06 サティーラとの会話
「はぁ……はぁ……」
砂時計の砂がどんどん落ちていく。
時間が過ぎていく……。
あの砂が落ち切れば、サティーラか、ニーナと二度と会えなくなる……。
下手をすれば、2人共と。
2人共が死んでしまう。
僕の人生を、最高のモノにしてくれていた、支えてくれていた2人の大切な女性が。
ありえない。ありえない。
ぐるぐると2人と過ごした思い出が頭の中を巡り続ける……。
どうして。どうしてこんな事になったんだ。
彼女達だって何故、死ななくてはならない……?
意味が分からない。これは悪夢だ……。
「そんなに決められないものですかねぇ? 一体、何をお悩みなのでしょう。ヒューバート殿下は。貴方の普段の振る舞いを見れば……もっと簡単に選ぶと思っていましたよ」
「普段の振る舞い……だと……?」
追い詰められながらもヒューバートは、その言葉に引っ掛かりを覚えた。
「貴様は……、普段の僕を知っているのか……」
「おや。失言を。ふふふ……。人伝ての話でございますよ、殿下」
(なんだ……。誰だ、こいつは一体誰なんだ……。普段の僕。王宮に勤める人間か? それとも学園の?)
「私が誰かなどに思いを馳せる意味などございますか? いいえ、その余裕などあるのでしょうか。
貴方が今、考えなければならないのは……今はまだ生きている2人の令嬢の事では……? ふふふ」
「くっ……!」
「ああ。そうだ。ヒューバート殿下。分かりましたよ。きっと、彼女達に。どちらかの彼女にお別れが言いたかったのですね?」
「な、何……?」
「この水鏡の魔道具は、現在の彼女達の様子を映しているのです。ですので……こちらの魔道具と合わせれば……ふふ。彼女達と会話が出来ますよ? どちらの令嬢と話をされますか?」
仮面を着けた小柄な男が、そうして小さな魔道具を水鏡の水晶球に近付けた。
「どちらと話しますか? メレン侯爵令嬢? それともシェティ子爵令嬢?」
(どちら? どちらだと?)
「……1人としか話させない、つもりか……」
「いえいえ、まさかそんな! もちろん2人共と会話を楽しんでいただけますとも。聞いたのは、ただの順番でございます。親愛なるヒューバート殿下」
「…………」
「どちらと。話をされますか?」
男の声は、ヒューバートに何かを訴え、問いかける声色だった。
(順番など、どちらでも……いや、この僕の姿は記録されているのだったか……。後に市井にその姿を。なら……なら?)
ヒューバートは、ただ話をする順番を決めるだけでも悩んで見せた。
彼の脳裏には、自身の姿を映す……自身の姿が民に知られる事の意味が常にある。
「はっ……はっ……」
「殿下?」
「くっ……! サティーラ、サティーラだ!」
「おや。意外ですね、そちらですか」
(何が意外なものか。婚約者なのだ。真っ先に心配しても不思議ではない……!)
「では少々、お待ちを。魔道具を繋げましょう。…………ふふ。楽しいですねぇ、殿下。まるでデートのような気分でございます」
「ふざけるな……」
「ふふふ」
仮面の男は、カチャカチャと音を鳴らし、魔道具を起動した。
「サティーラ・メレン侯爵令嬢。ヒューバート王太子殿下の婚約者様。どうかお目覚めを」
「……っ!」
映像の先。男が呼び掛けた先で、一人の女が動いた。
(女……!? 協力者……。当たり前か……)
今この場所に、ヒューバートの傍に2人は居ない。
映像の先に監禁されているのだ。
であれば仮面の男の協力者は最低でも2人は居る筈。
護衛を蹴散らしたのだから、もっと?
やはり、ただの平民の賊ではないとヒューバートは改めて思う。
映像の先で、顔を隠した女……服装からして女だし、胸もあるようだ……が、サティーラの猿轡を外した。
あちらの女は、目の前の仮面の男ほど徹底して正体を隠していない。
黒い髪をした女だ……。
(誰だ……知らない……いや。知っている……? 誰なんだ……)
犯人達は、ヒューバートに近しい人間なのか。
しかし心当たりが本当に思い浮かばない。
男もそうだし、女の正体にもヒューバートは全く思い至らなかった。
『…………』
「メレン侯爵令嬢。はじめまして。私は……『仮面の男』……とでも名乗りましょうか」
『…………、仮面……の?』
「……!」
繋がった! 音声が繋げられ、今、サティーラに声が届く!
もしかしたら最期かもしれない、婚約者に。
「サティーラ!」
『…………えっ。……まさか、殿下……が?』
「ああ、僕だ! 僕だよ、サティーラ! ああ……何てことだ。こんな……けど、君が生きていて、僕はどんなに……!」
『そんな……。何故……?』
「ん?」
何が『何故』なのだろう。
ヒューバートは首を傾げる。
『何故……なのですか、殿下。そこまで……そこまででございますか……』
「サティーラ? 何を言っている」
顔を青くしていたサティーラは、キッとした目付きでこちらを……水鏡の魔道具を……睨み付けた。
「……!?」
サティーラにそんな風に睨み付けられた事など、ヒューバートには経験がなかった。
一体、何故?
それともあれは犯人の女を睨んでいるのか。
『何故でございますか、殿下! 私は……私が、どれだけ貴方に……尽くしてきたと。王妃教育だって頑張って受けて参りました! 家でも、王宮でも……私を次代の王妃としてしか見ない者達の中で! それでも貴方の為ならば、と……!
それが、それなのに! これが貴方の望んだ事なのですか!』
「えっ、え? 待て。待つんだ、サティーラ。君は一体、何を……?」
『私をどうするつもりなのです! 監禁して! ……殺すのですか!? ヒューバート殿下! 私を殺そうと言うのですか!』
「は? 何を言っている。違うだろう。僕は……」
はた、と。
そこでヒューバートは気付いた。
サティーラは誤解しているのだ。
そう。今、彼女を監禁し、拘束している真犯人が……ヒューバートその人であると。
彼女はそう誤解している。
「待て! 違う! 誤解だ! 君を閉じ込めているのは僕じゃない……!」
『この卑怯者! 殺すのなら……殺すのなら、せめてご自身の手でなさいませ! 私が邪魔になったのでしょう!? 彼女……いいえ、あの女が現れたから! あの女、ニーナ・シェティを愛したから! 私が邪魔になったのでしょう!?』
「落ち着いてくれ! 違う! 違うんだ、サティーラ!」
邪魔になった。
(……違う。……違う。僕じゃない。僕じゃないんだ。サティーラを邪魔になんて)
「くそっ! あっちに僕の映像は見えていないのか!? 映せ!」
「……残念ですが、あちらにそのような魔道具は置いておりませんので。こちらから届けられるのは音声だけでございます。殿下」
「このっ……!」
『どうしてですか……。私は、私は……ヒューバート殿下。貴方の事を愛していました。愛していましたのに……』
「さ、サティーラ……」
『このような仕打ちは、あんまりでございます。何故、何故こんな事をなさるのですか……。あの女を正妃に迎える為ですか? 私に都合の良い死をお望みなのですか……』
「違う! 僕は、そんな事を望んではいない!」
『……貴方が私を望まないのなら……。私だって、自由が欲しかった。侯爵令嬢として、それだけでない厳しい教育も。次代の王妃としての教育まで課せられて。……何の自由だってありませんでした。
学園では、と思っても……。聞こえてくるのは、いつも貴方と彼女の話ばかり。
頼んでもいないのに、誰も彼もがお2人の仲を私に伝えて参りました……。
……殿下。ヒューバート殿下。……私はどうすれば良かったのです。
貴方は私に何を望まれていたのですか。
皆が言うのです。私は、貴方と彼女の真実の愛の邪魔をする悪者なのだと。
王妃という身分ばかりを望み、殿下を王太子としてしか見ない、そんな悪女なのだと。
……そんな事は私の望みではございませんでした。
私が望んで殿下の婚約者になったんじゃない……ッ!』
「……サティーラ」
『それでも! それでも私には、貴方を愛する気持ちが確かにありました。他の男性からは遠ざけられ、育った私です。いずれ貴方の妻になるからと……。それだけを頼りに生きてきたのです。
なのに。……貴方は別の女性を愛された……』
「……っ!」
ヒューバートの背筋にまたダラダラと汗が落ちた。
『殿下はいつも私の言葉を受け流すばかりでした。彼女との距離を考えて欲しい。私ともっと過ごして欲しいと。そんな私の言葉を……ただの嫉妬と。小言に過ぎないと。……いつも軽く、扱われましたね……。
私と貴方の信頼関係など、とうに崩れていました。
それを私は知っていました。
貴方の愛さえも、もう私には向いていないとも……。
ですが……。このように……理不尽に命を狙われる程とは……思っておりませんでした……』
「違う……。僕じゃない……。君を殺そうとしているのは僕じゃない……」
『ヒューバート殿下。……私を殺して、手に入れる幸せは……。あの女との幸せは……そんなにも魅力的ですか?』
「違う! いい加減にしてくれ! 僕の話を聞くんだ、サティーラ! 君を閉じ込めているのは僕、」
「はい。ここまで」
──ブツリ! と。魔道具から聞こえていた音声が途切れた。
……サティーラとの音声の繋がりが断たれたのだ。
「なっ!?」
「ふふ。彼女、たっぷり殿下のことを誤解なさっていましたねぇ。あーははは。面白い!」
「きさ、貴様ぁああっ!!」
ガタガタと拘束されている椅子を揺らすがビクともしない。
見れば映像の先でもサティーラが再び、猿轡をされていた。
自身を誘拐し、監禁し、殺す相手が婚約者であるヒューバートだと誤解したままで。
(くそっ……くそぉ……!)
その光景を愉快そうに眺める仮面の男。
ヒューバートは歯軋りをしながら睨み付ける事しか出来なかった。
砂時計の砂は……もう3分の1は落ちてしまっている……。