表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

磐代のこと

作者: 庭鳥

志斐媼しひのおみなに髪をくしけずらせながら、祖母は鏡に向かっていた。唐渡りの白粉と紅で彩られた顔は今も若々しい。

「何度来ても、牟婁むろの湯は良いところね」

鏡に映る祖母は、藤原の新益京あらましのみやこに居るときよりも穏やかで柔らかな気配を纏っている。たっぷりと温泉に浸かったせいか、肌や髪の色艶が増しているようだ。

「左様でございますとも、太上天皇さま。この紀ノ国は古から養生に最適な土地として知られて……」

祖母の髪を器用に結い上げながら、志斐媼の舌もまた軽快に動く。一筋の黒もない、真っ白な媼の髪。祖母が幼い少女だった頃から、この媼は側近くに仕えていたと聞く。年は七十か八十か、定かではない。

「まったく、志斐ときたら。年を取って足腰が弱ったと言うけれど、この志斐語りだけは健在ね。よく回る舌で千里は行けることでしょうよ」

祖母が軽口を言うのも、それを平然と受け止めることができるのもこの志斐媼だけだ。

「そう仰せられましても、太上天皇さま。お小さい頃から語れ語れと催促なさるのはあなた様ですのに」

髪を結うのを終えた媼は、そう言い返すと退出していった。祖母が鏡の中で、膨れっ面を見せているのを物ともせずに。

「どう、氷高ひだか。初めての牟婁の湯は」

 鏡から目を離し、振り向く祖母。譲位し太上天皇となった今も、静かな威厳にあふれている。

「美しいところ、例えようもなく良い温泉と話に聞いていましたが。想像以上でした、お祖母さま」

「そうね。わたくしが初めて紀ノ国に来たのは、遠い昔のことだけれどそのときのことは今も鮮やかに覚えているわ。美しかったことも、そうでなかったことも」

初めて祖母が紀ノ国に来た日とは、祖母のそのまた祖母が天皇であったときのことだろうか。少女だった祖母は、白い砂浜を駆け回ったりしたのだろうか。果てしなく遠い海を飽くことなく、眺めたり。

「磐代の、あのことが?」

新益京を出た行幸の列は難波から船に乗り、ここ牟婁の湯にやって来た。途中、磐代を含む幾つかの土地を巡りながらの大がかりな旅。

「そう、磐代。今となっては有間皇子を知る大宮人おおみやびとはほとんど居なくなってしまった」

従駕の大宮人は、次々と磐代にまつわる歌を詠んだ。昔語りに聞く、年若い悲劇の人・有間皇子を偲んで。

「親しかったのですか、お祖母さまは有間皇子と」

記憶を辿るように祖母は一瞬、目をつぶった。軽く首を傾げて。

「叔母・間人皇后(はしひとのおおきさき)の宮で引き合わされて小さい頃、遊んでもらったことがあるけれど。大きくなってからは、あまり行き来はしなかったわ」

親しく行き来した程ではないと、言いながら祖母の声には懐かしさが滲んでいる。かつて有間皇子はこの地、この牟婁の湯で病気療養をしたという。そしてまた、謀叛の咎でこの地に送られ尋問を受け、大和に戻る途中の藤白坂で刑死したと昔語りに聞いたことがある。磐代の地で有間皇子が詠んだ歌とともに。

「お祖母さまは、有間皇子が謀叛を企んだと思っていらっしゃるのですか」

磐代の地に降り立った日のことを思い返す。共に行幸の列に加わる従姉妹・檜隈(ひのくま)女王が浜辺で風に揺れる松を興味深げに眺めていたことを。

「さあ、どうかしら。わたくしが知る有間皇子は、とても謀叛を企むような人には見えなかったけれど。そうは言っても……誰でも、色々な顔を持つものだから」

言いながら、祖母は手に持ったままの鏡を撫でた。祖母が持つ顔もまた、ひとつではないのだ。有間皇子が謀反を企むようには見えなかった、と言いながらも彼が謀叛人であることを否定する気もない。祖母の胸に去来するのは、有間皇子のことだけではないのだろう。今までに政争の中で命を落とした人々のことを考えているのだろうか。近い血縁の人のことだろうか。祖母の姿に何とも、すっきりとしない思いが残る。

「謀叛人だったかも知れないけれど有間皇子は潔い人だったのではないか、歌を見る限りは、と檜隈が言っていましたわ」

「檜隈と言うと……ああ、御名部(みなべ)の代理ね」

行幸には伯母・御名部皇女も従駕するはずだったが、病を得て大和に残っている。代わりに継娘の檜隈女王が供に加わったのだった。

「そうね。潔い人、惜しまれる人として有間皇子は皆の記憶に残るの。若すぎる、早すぎる死と引き替えに名が残る」

鏡に向かって言い聞かせるような祖母の声音。執念深く冷酷な人物と評価されるだろうと。有間皇子は自分とはまるで正反対だと、言いたげに。




 病の床で、ふと祖母と過ごした牟婁の湯での出来事を思い出す。有間皇子が謀叛を企んだとは信じていないけれど、それでも謀叛人であることを否定もしなかった祖母の姿を。祖母と同じ道をまた自分も歩んでいるのだ、と思う。

「吉備と長屋王が死んで、もう何年経つかしらね。もう数えることもしなくなってしまった、我ながら薄情な姉だと思うわ」

つぶやきが、掌の上の鏡に落ちた。






 天皇、志斐媼に賜へる御歌一首

いなといへど強ふる志斐のが強語(しひがたり)このころ聞かずて(われ)戀ひにけり


 志斐媼、(こた)(まつ)れる歌一首

いなといへど語れ語れと()らせこそ志斐いは(まを)せ強語と()

本の杜10開催記念アンソロジー「杜の本棚」に寄稿した短編小説です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ