03 貴方はどちらを選びますか?
「ヒューバート殿下には、ご自身の婚約者であるサティーラ・メレン侯爵令嬢か」
仮面を被った小柄な男が、道化のような足取りで水鏡の魔道具に映し出された先の映像を示す。
丸く切り取られて映し出される映像には、銀髪の令嬢が拘束されていた。
ぐったりとして、意識がない様子だ……。
「はたまた、恋人であるニーナ・セティ子爵令嬢か」
仮面の男は、ヒューバートから見て左側に移動すると、ピンク髪の彼女の映像を指し示した。
ニーナの方は目覚めていて、拘束されている自分の姿に驚愕し、怯えている様子だ……。
「さて。生き残る女性を選ぶ前に一つだけ、ご注意を。殿下。
殿下が悩み、どちらの女性を選ぶのか。その映像は……記録しています」
「な……に? 記録だと……?」
「ええ! ええ! ですので、ご注意を。ヒューバート殿下はお心のままに、どちらかの令嬢を選択する事は出来ません。この映像が……それぞれの貴族に! 市井の者達に!
……流されてしまった後の事までをお考えの上で、お選びいただきたいのです。
ええ! どちらを生かし! どちらを殺すのかを!」
「き、貴様……っ! そのような、そのようなことをして何になると言うのだ!?」
「何に、などと! ええ、ええ! 大衆の好奇心を満たす為としましょうか。
この国の王にならんとする者は、はたしてどのような選択をする者か!
……ふふふ。気になって仕方がありませんでしょう?
市井の民の知らぬ所で、誰と婚約だ、婚約破棄だ、新たな婚約だ……などと、やり取りをされても『はぁ……そうですか』と呆ける他ありません!
そのような事ならば、こうして!
王太子殿下の決断を! 民の誰も知れるように記録し、見せるがよろしいかと。
リンデル王国に暮らしてきた民の一人として愚考する次第でございます故」
「ぐっ……!」
小柄な男は、王国の民を名乗った。
どこかの貴族家門の出か。その間者か。
まさか、後ろ盾もないただの市民が、賊に落ちぶれたとはいえ、王太子を誘拐するなどと企むなどは……。
(分からない……。どうして、このような事になったのだ……)
恋人であるニーナに会いに行こうと王都を出た。
学園で出会った愛しい少女、ニーナ。
たしかに、婚約者のある身で、とは言われただろう。
当の婚約者であったサティーラからも苦言を呈されていた。
(もし、誘拐されたのがニーナだけだったなら……サティーラを、メレン侯爵家を疑っていただろう……だが)
ニーナが誘拐されて、最も得をするであろうサティーラも全く同じ立場に置かれている。
ぐったりした様子から、むしろニーナよりも容態が悪そうだ。
侯爵家の護衛が、賊に強く抵抗したせいなのかもしれない。
サティーラだって、そんな荒事の場に慣れていた筈がないだろう。
そう考えると、彼女の方が深刻に見えるのは仕方ない事のようにヒューバートには思えた。
「殿下。お考えになられていますね? ええ、ええ! そうでしょう!
婚約者か、恋人か! 王太子殿下におかれましては体面もございましょう!
お2人共を救ってみせると! それこそが吠えたい心でございましょう!
……ですが、それだけは叶いませんよ、殿下。
生かすのは、1人。
殺すのは、1人。
……で、ございます。
どちらを殺すのかを、ヒューバート殿下がお選びください」
「ぐっ……この、この、外道が!! お前など、我が王家の騎士達にかかれば一溜りもないのだぞ!」
「ええ。もちろん、そうでしょうとも!」
「そうだ! このような事をして、ただの処刑では済まされぬ! 死よりも辛い苦しみの果てに処刑する事になるだろう!」
「ええ! ええ! きっと、そうなのでございましょう!」
仮面の男は、ヒューバートの言葉に嬉々として笑うのみだ。
狂っている……。ヒューバートはそう思った。
「こんな事は、こんな事はやめるのだ。今、やめれば……せめて苦痛のない死を与えてやる」
「……ヒューバート殿下」
と。少し男の声が落とされた。
(手応えありか……?)
そう、考えるヒューバート。だが。
「人生には……時に、死よりも辛い出来事がございます。
肉体的な苦痛よりも辛い出来事がございます。
きっと、その苦痛に比べれば、この身が裂かれる事の方がよほど、よほど!
……楽な事でございましょうとも。
それ故に! 殿下には、この苦痛を味わって欲しいのでございます」
「なに……?」
(それではまるで、この男の個人的な恨みが……私に向けられているような)
ヒューバートは改めて男の姿を見る。
小柄な体躯。仮面を着け、フードを頭から被り、ローブを羽織っている姿。
そのせいで、この男の髪の色も、瞳の色も、体付きさえも分からない。
見た目だけでは誰かなど分かる筈がない。
せいぜい背の高い男ではない事ぐらいだ……。
だが、自身はどうやら何者かに……かように恨まれている。
もしかしたら、この男の裏には本当にどこの家門も存在せず、個人で引き起こした事件なのかもしれない。
それも、ヒューバート個人に向けられた、強力な恨みによって……だ。
「お前の目的は……この私、なのか……?」
「はて。どういった意味合いで?」
「……もし。もし、だ。恨んでいるのが……私、個人……という事ならば」
ヒューバートは、チラリと映像の先の2人の令嬢の姿を見た。
「私が……その恨みを聞こう。……そのような仮面の姿では分からない。何なのだ。私は、其方に何をした……?」
「…………」
「私への恨みならば、サティーラとニーナには関係がないだろう。ならば、彼女達を……無事に解放してくれ」
「……恨み、でございますか……」
仮面の男は、呆けたように立ち尽くす。
「そうですね。恨み……恨みと言われますと……ふぅむ。恨みでございますか」
「……なんだ? 何なのだ。とにかく理由を言え! 其方は、何故こんな事をした? 何故なんだ!」
ヒューバートは声を荒げて問う。
男の目的には、動機には皆目、見当がつかない。
男が誰なのかも知らない。
もしかしたら本当に知らないのかもしれない。
何か部下越しに、何かが起きて、それで恨まれているのかもしれない。
王族や貴族には、よくある事だ。
「いやいや! 殿下。どうも私は、ヒューバート殿下を恨んではおりません!」
「は……?」
「悩んでみたのですがね。恨む程の……ええ。それは、きっと違うのでございましょう」
「では何故、こんな真似をするのだ!」
「……楽しいから?」
「なっ……!」
仮面の男が道化のように首を傾げて見せる。
「ふざけるなっ……!!」
当然、ヒューバートは激昂した。だが。
「それよりも殿下。殿下は2人の令嬢の為ならば、ご自身の命を捨てる覚悟がおありでございますか?」
「何っ……!?」
「彼女達を無事に解放するのならば。私が彼女らに恨みなどないならば!
……殿下さえ手に掛けて済むのならば、彼女達を救え。
そうおっしゃるのでしょうか? であれば……」
男は一度、そこで言葉を切る。思わせぶりに……。
『ああ、そうだ!』と強気に言えれば良かった。
だがヒューバートは男が狂人であり、愉快犯であると見定めていた。
(もし、そう答えたなら……その瞬間、この男は自分の命を奪うかもしれない……)
自分は王子だ。王太子だ。
そう易々と命を手放す事は出来ない。
たとえ、代わりに何百という部下が、民が犠牲になったとしてもだ。
王族とは、そういうもの。
王が倒れれば国が終わりなのだ。
だから。
だから……ここで自分の命を失う事はできない。
「………………」
「………………」
ヒューバートは苦し気な態度で、男から目を逸らした。
自死は選べない。……そう言外に態度で示す。
「……そうでしょうとも。貴方は王太子殿下。易々と命に替えても、とは……。ええ。申し上げられないでしょう」
ヒューバートはギリギリと歯を噛み締めた。
「では、改めて問いましょう。婚約者のサティーラ嬢か。それとも恋人のニーナ嬢か。
貴方は……どちらを選びますか?
生かしたい者をご選択ください。
その様子を。その苦悩を。その選択を……私は、しかと記録し、市井に届け、広める事を誓いましょう」
「くっ……!」
ヒューバートの現状は変わる事がなかった。