11. それから3
「わ、私も雇って貰えるんですよね!」
「サキさんにも言ったろ?君の力が必要だ。それに、君がやってくれたら、ヤヱさんも喜ぶんじゃないかな」
「…ヤヱばあちゃんも…」
手紙を通して、この店を通して、またヤヱと会える気がして。それは何だかとても素敵な事に思えた。
以前はレストランだった、このメゾン・ド・モナコが復活する。
新しい目標がなずなの前に現れ、胸が高鳴っていく。母なんかに話したら、きっと驚くに違いない。いや、定食屋もまともに手伝えなかった娘が、よそのレストランで働くのだ、驚くよりも怒るかもしれないなと、なずなは想像し、暫し何ともいえない思いにかられていた。
しかし、そんな皆に反して、フウカだけは戸惑いを見せていた。
「…あの、それなら春風さんがやられては?僕にこんな大役勤まりませんよ、確かに紫乃さんも似たような事言ってましたけど、そんな簡単には、」
「フウカ君、僕が誰か忘れたかい?これでも貧乏神だ、お店の売上を落としたらまずいだろ」
「力を使わなければ問題ないのでは?」
「残念、僕の料理は人並みだし、その点フウカ君はちゃんと紫乃君のお店で働いてるし、料理の腕も申し分ないしね」
「…僕なんかでは、」
「君が適任なんだ」
春風のまっすぐとした瞳にフウカは躊躇い、視線を巡らせた先、なずなと目が合った。
困惑したような瞳に見えるのは、不安だとかマイナスな感情だけではない。フウカは迷っている、本当は興味もあるし、やってみたい筈だ。
それなら、なずなの出来る事は一つだけ、その背中を押すだけだ。
「皆、フウカさんの夢を応援したいんです。フウカさんの料理は、世界一美味しいですから!」
「…逆に安っぽい台詞だな」
「え、」
「もっと、ドンと背中押せるような言葉ないのかよ」
「ちょっと、」
「あらあら、それもなずちゃんの可愛い所じゃない」
「もう、マリリンさんまで!」
「…君達、何の話をしてるんだい?」
ギャアギャアと騒がしくなる一同に、春風の溜め息が零れ落ちる。
「フウカは、レストラン嫌?」
その傍らで、ハクが戸惑いながらフウカを見上げた。フウカはしゃがんでハクに視線を合わせながら、「そうじゃないけど…」と、躊躇いのままだ。
「僕は、レストラン嬉しいよ。色んな人が、フウカのご飯食べてくれたら、嬉しい。だって、フウカのご飯は、いつもほっとするんだ。冷たいおうどんだって、胸の奥があったかくなるよ」
照れくさそうに言うハクに、フウカは目を丸くし、騒がしい一同もその口を止め、フウカの答えを待っている。
「…ありがとう、ハク」
ハクの白い髪をふわりと撫でると、ハクはまた照れくさそうに笑って、マリンの足元に抱きついた。
フウカが立ち上がった、その前には、仲間達が心強く頷いているのが見える。フウカは、きゅっと唇を噛みしめて、頭を下げた。
「僕にやらせて下さい、お願いします!」
その言葉に、わっと沸く。そうこなくっちゃ、これから忙しいぞ、ミオ達にも知らせないと、と声が飛び交えば、再びリビングは賑やかさを取り戻した。
こうなれば、主役はすっかり蚊帳の外で、勝手に盛り上がっていく仲間達だ。
その賑やかな様子を、一歩下がって眺めつつ、なずながふとフウカに視線を向ければ、不意にフウカと目が合った。先程とは違う穏やかな眼差しに、なずなは反射的に胸を震わせ、文字通りあたふたとしていれば、フウカがまた優しく微笑むものだから、なずなの胸は煩く鳴り響くばかりだ。
そんななずなの様子に気づいているのかいないのか、フウカはなずなに歩み寄ると、そっとなずなの手を取った。少しくたびれ始めたグローブの生地に、なずなは高鳴る胸が、少し嫌な音を立てたのを感じる。
不意にこの薄い生地が、フウカと自分の壁のように思えてしまった。フウカは、なずなの前だとグローブを外す事はない、それが時折、あやかしと人間の線引きのように思えてしまう。
自分がいては、フウカは安心して過ごせないのではないか、また誰かを傷つける恐怖を思い出してしまうのではないか、なずなには、フウカの炎を受け止める力はない、ただの人間だから。
だから、フウカはなずなの前では頑なにグローブを脱がないのではないか、なずなはそう感じていた。
もし自分がフウカの負担になっていたら、そう思うと苦しい。でも、身勝手だとしても、フウカの側にいたい気持ちは変わらない。
「あ、あの、フウカさん、」
「いつかまた、」
なずなの言葉を遮って、フウカはなずなに声をかける。その言葉の強さに、なずなは思わず肩を跳ねさせた。声が大きいのではない、優しいフウカの声は変わらないが、その声の中に願いを込めるような強さがあった。
「グローブを外した手で、あなたに触れてもいいですか」
「え…?」
思いがけない言葉に、なずながきょとんとして顔を上げれば、フウカは目を伏せて、その頬を赤くしていた。




