圧縮を解き、小規模な爆発を起こしたかのように内部から海妖の頭を切り刻みます。

 衝撃と痛みにでしょう、ヒュドラ・サラサが金切り声を上げて動きを止めました。その隙に船はぐんぐんと進んで距離を離しますが、……それもわずかなこと。


「……いっそ羨ましくなるほどの再生力だな」


 舌打ちするアクイラさんのおっしゃる通りです。

 風魔法の弾丸で頭を一つ吹き飛ばされても、彼らヒュドラ・サラサには大したことではありません。金切り声が徐々に通常の地鳴りのような声に戻っていくと共に、ズタズタになったはずの頭が()()()()()()()()()()のですから。


「ヒュドラ・サラサの再生力はいずれ人間の再生医療にも応用できるのではと言われていますからね。我々海妖対策研究所だけでなく、医療機関も生け取り個体欲しいって言ってたなあ……」

「未知の大陸ではとっくに医療に使われていたりしてな」

「有り得ますねえ。夢のあるお話です!」

「まったくだ」


 軽口を叩いている間にも、もう一発。今度は向かって左端の頭が吹き飛びましたが、これも瞬く間に再生してしまいます。

 その都度ヒュドラ・サラサは動きを止めるのでちまちまとした足止めにはなるものの、魔封石(リートス)には使用回数制限がありますしいつまでもこれを繰り返しているだけでは根本的な対策になりません。


「アクイラさん。やはり、先ほどお話しした手を使わなければならないと思います」


 それには、少し、いやかなり。

 リスクがありますが。

 斜めがけした仕事鞄の紐を握りしめ、深呼吸して、緊張から高鳴る心臓を鎮めようと努めます。

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