3. 新しい日常9
「あら、準備がいいこと。滅多に持ち歩かないのに」
「もし、火の玉に出くわして捕まえられなかったら、証拠を収めとけってスマホ持たされてたんだ、あって良かったな」
ギンジが電話を掛けると、フウカがすぐに来てくれるとの事だった。
「という訳だ、大人しく待ってろ」
そう言いながら、ギンジは側のガードレールに腰かけた、帰らずに一緒に待ってくれるようだ。その姿に、なずなは少し嬉しく思ってしまった。少し前なら、なずなの事なんて放っておくか、火の玉男となずなを構わず一緒に抱えて強引に連れ帰る、なんて
されそうだが、今はなずなを気遣ってくれてるように感じる。
これも、ギンジとの関係が一歩前進した表れだろうか、そう思えば、感動すら覚えたなずなだが、今の状況を思えば、そんな能天気に感動している場合ではないと、慌てて気を引き締めた。
とりあえず道の端に避けようと、マリンが手を貸してくれる。先程まで痛みは感じなかったのに、冷静になると、ズキズキと痛みが増してる気がするのが不思議だ。足裏をつくと痛いので、爪先と踵を駆使して歩くなずなには、マリンの支えてくれる手は命綱のようだった。
ギンジとの関係の進歩に感動している場合ではない、今の自分は皆の手を煩わせている、そう思えば、ギンジやマリンの優しさが申し訳なくて、「すみません」と、なずなが項垂れれば、マリンは柔らかに微笑んだ。
「なずちゃんが謝る事はないわ。それより、一体何があったの?」
マリンは心配そうに言いながら、なずなをガードレールに寄り掛からせた。ちょっとだけ足が楽になり、少しほっとする。
「家に帰ったら鍵が開いてて、中も荒れ放題で、そしたら、あの火の玉がいて、」
「それで襲われたって事ね」
「なんで鍵が開いてると分かった時、すぐ俺達を呼ばないんだ!」
「ご、ごめんなさい…!」
「あら叱っちゃダメよ、まさか、こうなるとは普通想像つかないものね…でも、今度は用心しないとダメよ、それか、私達の目の届く所に居ないと…なずちゃんは目をつけられちゃったんだから」
「え、」
「…認めたくねぇが、俺達のせいだな…、釈だが、早いとこ真犯人を見つけねぇと」
ギンジが舌打ちながら言う。深刻な様子のマリンとギンジに、なずなは困惑した。確かに、狙われるかもしれないと聞いてはいたが、まさか本当に自分が襲われるとは、正直、思いもしていなかった。新しい日々に懸命で、アパートの皆とも徐々に打ち解けてきて、あのアパートで過ごす時間が楽しくて、だから、危険がある事なんて忘れてしまっていた。
目の前に立ちはだかる得体の知れないあやかし、もしマリン達が来てくれなかったらどうなっていただろう。それを考えれば、再び恐怖が駆け抜けて、体が震えてくるようだった。
「大丈夫よ、なずちゃん。もう大丈夫だからね」
なずなの様子に気付き、マリンはそっと背中を擦ってくれた。いつもはひやりと冷たいマリンの手が、今は温かくて、なずなは強ばった心がそっとほどけていくようだった。
「ありがとうございます、すみません」
「いいのよ、怖かったでしょう」
優しいマリンの声に鼻の奥がツンと痛んで、なずなは顔を俯けたまま頷いた。ホッとしたらまた涙が込み上げて、今度は涙が止まらなくて、そんななずなを、マリンは落ち着くまでずっと抱きしめてくれていた。
***
マリンのお陰で、なずなの気持ちが落ち着いてきた頃、フウカと猫の姿のナツメが二人で迎えに来てくれた。
「なずなさん、大丈夫ですか!?」
「おいおい犯人捕まえたのかよ!」
フウカとナツメの優先順位は違うようだ。
ナツメは猫の姿のまま、ギンジが捕らえている火の玉男に鼻先を近づけていく。不意に火の粉が上がると、驚いて飛び退いた。
「大丈夫だ、失神してる。こいつは犯人に使われてる下っ端だ」
「なんだ、下っ端かよ…!」
ナツメは威嚇したのも束の間、相手が失神してる事や下っ端のあやかしだと分かると、安堵したような肩透かしを食らったような様子で、前足で火の玉男の足を小突いている。
ギンジとナツメのやり取りを横目に、フウカは真っ先になずなの前にで膝をついた。
「怪我は?」
心配そうなフウカに、マリンが困ったように眉を下げた。
「傷を水で流す位しか出来なくて、なずちゃんいい?」
「は、はい」
足を少し動かすだけで、ズキッと痛みが走る。
「うわ、擦り傷がひどいですね…でも良かった、これなら治療出来ますね」
きっとフウカは、もっと酷い怪我を想像したのだろう。どこか安堵した様子ながらも、「でも、これは痛いですね」と、なずなを気遣ってくれた。
これくらいの傷で呼び出して、なんて、フウカは思わないだろうが、迎えに来てくれる事に申し訳なさを感じていたなずなは、そんなフウカの優しさにほっとした。それでも、何だか悪いような気になってしまう。
「…すみません、騒ぎ立ててしまって」
「何言ってるんですか、元はと言えば僕達と一緒にいたせいでしょう、謝らなければならないのは、僕達の方です」
「あ、謝らないで下さい!私は、皆さんとの暮らしは楽しいんですから!」
焦って言うなずなに、皆はきょとんとした。マリンは「あら」と微笑んでいるが、他の皆はそんな風に言われるとは思わなかったのかもしれない。何せなずなは、自分達と同じあやかしに襲われたばかりだ。




