09 アンナ・ヴェーラ
「メレン侯爵。来たか」
「……ええ」
さしものメレン侯爵も、国王の前では傲慢な態度を控え、大人しく席に着いた。
「捜査に進展は?」
と、王と侯爵が席に着くと、集められた情報を兵達が報告し始める。
「未だ、ヒューバート・リンデル王太子殿下、サティーラ・メレン侯爵令嬢、他2名の所在は掴めておりません。その安否も」
「チッ……! 王家の兵も使えない……!」
「侯爵。今の発言は……まぁ、言われても仕方ないがな。王家の影まで揃ってこの様。王太子とその婚約者を誘拐されるなど……ハッ! しかし、侯爵家の守りも甘いようだが」
「ぐぬぬ……! 間抜け共めが! 私に恥をかかせおって……!」
「…………」
国王は冷めた目でメレン侯爵を見つめた。
この男に、実の娘に対する愛情などない。
その事は早くから分かっていたが……親の傲慢さに目を瞑れる程、サティーラ・メレンは優秀で、国王としても王太子妃として満足のいく娘だった。
仮に実家で愛されていなかろうと、義父となる自分が愛情を示せば良いと考えていた。
「……その侯爵家の護衛なのですが。問題が見つかりました」
「問題だと!? なんだ!」
「……はい。メレン侯爵令嬢の傍付き侍女でございます」
「ふむ? たしか男爵家の令嬢と聞いたが」
「はい。ヴェーラ男爵の娘、アンナ・ヴェーラ。メレン侯爵家で雇われていた侍女にございます」
「それがどうした!?」
「……表向き、ヴェーラ男爵は領地を持たない、ただの男爵です。なのですが……」
「なんだ?」
「彼の二代前。その当時のヴェーラ男爵は、……王家の影の者です」
「……なに?」
王家の影。
諜報や裏の仕事を担う、騎士団・兵士達とは違う立場の者達だ。
彼等は表舞台に立たない。
しかし、彼等の仕事は時として何よりも重要だ。
「二代前の男爵が、王家の影。……であれば、本当に名ばかり爵位の……」
「はい。高位貴族に雇われて暮らす、領地を持たない子爵家、男爵家の者の一人でしたが……。記録に残る王家の仕事はしていません。当時の男爵は老齢で引退。記録上は大人しく過ごしていた筈です」
「何か企みがあったか?」
「いえ。そういったものは見つかっておりません。しかし、王家の影としての技術は代々、継いでいたようなのです」
「ふむ?」
「つまり、メレン侯爵令嬢と共に誘拐されたと見られる侍女、アンナ・ヴェーラは王家の影に相当する実力者でした」
「……ふむ。知っていたか、侯爵?」
「知りませんな。しかし、優秀だからサティーラの侍女に付けていた。我が家の使用人達もそれは認めていた。まさか、そのように元から訓練されていたとは」
「王家の影と言えど、二代前ではな。まさかその技術を子や孫に伝えているとは……だが。裏切りか、或いはいつか役に立つという忠節か」
「真意は分かりません。ですが、とにかく侍女アンナ・ヴェーラは王家の影並の実力者であった事が分かっております」
「だからどうしたと言うのだ? まさかその侍女が殿下とサティーラの救助をするのを待てとでも?」
「違います。……襲われ、監禁されていた者達の証言です」
「ふむ。侯爵。聞いておこうではないか」
「はっ……。陛下」
王と侯爵が、少し息を吐くのを待って、報告が再開される。
「最も強い護衛であったカステロ・ガッロ様は何者かに影から襲われ、薬で無力化されました。その手際は、証言を合わせますと、まさに王家の影か、それに類する者の所業であるという見立てです」
「…………ほう」
「なんだと?」
「ヒューバート殿下周りの側近、護衛などの者達は概ねそういう証言です。騎士と影の戦い方は異なります。殿下の引き連れるよう若い騎士だけであれば、影の絡め手に為す術なく敗北したとしても……油断している事も加味して、ですが。ありえる話です」
「……そうだな。経験が物を言う相手だろう。正々堂々ばかりの騎士もまた重宝するがな」
「……はい。そして、問題は侯爵家の方でございます」
「我が家の何が問題だ?」
「……こちらは侯爵家の者達に非がなさ過ぎます」
「あん……?」
「何の話だ?」
「つまり犯人側の手際が良過ぎます。
メレン侯爵令嬢のスケジュールから、侯爵家の護衛達の動き、すべてを知っている者でもなければ、かのメレン侯爵令嬢を誘拐する事など不可能です。
ヒューバート殿下の場合は、ご自身自らが監視を引き離していたが故の出来事と言えますが、侯爵令嬢の方はそのような事をしていません。
……ですので。
侯爵家の内部から、侯爵令嬢に関する情報がすべて漏れていた……。
そう考えるのが妥当です」
「何だと……」
「…………それで、その男爵令嬢か。王家の影の実力を持つ、侍女」
「はい。この誘拐は、彼女が犯人側でなければ成立しません」
「そうか。その侍女……影の名前をもう一度、聞かせてくれ」
「──アンナ・ヴェーラ。
男爵令嬢。メレン侯爵令嬢の傍付き侍女。
黒い髪に黒い瞳を持ち、王家の影の技を修めた女……、です」