2. 一週間前のこと2
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なずなは先日、夢を失った。
高校生の時から、同級生と“かめれおん”というガールズバンドを組んでおり、なずなはギターと作曲を行っていた。
インディーズで地道に活動し、ライブでは固定客もついてきた中、ボーカルの瑠依がレコード会社から声を掛けられた。デビューへの誘いだ。勿論メンバー全員喜んだが、その誘いは、瑠依のソロデビューというものだった。それがデビューする上での、レコード会社からの条件だった。
瑠衣は歌が上手くて可愛いし、何より華があった。なずな達も、その華やかさを頼りにしていた部分もある。けれど、曲はなずなが作っていたし、皆で苦楽を共にしてきた。一緒に戦ってきたと思っていたのだが、瑠衣は一人、デビューの道を選んだ。
相談の余地も無かった。「新しいボーカルを見つけてほしい」その一言で、バンドは呆気なく終わった。
簡単にメンバーの替えなんてきかない、何よりボーカルはバンドの顔だ。そして、自分達が、瑠依とその歌声に頼りきっていた事を、こんな時になってようやく気づいた。瑠依なしで這い上がれるほど、なずな達には力がなかった。
支えを失ったバンドは壊れ、ドラムの明里は夢から覚めたと、故郷に戻る道を選んだ。
覚めたのは現実で、夢から無理矢理叩き起こされたという方が正しいのかもしれない。今まで頑張ってきたもの、積み上げてきたものが一瞬で崩れ落ちる。
情熱が覚めれば、残るのは空っぽの自分だけだった。
あの日。
朝の上野駅。街に漂う空気は、太陽もまだ微睡み、少し肌寒い。
明里の見送りに行ったのは、なずなだけだった。瑠衣とは連絡が取れなかった。
あんなに同じ時間を過ごしていたのに、こんなにもすれ違ってしまうのか。夢に振られ、友人まで失ってしまった。自分に才能があれば、こんな事にはならなかったのだろうか。
なずなは東京生まれ、こんな時、気持ちを切り替えて帰れる故郷はない。
「なずなはどうするの」
「…分かんない、突然すぎて。家に帰ったら店を手伝わされるし、結婚はまだかーって、親にもお客さんにも言われそうだし」
「なずなんとこのお客さん、みんな親戚みたいだもんね」
なずなの実家は定食屋だ。古くからのお客さんもついているので、家族構成から親子喧嘩の理由まで、何もかも筒抜けである。
それに、これを良い機会と捉え、母は徹底的になずなに料理の腕を叩き込もうとするだろうし、常連のお客さんに「結婚は、仕事は」と聞かれるのも、考えただけで溜め息が出そうだ。母も常連客も悪気はないのだが、未来がなくなった今、素知らぬ振りで傷を抉られる事には、耐えられそうもなかった。
「明里は実家の旅館、このまま継ぐの?」
「うん、親からは、私の才能じゃ音楽でなんて食べていけないでしょって、散々言われてきたしね…もう潮時かなって」
「…そっか、じゃあ今度泊まりに行こうかな」
「はは、サービスしちゃう」
「やった」
笑い合っていれば、そろそろ電車が出る時間だ。また連絡すると言って、最後も笑って手を振った。せめて、別れ際くらい明るく努めなければ。そうでなければ、自分達が夢を追いかけてきた日々が、懸命だった自分達が報われないような気がした。
明里が改札口に呑まれ姿が見えなくなると、なずなはそっと肩を落とした。途端に体が軽くなった気がする、これは悪い意味でだ。
何もなくなってしまった。溜め息を蹴飛ばし、駅の人混みをすり抜ける。
一日はまだ始まったばかり、先を急ぐ人々と逆行して歩く自分は、世の中から取り残されたような気分だった。
これから、どう生きていこう。
バンドが解散した直後は、まだ自分は終わってないと思ったけれど、知り合いから聞いた話では、プロとして活躍していく瑠依の曲は、自分が作ったものとは大分テイストの違うダンスナンバーだという。それを聞いたなずなは、改めて自分の楽曲が評価されていないと、現実を突きつけられた思いだった。
皆、落ちこぼれな自分を笑ってるかもしれない。そう思えば、誰かと連絡を取り合う事も怖くて、そんな気持ちでいるから、友人達からも連絡は来なくなった。
友達も疎遠、恋人もいない。
一人でぼんやりしていれば、自分は果たして、世の中に必要な存在なのだろうかと思えてくる。
苦しくて、考えてもよくない事ばかりで、でも生きていかなくてはいけなくて。
周りからしてみれば、何て事ないかもしれない、けれどなずなにとっては、音楽の道は人生最大のテーマで、目指すべき道だった。それなのに、その道が目の前まで来て途絶えてしまった。
自信は満ち溢れていたわけではない、でも、不安だけじゃない、希望があった。しかし、その希望すら失った今、なずなはこの先をどう過ごしていけば良いのか、分からなくなっていた。
音楽の事ばかり考えていたから、それ以外の未来なんて必要無いと思っていたから、それ以外の生き方が分からない。