08 最期の会話
「はぁ……はぁ……」
仮面の男は、ただの気狂いだ。
王家の影だとか、これは王の試練だとか、そういうのでは断じてない。
ただ、自分を追い詰め、彼女達を殺す事を楽しんでいるだけの異常者……。
ヒューバートには僅かな希望さえも残っていなかった。
選択しなければならないのだ。
サティーラ・メレンか。ニーナ・シェティ。そのどちらかを。
どちらかを生かし、どちらかを……見殺しにする。
そうしなければ、どの道、2人共が死んでしまうのだから……1人でも救う選択をしなければ。
「サティーラと。サティーラと、話をさせろ」
「……おや? もう一度、侯爵令嬢とですか? それでよろしいので?」
「ああ……。だが! ちゃんと彼女の誤解を解く時間を与えろ! 邪魔をするな! これで……これが、最期なのだろう……?」
「…………ほう。それは、つまり。いえいえ……口には出しますまい。そういう事であれば、もちろん」
ヒューバートが令嬢の内、どちらを選ぶのか。
ほとんど答えが決まっていたようなものだった。
だからこそ交わされる、王太子と、その婚約者との最後の会話。
将来のすべてを約束され、王妃になる事が運命だった侯爵令嬢サティーラ・メレンが、最愛の人と交わす最期の言葉。
(誤解を……誤解を解かなくては。聡明なサティーラであれば……冷静になれば、受け入れてくれる筈、だ……。時には犠牲になる事もまた……貴族の務め、王妃の務めであると……。高位貴族とは、下の者の為に、そう振る舞う事もあるのだ……それこそが貴族が果たすべき義務なのだ……)
しかし小柄な仮面の男が、水鏡の魔道具を操作するとブツリ、と映像が途切れてしまった。
「あら、まぁ」
「な、なんだ……? サティーラの映像が映らなくなったぞ!」
「これは失礼。魔道具の操作を誤ってしまいました」
「は……!?」
「いやはや。先程、あの場面で会話を断ち切るのが愉快! ……と、そう思ってしまいました故。
無理矢理に切断したのがよろしくありませんでしたねぇ。
これでは侯爵令嬢との最期の会話は……ふふ! 出来ないまま!
ヒューバート殿下は婚約者に誤解されたまま!
彼女は貴方に殺されるのだと思い込んだまま冥府に旅立つのです!
いえいえ、誤解などではなく……貴方の意思で彼女を殺すのですけれどね?
恨まれるでしょうねぇ、憎まれるでしょうねぇ……!
ふふっ、あはは! あーはっはっはっは……!」
「きさっ、きさ、まっ! ふざけるな! ふざけるなよ!」
「ああ! これは私の落ち度でございますれば! ではでは、こちらはサービスにございます! シェティ子爵令嬢とも会話させてあげましょう、ヒューバート殿下! はい!」
「なにっ……!?」
理不尽な男の仕打ちに対する怒りと、サティーラへ掛けようとしていた言葉を呑み込んだまま。
音声がニーナ・シェティへと繋がった。
すると、またもや女が、映像に現れ、ニーナの猿轡を外した。
『かはっ……! 何……何なの……。貴方、一体、誰なの……!?』
「…………」
ニーナの前に佇む顔を隠した女は無言だ。
先程、サティーラの前に現れた女と体躯は似ているように思うが服装が違う。
もし、同じ女であれば……わざわざ着替えてきたという事になる。
それに彼女達の監禁場所は意外と近くなのかもしれないが……。
「どうぞ、お声掛けを、殿下。既に繋がっておりますよ」
「くっ……ニーナ!」
ヒューバートは男を睨みつけながらもニーナ・シェティに声を掛けた。
『えっ!? で、殿下? どこ……ですか?』
「その場には居ない! 声だけが繋がっているらしい! ……ニーナ! 誤解しないでくれ、この状況から僕はキミを救いたいと思っている!」
『えっ、えっ……何……』
ヒューバートはサティーラに誤解させた事を反省し、すぐに状況の説明を始めた。
ニーナは取り乱しながらも、ヒューバートの説明に真剣に耳を傾ける。
サティーラのように犯人がヒューバートだと誤解する様子はなかった。
(ニーナの方が……僕の事を信じてくれているのかもしれない。なら、やはり……)
信頼関係。それがサティーラとの間で崩壊していた事を、ヒューバートは実感した。
状況や立場、経緯を考えれば……真っ当な反応だったかもしれない。
だが。
(僕の言葉を……瀬戸際で信じてくれる者こそ、僕の妃になるべきではないか……)
そういう意味では、サティーラ・メレンは。
ヒューバートはニーナに説明しながらも、そんな事を考えていた。
『は、はぁ……。とにかくヒューバート殿下も捕らえられている……のですね』
「そうだ! 分かってくれたか!」
『…………そちらの状況は、私と……ほとんど同じ?』
「そうなのだ! だから僕はキミを捕まえた犯人ではない!」
『…………』
ニーナの可愛らしい頬がヒクつき、ともすれば怒りを堪えているように歪んだ。
「に、ニーナ?」
ヒューバートは、そんな彼女の表情を見た事がなかった。
いつも愛らしい顔を向けてくれていたニーナ。
愛しいニーナ。彼女も追い詰められているのは分かるが……。
『では……殿下。……どうやって。誰が……私を救ってくださるのです』
「え?」
『このような状況で……貴方も同じ状況なのだと、真剣に訴えられて。私にどうせよと言うのですか……。助けを求めているのならば、お門違いです……! 助けて欲しいのは私の方!
カステロ・ガッロ様は? アイク・シュバルツ様は?
彼等は無事なのですよね? 彼等が私を助けてくださるのですよね……っ!?』
「に、ニーナ。彼等は……既に……」
王太子である自分が誘拐されたのだ。
側近である彼等が今も無事だとは到底思えない。
何より、自分を拘束している、この仮面の男は気狂いだ。
……だから、カステロやアイクは、もう。
『既に? 死んだ……殺されたと言うんですか? ああ……! 何故っ、何故っ……!』
「ニーナ。落ち着いてくれ。話はまだ終わっていないんだ。キミは、キミは助かる! いや、僕が助けるんだ!」
『どうやって! 貴方も捕まっているのでしょう? 拘束されているのでしょう! 気休めはお止め下さい!』
ヒステリックにニーナは叫んだ。
話は聞いているが……これではサティーラと大差がない。
(当然なのか……。状況が状況なのだ……。彼女達には、ロクに説明がされているようには見えない……)
(それを考えると……サティーラは、自身の置かれた状況から推理し、そして僕が声を掛けた事で……ああいう結論に至ってしまった……だけ、か)
この状況でも頭を回転させている。
やはり、サティーラは聡明だった。
冷静とはいかないし、結論が間違っていたとしても。
そう判断できるだけの状況であったし、……それにサティーラの中では、ヒューバートはそういう事をするような男だと。
(……僕は、そんな男じゃない……)
サティーラは完全に自分を疑っていた。
ニーナを愛しているから。自身を邪魔になったから始末するのだ、と。
サティーラには、それぐらいしかああなる理由が思い浮かばなかったのかもしれない。
彼女だって真っ当に生きてきたのだ。
学業において極めて優秀であるだけで、とても美しい侯爵令嬢であっただけで。
殺されなければいけない罪など犯してこなかった。
だから。
(僕が……邪魔に思うから、か……)
違う。違うが。
今、ヒューバートが決断しようとしている選択は、どうだ。
彼はたしかにサティーラを犠牲にしようとしている。
ニーナが愛しいから。彼女を救いたいから。
それは王子としての決断というよりは、ヒューバート個人の選択に近かった。
それでもサティーラであれば。
自分達の愛に偽りなどなかったと知れば、粛々とした態度で、運命を受け入れてくれる筈。
ヒューバートは、サティーラの事をそう評価していた。
『殿下? ヒューバート殿下!』
「あっ」
意識がニーナから途切れていた。
(彼女を励まさないと)
なにせ、ヒューバートは彼女を選ぶ気なのだ。
愛しているから。
だからニーナ・シェティはこれからも生きていける。
(そう。僕が彼女を救うんだ。これは……誰かを殺す選択じゃない。彼女を生かす選択なんだ……)
(僕とサティーラが命を賭けてニーナを救うんだ……)
『最悪……! 最悪よ……! こんな事なら、こんな事ならっ!』
「ニー、」
『こんな事ならアイク様やカステロ様を選べば良かった!』
「…………ナ…………」
『私が狙われたのも、ヒューバート様の恋人だからなんでしょう? それ以外に考えられない! こんな事、こんな事になるなんて、私、思ってなかったのに! ちゃんと守ってくれると思ってたのに!
こんな事なら……! こんな事なら! 私はヒューバート様を選ばなかったわ!
カステロ様や、アイク様で満足していた! 最悪よ……!』
「…………」
ニーナの言葉が、ヒューバートの言葉を失わせた。
「ふくっ……ふふふ、ふふっ」
耐えかねたように仮面の男が笑う。いや、笑いを堪えようとしている。
「ああ、そろそろ音声を切りましょうか? 時間もありませんしねぇ」
「あっ……待て、しかし……」
放心してしまったヒューバートは男に強く訴える事が出来ない。
『待って? あんた。あんたは! あの女の!』
「えっ」
すると映像の向こうでニーナ・シェティが何かに気付いた様子で声色を変えた。
『やっぱり! あの女がこんな事をしたのね!? あんたは、あの女……サティーラ・メレンの侍女でしょう!
──サティーラの侍女、アンナ・ヴェーラ!』
「……!?」
映像の向こう。
ニーナ・シェティの傍に控える、顔を隠した女。
その女に向かって、ニーナはそう断言した。