07 個人の選択
ヒューバート王子は、サティーラの映し出される映像を見る。
再び口を塞がれ、絶望に暮れている婚約者。
「おい! もう1度だ! ちゃんとサティーラと話をさせるんだ!」
「おや? よろしいのですか?」
仮面を着けた小柄な男は、ふざけた様子でコテンと首を傾げる。
どこかコミカルなその動きが、余計にヒューバートを苛立たせた。
「当たり前だ!」
「あと1度だけですよ。彼女達のどちらかと会話できるのは」
「……なに!」
(1度だけ? つまり)
「会話するチャンスは、あと1度だけ。彼女達のどちらか一つと音声を繋ぎましょう。ああ、分かっていると思いますが……今、彼女達の居る場所は、それぞれ別の場所ですよ?
ですので……ふふ。選択の前に最後に話をする相手は……どちらになさいますか、殿下」
「ぐっ……!」
サティーラの誤解を解かなくてはならない。
けれど。
ヒューバートは、右側に映し出された侯爵令嬢の映像から目を離す。
そして、左側に映し出された……恋人の子爵令嬢、ニーナ・シェティを見た。
(ニーナ。下位貴族の令嬢に過ぎない彼女が、殺される程の恨みを持たれているなんてないだろう)
(もし、それ程の恨みを彼女に抱くとしたら……。それこそサティーラぐらいなのだ)
(しかし、そのサティーラは今、ニーナと同じように拘束されている)
つまり彼女は犯人ではなく、という事は、この犯行はニーナを恨んでの犯罪ではない。
(僕なんだ……。僕が恨まれている……。彼女は、彼女達は、それに巻き込まれただけに過ぎない……)
愛しいニーナ。可憐なニーナ。
高位貴族であるサティーラは別かもしれないが、子爵令嬢に過ぎないニーナは、本当に巻き込まれただけ。
それなのに今や彼女の命は風前の灯火なのだ。
(彼女は救われなければならない……)
(だって彼女は僕に愛されただけなのだから)
ヒューバートは、もう一度、サティーラとニーナ。2人の女性の映像を見比べた。
残り時間は、もう30分を切っている。
時間内に、彼はどちらか1人を選択し、生き残らせる者を決めなければならない。
(死んでいい命なんてない……しかし)
それでも時として人の命さえ選ばなければならないのが、王なのだ。
「ふぅむ。悩みますねぇ。殿下。王太子殿下! ……これは運命の選択とは、別の話なのですがね。どちらなのです?」
「……何がだ」
ヒューバートは仮面の男を睨み付ける。
「貴方個人の選択ですよ。今、貴方の姿はここに記録されています。ですが……こうしましょう」
そう言うと、男は何やら魔道具に触れ、カチリと音を鳴らした。
「今、映像記録を切らせて頂きました」
「なに……?」
「この瞬間、ヒューバート殿下のお姿は記録してはおりません。ええ、ですので。市井の民に、貴族達に。この瞬間が出回る事はございません」
「…………何が目的だ」
「ふふ。個人的な興味、でございます。そして誓いましょう。ここでのやり取りは、貴方の最終的な選択には影響を与えません。……私めは、ただ尋ねてみたいのでございます」
(尋ねる……だと?)
「何を……だ」
「ふふ。殿下。殿下ではない、ヒューバート様。ヒューバートという、ただの個人。ただの個人ならば……この選択はどちらを選ばれますか?」
「個人……なら?」
「ええ! 王太子としての決断、とはまた違う話でございましょう? それとも変わらぬでしょうか。随分とお悩みのようですからね。きっと、王子としての選択と、ただのヒューバートという男の選択が……『違う答え』なのではないかと思いまして。
その事を自覚なされば……ふふ。意外とすんなりと最終的な答えが見つかるかもしれませんよ?」
(僕個人の……ただのヒューバートという男としての答え……。それならば……)
ヒューバートの意識は、自身の心の闇の中に沈んでいく。
走馬灯のように駆け巡るのは、サティーラとニーナと紡いできた思い出。
けれど彼の心の中に光り輝いているのは……。
(……ニーナ)
ニーナ・シェティへの恋心だった。
記憶の中で彼女の笑顔がキラキラと輝いている。
サティーラとの思い出は、もう何年も前のものでどこか色褪せていた。
時間の経過がそうさせている。
新しい思い出が重なっていないのは……そこに費やす筈の時間をすべてニーナ・シェティに注いできたからだった。
サティーラへの愛情がないワケではない。
ヒューバートと同格の優秀さを持つのは今だってサティーラぐらいのものだろう。
だからこそ彼女とは、それなりに満足のいく会話も出来る。
だが。だが。
(男として……。ただのヒューバートとして、選択するのならば)
「どうでしょうか。最終選択をするのに、必要な……貴方個人の想いは、ご自覚されたでしょうか? それが口に出しても、何の負い目もないと思える深い感情ならば……ふふ。ええ。言葉にしておくのも良いかもしれませんよ?
後々、彼女達に、彼女に言い訳……などする為に、ね? ふふ、ふふふ」
(言い訳……などと)
(僕の気持ちは……真実の愛だ。これは僕が心の底から思っている事なのだ)
「……どちらの女性を、貴方は選びますか? ただのヒューバート様」
口に出す必要などない。
男に聞かせる本音などありはしない。
だがヒューバートは決意表明のように口にした。
「……ニーナ、だ。僕は。ただのヒューバートは、ニーナ・シェティを愛している。……この僕の想いこそが、真実の愛……だ!」
「………………ほう」
男は、とても静かにその言葉を聞いていた。
神妙とも思える、そんな佇まいで。
もしや、この言葉が聞きたかったのだろうか? とヒューバートは思った。
(ただ、僕に真実の愛を気付かせる為に……?)
考えてみればおかしな状況だ。
王太子を、その婚約者を誘拐しておいて、このようなふざけた茶番を仕組む。
しかし、現実を見れば……自分達3人はまだ生きている。
(もしや王家の影が仕組んだ……のか?)
「ふふ。ふふふ……! では、では! 殿下がお選びになるのは、ニーナ・シェティ! それで良いのですね? つまりは……婚約者であるサティーラ・メレンは死んでも構わないと! あはははは……!」
「なっ……!? 待て! 違う! そんな事は言っていない!」
「ふふふ! ここからの発言にはお気を付けを! 再び映像の記録を致します故!」
カチリ、と。音が鳴り、再びヒューバートは王太子という立場に戻された。
「では、お聞かせくださいませ、殿下。最期の会話は、どちらの令嬢となさいますか? 生かすのがニーナ・シェティであるならば……ふふ! 彼女とはこれから先、何度でも会話が出来ますねぇ? では、では……! 貴方の口から……サティーラ・メレンにお別れの言葉でも?」
「貴様っ……! もうやめよ! このような事をして何になると言うのだ!」
「言いましたでしょう。楽しいからでございます。ええ、王子の選択により、命を失われる麗しき乙女! ふふ、ははは! これはもはや……芸術なのではありませんか!? 美しい! なんと美しい! あはははは!」
「き、貴様っ……!」
やはり。やはり、この男は狂っているのだ。
何の容赦もしない。
時間がくれば、確実に誰かが死ぬ。こいつが殺す……。
ヒューバートは砂時計に視線を向けた。
砂時計の砂は……、もう3分の2は落ちていた。
(残り20分も、ない……)
それだけの時間で、誰かが1人、殺される。