01 トロッコの先の悪役令嬢とヒロイン
「むぐ……」
王太子ヒューバートは四肢を拘束されて椅子に座らされ、猿轡をされていた。
「お目覚めかな。ヒューバート殿下」
「むぐぅ!!」
ヒューバートの目の前には小柄な男。顔は仮面を付けていて分からない。
髪の色も頭からフードを被っているから分からず、体つきも全身を覆うローブのせいで全く分からなかった。
声は魔法か何かで変えてあるのか、ひどく籠って聞こえる。
金色の髪の間から汗をかき、その碧眼でヒューバートは小柄な男を睨み付けていた。
彼に出来る抵抗なんてそれぐらいだからだ。
王族に相応しい強力な魔力は、魔道具の枷によって封じ込められている……。
頼みの綱の護衛達も、今は傍に居ない。
馬車が襲撃された時、相手の数に圧倒されて……凶刃に倒れたのだ。
(くそ……! どうにかして、援軍が来るまで持ち堪えなければ……!)
ヒューバート王子は、そう決意しながらも男を睨み付けるのだ。
「今日はですね。ヒューバート殿下に2人の女性の内、どちらかを選んで欲しいのです」
小柄な男は、仮面の下で笑うようにそう告げた。
「むぐ……?」
男の手が伸びると……ヒューバートに着けられていた猿轡を取り外す。
「ぷはっ……! はぁ……! はぁ……」
ヒューバートは、荒く呼吸し、何とか息を整えた。
「貴様っ……! 僕が誰だか分かっているのか!?」
「ええ。もちろん。貴方だからこそ、こうして生かしているのですから。ああ、残念ながら他の者達は……ね?」
「くっ……!」
(護衛の騎士達。何より……馬車に同乗していた側近の騎士カステロも、宰相の息子アイクも……!?)
「貴様ぁ……!」
「私も驚いているのですよ。殿下。王太子殿下でありながら、杜撰な警備体制で城下に出られ、あんな襲撃のしやすい道を通るだなんて、ね。
いやはや……」
仮面を着けた小柄な男は、道化のように大げさに肩をすくめてみせる。
「くっ!」
馬鹿にし、見下すようなその態度に、ヒューバートは顔を赤くし、怒るが……やはり拘束を外す事は出来ない。
(あの道は、ニーナの居る……シェティ子爵家へ向かう道だった……。通るのは何度目だったか。狙われていたのか……)
ニーナ・シェティは、ヒューバートが学園で知り合い、恋に落ちた子爵令嬢だった。
桃色の髪と瞳が愛らしく、明るい彼女は魅力的で……。
だけど、ニーナはヒューバートの婚約者ではない。
ヒューバートの婚約者は、別に居た。
サティーラ・メレン侯爵令嬢。
それがヒューバートの婚約者だ。
銀色の美しい髪に赤い瞳をした彼女。
王家と筆頭侯爵家メレン家の間で結ばれた政略結婚だったが、ヒューバートはサティーラと信頼関係を築いてきた。
サティーラの方も、ヒューバートの事を確かに愛していた。
ずっと良好な関係を築いてきたのだ。
……学園に入り、ニーナに会うまでは。
「貴方に比べれば、ですが。もう一人の人物の誘拐の方が随分と手強い案件でした」
「……なに?」
(もう一人……だと? 他に誰かを誘拐したのか……!?)
王族の可能性を懸念する。
だが、彼と同日に外出予定の者は居なかった筈だった。
「気になりますか? では教えましょう。私が攫ってきたのは……女性です。貴方にとって、最も大切な女性だ」
「なっ……!?」
目を見開き、驚愕するヒューバート。
(最も大切な女性!? それは)
「……ふふ。今、貴方は『誰』を思い浮かべましたか? いえ、『どちら』を……と言い直すべきでしょうか。ふふふふ」
「な、何を……」
ヒューバートの脳裏にこの時、浮かんだのは……。
「ヒューバート殿下。貴方には婚約者が居る。この国の筆頭侯爵家、メレン家の令嬢、サティーラ・メレンだ」
「……そんな事、民の誰もが知っている事だ」
「そうですね? では、貴方の最近の……学園で出来た恋人などはどうでしょう? 誰もが知っている女性でしょうか?」
「なっ……!?」
学園、と言っても、それは貴族の令息・令嬢が通う学園だ。
その中での交流は、そう簡単に市井には出回らない筈。
(……ならば、この男は有象無象の賊ではなく、どこかの貴族家門の回し者……? いや! それよりも!)
「貴様! まさか、まさか攫った女性というのは……!」
「──ニーナ・シェティ」
と。男の口から、ハッキリと恋人の子爵令嬢の名が告げられた。
それだけに留まらない。
「──サティーラ・メレン」
「……!?」
仮面で男の表情は分からない。分からないが……ニタリ、と。男が笑ったようにヒューバートは感じた。
「2人共、ですよ。ヒューバート殿下。私は、2人の女性を攫って来たのです。先程申し上げた誘拐が困難だったという話は、侯爵令嬢の誘拐の話。子爵令嬢を誘拐するのは、貴方と同じでいとも容易かったですよ」
「ぐっ……! 2人共……だと!? 貴様、貴様ぁっ……!」
ヒューバートにとって重要な女性が2人共。
卑劣な誘拐犯の手に落ちている。その事に絶望感と怒りを覚え、ヒューバートは歯軋りをする。
「貴方には、彼女達の2人。どちらかが生き残るかを……選択する事ができますか?」
「なっ……何を言う? そんな事が出来るワケがない!」
ヒューバートは、男の問いを理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
「……ふふ。それでは。お目にかけましょう。
──この、水鏡の魔道具で」
男は、ヒューバートを拘束している椅子の前に2つの小さな柱を置いた。
柱の上には水色の球体の水晶が置かれていて……男が白い手袋に包まれた手をかざすと、魔力が注ぎ込まれる。
そして、ヒューバートの目の前の壁に……2つの光景が映し出された。
「……ッ! サティーラ! ニーナ!」
2つの映像は、それぞれ見慣れた銀色の髪の女性と、ピンク髪の女性を映し出している。
2人共、ヒューバートと同じように拘束されて椅子に座らされている様子だ。
唯一の救いは、衣服が乱れているようには見受けられない事か。
2人は、夜会向きではないにせよ、キチンとドレスを着た姿だった。
「ふふ。ご安心を。誘拐はしましたが……女性としては手を出していませんので。ええ。そういう目的で誘拐したのではありませんから……」
「貴様、貴様っ……! 2人を、2人を解放しろ!」
「良いですよ」
「えっ、は……?」
あっさりと。
男は解放すると答えた。ヒューバートは毒気を抜かれたように、男を見返す。
「──ただし、一人だけ。貴方の選んだ令嬢だけを、ね。選ばれなかったもう1人の方には、残念ですが死んで貰います」
「なっ……ん、だと……?」
また。男がニタリと笑ったようにヒューバートは感じた。
「選ばないという選択肢はありません。ヒューバート殿下。貴方が『選ばない』事を選ぶならば……その時は令嬢達、2人共に死んでいただきますからね」
「な……ん……」
ヒューバートに逃げ場などどこにもない。
その事を突きつけられた。
「もちろん。ヒューバート殿下。お一人だけは……救われますよね?」
ニタニタと、仮面の奥で小柄な男が笑う。
映し出される水鏡の映像の先には、2人の令嬢……。
どちらも自力で抜け出せるようには見えない。
そして、それはヒューバートも同じ……。
「それとも、どちらとも殺しますか? 殿下がお望みとあらば、そうしましょう」
「くっ……!」
ヒューバートの全身に冷や汗が流れる。
自身の選択次第で、彼女達のどちらかが……死ぬ。
だが選ばなければ、どちらとも……。
王太子を、侯爵令嬢を誘拐するような狂った相手だ。
きっと言葉通りに実行されるだろう。
選びたくなどない。2人共、助けたい。だが……だが。
「──選びますか? 選びませんか?」
男がまたそう投げかける。ヒューバートの答えは。
「…………選ぶッ! 選べば……いいんだろうが!」
男は、今度こそ、たしかに仮面の奥で声を出しながら笑った。