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2. 一週間前のこと11


***



ガタ、と何かが動く気配に、なずなは目を開けた。一番に視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井だ。まだぼんやりとしている頭の中、ゆっくりと視線を動かすと、クローゼットの前に小さな背中が見える。白い髪の少年、ハクだ。


「あの、すみません、ここは…」


そう声を掛けると、小さな背中はびくりと震え、それから恐る恐る振り返る。大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、怯えきっている様子だ。


「あの、」

「ご、ごめんなさい!」


再び声を掛けると、ハクは慌てた様子で部屋を出て行ってしまった。ふと、彼が居た場所に目をやると、子供用の白いワイシャツが落ちている。なずなはベッドから出るとそれを拾い、改めて室内を見渡した。壁一面には、びっしりと本が詰まった棚があり、子供用の勉強机、丸々とした白い鳥のぬいぐるみ、おもちゃの飛行機。ベッドこそ大人のサイズだが、ここは子供部屋のようだ。


「…あの子の部屋?」


首を傾げつつ部屋の外に出ると、向かいにも同じようなドアが三つあった。なずなが出た部屋側にはドアが四つ、左を向けば、角にはトイレだろうか、それから階段が見える。右を向けば、突き当たりから空が見えた、そこはベランダになっているようで、洗濯物が穏やかに揺れていた。

階下へ続く階段を恐る恐る下りて行くと、リビングからマリンが出て来た所だった。その足にはハクがしがみついている。


「おはよう、昨夜はよく眠れた?」

「おはようございます。すみません、お世話になってしまったようで、」

「いいの、あなたは悪くないわ、気を失って当然よ。怖い思いをさせてしまって、ごめんなさいね」


眉を下げるマリンをおずおずと見上げる。この美しい女性は、体が水で出来ていた。獣の腕を取り囲むようにその体からは水が這い出し、ギンジに釘を刺すようなあの眼差しは、標的になっていないなずなも息を呑む程の恐怖を覚えたが、今の彼女は普通の人間、ただただ美しい女性にしか見えない。

何も怖くない、それよりも心配そうな眼差しを見ていたら、何だか申し訳なさが込み上げてきた。


「そんな、私こそ、失礼な態度をとってしまってごめんなさい。あの、助けて頂いてありがとうございました」


頭を下げたなずなにマリンはきょとんとして、それから擽ったそうに笑った。


「あら、ふふ、こんな反応は初めて」

「…あの、」

「嬉しいのよ、受け入れてくれたような気がして。私はマリン、マリリンって呼んでちょうだい」


手を差し出され、少し緊張しながらも、なずなはその手を握った。なずなよりもスラリと背が高く、まるでモデルのような彼女、その手はとても華奢で折れてしまいそうだ。きめ細かい滑らかなその肌は、彼女が水だからだろうか。なずなは、壊れ物を扱うようにその手をそっと握った。


「私は、高野(こうの)なずなと言います」

「よろしくね、なずちゃん。それから、この子はハク。化け狸なのよ」


マリンがそっとハクの背中を押す。なずなはハクの視線に合わせてしゃがんだ。ギンジの凶暴な姿を見た後だからか、化け狸と言われても、驚く事はなかった。ハクが怯えていたからかもしれない。


「なずなって言います、よろしくね。さっきは驚かせちゃってごめんなさい。それから、ハク君のベッド使っちゃってごめんね」


そう言いながらシャツを手渡すと、ハクは少々怯えながらシャツを受け取り、首を横に振った。


「ハクちゃんは人見知り屋さんでね、恥ずかしいだけなのよ。気にしないで」

「そうなんですね、怖がらせちゃってごめんね」


なずなは申し訳なく笑って立ち上がった。キッチンの方へ顔を向けると、ちょうどフウカが顔を出した所だった。


「体は大丈夫ですか?昨夜はすみませんでした」

「いえ、こちらこそお世話になってしまってすみません」


申し訳なさそうに頭を下げたなずなに、フウカも拍子抜けした様子だ。怯えられると思って、身構えていたのかもしれない。


「…あの、少し昨日の事をお話させて頂きたいんですが、お時間大丈夫ですか?お仕事とか」

「大丈夫です、お恥ずかしながら…職探し中でして」

「あら、大変ねぇ…」

「それなら君にぴったりな話があるよ」


のんびりと声を掛けながら、なずなの肩に腕を回したのは春風(はるかぜ)だ。


「こら、なずちゃんの気持ちが大事だって事を忘れちゃダメよ」


マリンは窘めるように言うと、それとなく春風の腕をなずなから離し、なずなの体を自らに引き寄せた。


「あれれ、随分仲良くなったこと。いい傾向だね~」

「だから、そういうのはちゃんと理解してもらってからって、マリンさんが言ったばかりじゃないですか」


フウカも溜め息混じりに言うが、春風は肩を竦めるだけだ。


「しょうがないでしょ、僕には彼女が必要なんだから」

「え?」


春風はきょとんとするなずなに、ふふ、と微笑むと、自らの口元に扇子を当てた。

どういう意味だろうと考えていれば、フウカが「はいはい」と、軽く手を叩いた。


「とりあえず、ご飯にしましょうか」

「あれ?ギンジ君とナツメ君は?」

「もう仕事に行きましたよ、僕は今日休みを貰いました。また勝手な事をされては困りますからね」


そう春風に釘を刺すフウカに、なずなは戸惑った。それはつまり、フウカにとって自分は迷惑という事だろうか。


「ふふ、フウちゃんのご飯美味しいのよ、毒なんか入ってないから安心して」


ぽん、と後ろから肩を叩かれる。それからマリンは、「ギンちゃんは居ないから安心して」と微笑んだ。その言葉に、獣と化したギンジの姿を思い出し、なずなは蘇る恐怖から逃れるように、マリンを見上げた。包み込むような微笑みはまるで女神のようで、そっと心を落ち着けてくれるようだ。昨夜、守ってくれた安心感もあるだろう、彼女がいてくれて良かったと、なずなは思った。


それから、なずなは、協力するという話がどこまでのものかまだ分からないが、もし出来る事なら協力してもいいと思っていた。

曾祖母の手紙の事もある。何より、彼らの事に興味を持ち始めている自分がいた。



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