9. 寄り添う星2
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ふぅ、と溜め息を吐いて、なずなはアパート内の階段に腰掛けた。
目玉というか、イベントで一番人が呼べるのは紫乃だろう。キッチンカーでも宣伝してくれているので、その流れで、少しでもメゾン・ド・モナコへ目を向けてくれれば良いが。
そんな風に、どうしたらお化け屋敷と呼ばれるこのアパートに人を呼べるか考えていると、ふと、友人達の顔が浮かんだ。
連絡、してみようかな。
そう思ってスマホを手に取るも、何となく気後れしてしまう。
夢への道を絶たれた時、良くない事ばかり考えていた。皆に必要とされない、迷惑なのかもしれないと思えば、連絡を取る気持ちになれなかった。
その気持ちは、まだなずなの中に燻っている。
皆、頑張って前に進んでいるのに、自分だけが何も変わってないみたいだ。
「おい」
声を掛けられ、なずなは驚いて振り返った。そこには猫姿のナツメがいて、なずなは階段の前からどいた。廊下の床を拭いていた途中だった。
「ごめんね、邪魔だったね」
「…お前、歌下手だよな」
「…あ、はは、ごめん。もしかしてうるさかった?」
あれからギターに触る事が日課になっていた。ハミング程度だったが、集中するあまり歌を口ずさんでいたかもしれない。
ギターに触れて音に包まれていると、心が安らいでいく。上手い下手は抜きにして、根っからの音楽好きだと、自分でも実感していた。
「違ぇよ。悪くないと思ったから、あの曲」
「え、」
「優しい、良いメロディだ。歌は下手だけどな!」
そっぽを向きながら、それでもナツメは気持ちを伝えてくれる。例えぶっきらぼうな言葉でも、あのナツメが褒めてくれたと、なずなには単純にそれが嬉しかった。簡単に他人を認めないナツメだ、自身の事だって簡単に認めようとしないのは、部屋中に貼られた決意の言葉の数々を見れば良く分かる。
ナツメはアイドルで、プロのアーティストだ。ナツメの歌は、聞く人の心を、底の方から震わせていく。彼は歌心がある歌い手で、歌う事が本当に好きなのだと、思った記憶がある。
だから、嬉しかった。否定されたと思った曲が、自分が夢中で注ぎ込んだ過去の日々が、そのたった一言で報われた気さえする。
思わず涙が込み上げそうになり、なずなははっとして小さく頭を振った。ナツメもそっぽを向いているので、気づきはしないだろう。
もし気づかれたら、今の言葉を茶化して撤回されてしまいそうな気がして、なずなはその前にと、こっそり涙を呑み込み、ナツメの言葉を大事に胸にしまった。
「お前のバンド、いい曲歌ってたんだな。…このままでいいのか?」
「…え?」
思わぬ言葉に、なずなはきょとんとした。
胸にしまった傍から、ナツメが過去を、その熱を灯そうとする。
「…だって、私歌えないから」
思わぬナツメの言葉に、なずなの胸は震えたが、すぐに現実が熱を奪っていく。なずなには、歌ってくれるボーカルがいない。
「…ほら、下手だから歌」
苦笑うなずなに、いつの間にか人の姿に戻ったナツメは、難しい顔をしながら腕を組んだ。
「それでいいのか?その曲は、そのままで良いのか?納得出来てるのか?」
「だって、」
「頼めばいいじゃん、誰かにさ、歌える奴に」
「そんな人いないし…」
なずなは友人付き合いを断っている状態だ、こんな時に頼れる人のあてもない。あるとしたら、実家の定食屋の常連さんだろうか、誰か一人くらいは、歌ってくれそうだが…。その前に、いい加減現実を見なさいと、母親に料理修行を受けさせられそうだ。
なずなとしては、思い浮かぶ現実を伝えただけなのだが、ナツメはその答えにムッとして、なずなの前に回り込んだ。
「俺がいるじゃん!歌ってやっても良いって言ってんの!」
「え、」
それは、考えもしなかった。だってナツメはプロだし、そもそもナツメが自分の為に何かをしてくれるなんて、失礼ながら思いもしなかった。
なずながぽかんとしてると、ナツメはなずなの手を引いて階段を上がっていく。そのままなずなの部屋に入ると、立て掛けていたギターをなずなに押し付けた。
「いつもの弾いて」
「え?」
「早く!」
「は、はい…!」
戸惑いつつ、なずながギターを弾くと、ナツメがそれに合わせて歌い始めた。その歌声に、なずなは驚いてギターを引く手を止めそうになった。
何故かナツメは、歌詞もメロディも完璧に覚えていた。
ナツメの柔らかな低音が深く体に染み渡り、熱の籠った高音が、心を揺さぶってくる。それは耳に心地よく、まるで語りかけるような温もりもあって、言葉以上の気持ちが伝わってくるようで。
アパートに居る時とは違う、ステージの上で見られるナツメの姿に、この曲がより一層特別に感じられて、なずなはまるで夢を見てるみたいだった。




