14 悪夢
「…………」
暗闇の中。幻覚剤を飲まされたヒューバートは、悪夢に苛まれていた。
サティーラ・メレンとの思い出が、ぐにゃぐにゃと渦巻く。
そして、彼女の最期の姿。
鮮血に染まっていくドレス。
剣を突き立てられた胸。
美しく、そして恐ろしい光景。
彼女の人生を哀れんだ侍女と共に炎に巻かれる彼女の死体。
本当に骨すらも残さない火炎の魔法であれば……もう二度と、サティーラの姿を見る事は出来ない。
「サティーラ……」
婚約者だった。想いがないワケではなかった。
嫌いになったワケでもない。
ただ別の女性を、ニーナを愛してしまっただけ。
それでも彼女は自分の傍に生涯、居続けると思っていた。
……そんな彼女が永遠に失われた。
「殿下。殿下」
「…………、え、サティーラ……?」
「殿下。殿下……」
サティーラの声が聞こえる。恨みなど籠っていない。
優しかった頃、まだ信頼し合っていた頃のような彼女の声だ。
「ヒューバート様」
その時、暗闇の中に青白い炎が灯った。
(青い炎……?)
火の魔術使いがお遊びで見せる、淡い炎。
部屋の中を照らすには余りに心許ないゆらめき。
「ヒューバート様」
スッと。背後から白い腕が伸ばされてきた。
そして、未だ首元を拘束され、固定されたヒューバートの頬に触れる。
「っ……!?」
人の肌とは思えない、冷たい色白の手だった。
(誰……?)
「ヒューバート様。ヒューバート様……愛しています。愛しています」
「サティー……ラ?」
(生きていた? でも)
その手はあまりにも冷たい。それに飲まされたのは幻覚剤……。
「愛して、いたのに」
「サティーラ、僕は、僕は、」
「どうして私を殺したのですか、ヒューバート様」
「違う……僕は、僕が君を殺したんじゃない……」
「いいえ、貴方です。貴方が私を殺しました。私は貴方に殺されたのです」
「違う。違う……!」
「いいえ。貴方です。私は貴方だけを恨みます。貴方だけを呪います……。だって私を殺したのは貴方だから」
「サティー、……ぐっ!?」
冷たい手がもう一つ背後から伸ばされて、ヒューバートの首を絞めた。
(後ろにサティーラが居る? こんな力……弱い……女性の力……でも、冷たい……生きている人間の体温じゃ……)
ゾクリとヒューバートの背筋が震えた。
心なしか身体全体が凍えるように冷えている。
「ヒューバート様。ヒューバート様」
「サティ……、ラ、やめ……」
「愛しています、愛しています、ヒューバート様」
「うぐっ……ぐぅ!」
非力な力でも今のヒューバートに抵抗はできない。
恐ろしい程に冷たい手が彼の首を絞め続ける。
愛していると囁きながら……。
「いつも貴方の背後に居ましょう。ずっと、貴方を恨み続けます。呪い続けます……。貴方は私を殺した。貴方が私を殺した。ヒューバート様、ヒューバート様……どうして? どうして? ドウシテドウシテドウシテ!!」
「ひっ……!」
サティーラの声は、狂ったようにヒステリックになり、だんだんと彼女の声でなくなっていった。
変わった声。それは、まるで仮面の男のような声だ。
「ふくっ! 地獄のショーはまだ続いております、ヒューバート様!」
「おま……え!?」
逃げ去った筈の仮面の男が、ヒューバートの背後から飛び出す。
男は道化のような仕草で暗闇の中、踊った。
「次なるショーは、人体切断ショー! ヒューバート様の手足を末端から少しずつ切り刻んで差し上げましょう! ふふっ! アンナ、アンナ! 焼け死んだアンナ・ヴェーラ!」
「はい……」
「なっ……!?」
スッと歩み出てくるのは、サティーラの死体と共に燃えた筈の侍女。
彼女も生きている筈がない。
サティーラを殺し、自ら炎に巻かれて死んだのだから。
(夢だ、これは夢……それも、とびきりの悪夢だ……)
「くひっ! ヒューバート様。これは夢だとお思いですか? 幻覚剤で見た幻覚だと? あはは! その通り! これは夢でございますとも! でなければ死者の国より、焼け死んだアンナ・ヴェーラが舞い戻りますまい!」
「ぐっ……! 消えろっ、やめろ! 目を覚ませ! こんな、こんな!」
「夢ですので、私めは、こんな風に死者をも冒涜するのでございます!」
と。
仮面の男は指を差した。
すると、澄ました態度で立っていた黒髪の侍女の身体が再び燃え盛り始める!
「うわっ……! うわぁああ!?」
「くひひ! もう一度、焼け死になさい、アンナ・ヴェーラ!」
「……はい。仰せのままに」
そして死者が再び燃え始めた。
「やめろ、やめろ!」
炎は、サティーラの死の記憶と共にヒューバートの目に刻まれたばかりだ。
恐怖と混乱が彼の心を埋めつくしていく。
「くひっ! ではでは、焼け死んだアンナ・ヴェーラの次でございますれば! このような悪夢など、如何いたしましょう! 死者の冒涜こそ、我が一族の本懐なれば!」
そこで、仮面の男はフードを外した。
「えっ……」
露わになるのは……白銀の髪。それはサティーラ・メレンと同じ髪色。
「くふっ! いやはや、死人の身体を動かすのは如何とも! しかし、これこそ呪いの本質! 死者の尊厳を踏みにじってみせましょう!」
「やめ……ろ……」
仮面の男は、その仮面に手を掛けた。
自ら仮面を取り外してヒューバートに突きつける。
「バァ!」
そこにはサティーラの顔があった。
「ぐっ!」
だが、口元は血に塗れている。化粧を失敗したように黒ずんでいて……。とても生前の彼女の物とは思えない程。
「くふっ! 死者の冒涜とはかくも心地良い! ヒューバート様。ヒューバート様。愛しています。愛しています」
「やめろ! やめろ……! サティーラを穢すな……!」
「いいえ。いいえ。これも貴方がサティーラ・メレンを殺したが故。その身に呪いを刻まれたが故に!」
「呪いだと!」
「くふっ! アンナ、焼け死んだアンナ・ヴェーラ。ヒューバート様に炎の刻印を」
「かしこまりました、お嬢様……」
「なにを……ぐっ! ぐぁあああああ……!」
とたんに高熱がヒューバートの上半身を駆け巡る。
火炎の大蛇に服の下を這いずりまわられるような感覚。
肌が焼ける臭いがする。
「ヒューバート様。ヒューバート様。愛しています。愛しています」
仮面の男と同じ服装で、サティーラの顔をした女が、壊れたように同じ言葉を繰り返した。
「どうして私を殺したのですか。恨みます。呪います。貴方が私を殺したのです。ヒューバート様」
「あああああっ……! ああああ!」
(熱い! 熱い! 誰か、誰か助けてくれ! この悪夢から僕の目を覚まさせてくれ!)
「夢とは記憶。記憶が夢。くふっ。それでは、もう一度、薬でも飲んで苦しみますか? それも一興!」
そしてまたヒューバートは後ろから鉄の口枷を嵌められ、さらに無理矢理に何かの液体を流し込まれた。
「むぐっ、うごっ……!」
(これは現実なのか、悪夢なのか……夢ならば覚めてくれ……!)
そして、またヒューバートの意識は遠くなっていく。
「くふっ。それでは私も死体を、冥界に還しましょう。いつまでも死んだ悪女の身体に居ては、共々に朽ちてしまいます故」
男は、サティーラの顔を仮面で覆い、美しい銀髪を隠すように頭からフードを被って見せた。
白い手袋を着け直し、また元の姿に戻る。
肌のすべてを布と仮面で隠した男。今、その仮面の下にある顔はサティーラなのか。
それともヒューバートからすべてを奪った邪悪な男のものなのか。
「くふっ……。それでは、今度こそ今生のお別れを。ヒューバート様? どうか、お幸せな人生を……」
(サティーラ……)
ヒューバートの意識は落ちていく。
おぞましい悪夢と共に……深く、深く、落ちていく……。




